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Escrito por Tomoko Ikeda del ITT

Sr. Japón y Hasekura san

Japón さんと支倉さん

〜 日本とスペイン400年の時と海を超えた出会い 〜

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スペイン語翻訳通訳

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ここは日西翻訳通訳研究塾ホームページ「支倉 と Japón san 11-M de Japón」の特別号ページです

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Japónさん来日緊急レポート
於:在東京スペイン大使館 (2015年11月05日)

Japónさんがハポンへやって来た!
2015年11月、スペインのハポン(
Japón)さんがハポン(日本)へやって来た
“東北クロッシング”というスペインが開催するプロジェクトの一環で来日したのだ。10年ぶりのハポンさんとの再会に、私は胸が高鳴った
“東北クロッシング”とは、ハポンさんの町コリア・デル・リオと関係の深い日本の東北地方をランニングしながら、その魅力をスペインをはじめとした世界に向けて発信するというもの。コリア・デル・リオ市役所の推進プロジェクトで、9日間かけて東日本大震災で被災した福島・宮城・岩手を走り抜けながら、“根気があり辛抱強い東北の人々に敬意を表していきたい”としている。ランナーを務めるのは、旅行ジャーナリストであるエドゥアルド・フェルナンデスさんだ

この機会に、ハポン姓を代表して日本スペイン支倉協会
[Asociación Hispano-Japonesa HASEKURA]」の副会長フアン・マヌエル・スアレス・ハポン氏(以下、スアレスさん)も来日した。スアレスさんは、アンダルシア国際大学の学長などを務めた人で、現在はコラムニストとして新聞などでハポン姓の存在を伝える活動をしているらしい
今回、日本とコリア・デル・リオの交流をより多くの人に知ってもらうため、エドゥアルドさんらランナーと東北へ向かう途中の市町村で、講演会を開くことになっている
 

私はそのランニングのスタート直前、スペイン大使館で開かれた講演会に参加した。大学生のころ、卒業論文の執筆のためにコリア・デル・リオに訪れ、たくさんのハポンさんたちと交流して以来、実に10年ぶり。ハポンさん、しかも学生の頃読み漁っていた文献で何度も名前を目にしていた“スアレス・ハポンさん”と会えるなんて!(しかしご本人とは今回が初対面だった)。あらためてハポンさん姓についての研究を続けていくたのめ後押しをして貰ったような気がした

講演会前日、当時卒論執筆のためにかき集めた資料を久しぶりに引っ張り出してみた。その中から出てきた写真を数枚抜き出し、そっとリュックの中にしまい次の日に備えた
スアレスさんは講演会で、なぜコリア・デル・リオにハポン姓がたくさん存在するのか、彼らのルーツを語ってくれた
私のおじいさんの名前はマヌエル・ハポン・ハポンといって、第一姓も第二姓もハポンなんです。私が幼いころ、おじいさんはハポン姓の由来を何度も聞かせてくれましたよ。昔、グアダルキビル川の河口から、船に乗った外国人(日本人)がやってきた。彼らの一部は帰国せずこの地へ残り、いずれ祖国ハポンを姓として名乗るようになった。私たちはその子孫なのだと。でも、私のおじいさんやまわりのハポンたちは日本について何にも知らなかったし、おじいさんの想像の世界の話だと思っていました。まさか、1万キロ以上も離れた日本のサムライたちの国が、自分たちの先祖だなんて」

でも、ある人物によって自分たちのルーツが明らかになり、ハポンという姓がもつ不思議な縁を感じるようになった
「ビルヒニオ・カルバハル・ハポン。ぼくのいとこです。彼は日本スペイン支倉協会の創設者で、初代会長を務めました。長年商売をやっていて学問もなかったけど、仕事の合間をぬって非常に熱心に自分たちのルーツを探る研究に取り組んでいた。彼のおかげで、私たちハポン姓は自分たちのルーツ、日本との深いつながりを知ることができたんです」

壇上のスクリーンに映された懐かしい顔に、私は胸がいっぱいになった
ビルヒニオ・カルバハル・ハポンさん。彼こそが私が一番最初に出会ったハポンさんで、ハポン姓の研究を深めるきっかけとなった人だ。(ビルヒニオさんの詳細は、
Episodio-2およびEpisodio-3を参照)
誰よりもハポン姓を誇りに思い、日本人よりも日本のことを深く想ってくれていた人なのではないかと思う

「ビルヒニオは日本が大好きで、コリア・デル・リオに日本人が訪れると大歓迎していました。彼自身も何度も日本を訪れていましたよ」
10年前もそうだった。アポなしで突然家にやってきた私を温かく迎えてくれて、親切にも町中のハポンさんを紹介してくれたのだった

2005年の7月に亡くなる直前にも来日し、愛知県で開かれた万博でハポン姓の存在を伝えていた
日本とコリア・デル・リオの架け橋のような存在だったビルヒニオさんの想いは、遺されたハポン姓に受け継がれ、今もこうして両者をつないでいる

今から400年前、サムライ支倉常長率いる「慶長遣欧使節」が同地を訪れたときから、すべては始まっていたのだ
ではなぜ一行の一部は帰国せずにコリア・デル・リオで生きていくことを決意したのだろうか?何人が残り、何人がハポン姓を名乗ったのだろうか?何人が地元の女性と結婚したのだろうか?まだまだ謎は多い

「当時外国船は、大西洋からの入り口であるサンルーカル・デ・バラメダ港から入港することになっていました。支倉らはそこからスペインでの最初の目的地セビージャに向かう途中、コリア・デル・リオで下船し、セビージャ滞在の許可が下りるのを待ったんです」

サンルーカル・デ・バラメダ、コリア・デル・リオ、セビージャの3都市は、グアダルキビルという全長657kmの大きな川でつながっている
スアレスさんのおじいさんが言っていた通り、グアダルキビル川からサムライたちはやってきたのだ

その後、彼らはセビージャ、マドリードなどを経てローマに向かうのだが、日本へ帰国する際もまたこのコリア・デル・リオに滞在している。そして数名の日本人がこの地にとどまることになったのだが、その理由については、今後執筆予定の本編Episodio12で紹介したいと思う(
Episodio 01-11はコチラから)

講演会のあと、私はスアレスさんに話かけた
ハポンさんに会いに行ったこと、今日あなたに会えて本当にうれしいということを伝え、持ってきた写真を見せた。コリア・デル・リオで撮ったハポンさんたちの写真だ

「ああ、この写真のビルヒニオは本当にいい顔をしているね」
そうつぶやくスアレスさんはとても優しい表情をしていた
「Gracias、コリア・デル・リオまで来てくれてありがとう」
スアレスさんのその言葉を聞いた瞬間、私にはまだやるべきことがあるんじゃないかと思った
ハポン姓の研究をつづけよう。そして、日本とスペインのより多くの人たちにハポンさんたちの存在を、彼らの想いを伝えよう
コリア・デル・リオ市では、今回の東北クロッシングのほかに、“桜プロジェクト”というプロジェクトを進めているという
慶長遣欧使節のコリア・デル・リオ訪問400周年を記念し、日本とスペインのさらなる友好関係の継続を願い、日本の象徴である桜を同市に植樹するらしい。全部で2500本以上の桜が同市をぐるっと取り巻くように植えられるそうだ
上空から見ると、それはまるで「日本(桜)がコリア・デル・リオを抱きしめるよう」だという

桜の花が満開になるころ、きっと2つのハポンの絆はさらに深くなっていることだろう