Establecida en 2010

Escrito por Tomoko Ikeda del ITT

Sr. Japón y Hasekura san

Japón さんと支倉さん

〜 日本とスペイン400年の時と海を超えた出会い 〜

Fundado en 1995

スペイン語翻訳通訳

Instituto de Traducciones de Tokio

Sonríe y mejora tu idioma.

ここは日西翻訳通訳研究塾ホームページ「支倉 と Japón san」のページです
     
 
 
 

「さよならビルヒニオさん」
− Episodio IX −


9月半ばの真っ青な空に、大きな太陽が出ていた。強烈な日差しがギラギラと私の頭を照りつける。日本にいるときよりも太陽が近くに感じられるのは、太陽と情熱の国にいるからだろうか
もうすぐシエスタの時間になる。そりゃ暑いはずだ
一日の中で一番暑い時間帯に、私は一人コリア・デル・リオの町中を歩いていた
ビルヒニオさんに会いにいくのだ

彼の家に向かう途中、前回ここへ来た時に道を尋ねた交番に顔を出した
交番といえども何だかのんびりしていて、おまわりさん達がとても気さくだったのをよく覚えている

「オラ!Japónから来ました。ここへ来るのは二度目。またJapónさんに会いにきたの」
私のことを覚えているかどうかは不明だが、そう伝えると、「おお、そうか、そうか」と喜んでくれた

「今からビルヒニオさんの家に行ってみようと思うんだけど、彼は元気かな?」
私は一年半前に撮ったビルヒニオさんの写真を見せた

その途端、彼らの表情が曇り、とても悲しい事実を告げられた
「残念だけど・・・彼は今年の7月に亡くなったんだよ。知らなかったのかい?」

え?亡くなった・・・・?一瞬、頭が真っ白になった。だって、去年会った時はあんなに元気だったのに!!!!!
あまりにも驚いて、私は交番の入り口の段差から足を踏み外し、ひっくり返った
おまわりさん達が慌てて私を引っ張りあげる

ビルヒニオさんは2005年7月13日に心臓発作のため自宅で亡くなっていた
享年67歳であったという。彼の真っ白な髭から、もっと高齢かと思っていた


ビルヒニオさんはとにかく元気な人だった。よく笑い、よくしゃべり、よく歩き、大きなジェラートをおいしそうに食べていた

また会えると思ったのに・・・

「彼の親戚はまだ同じところに住んでいるから、話を聞きにいくといいよ」

ビルヒニオさんの親戚の家は、彼の自宅のすぐ近所にある。以前私はこの家にも訪れていた
悲しい気持ちのまま、ビルヒニオさんの自宅の前を通りかかった
もしかしたら本当は生きているのではないか。そんなことを思いながらドアに手をかけると、鍵がかかっていた。まだ信じられない気持ちで、今度は窓から中を覗きこむと、部屋の中はがらんとしていた。一人暮らしだったビルヒニオさんがいなくなってしまい主人を失った家は、淋しさが漂っているようだった

窓から視線を戻そうとしたその時、見覚えのある棚が目に付いた
昨年ここへ来た時に記念に名前を書いたあの棚だ!私の名前もちゃんと残っている
それを眺めながら、少しだけ泣いた

さよなら、ビルヒニオさん・・・遠く離れたスペインで、日本のことをこんなにも誇りに思ってくれた人がいたことを、私は絶対忘れない

心の中でそっと別れを告げると、

「わしはサムライの子孫じゃよ」
どこからか、一人のサムライの子孫の声が聞こえた気がした