Establecida en 2010

Escrito por Tomoko Ikeda del ITT

Sr. Japón y Hasekura san

Japón さんと支倉さん

〜 日本とスペイン400年の時と海を超えた出会い 〜

Fundado en 1995

スペイン語翻訳通訳

Instituto de Traducciones de Tokio

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Japónさん宅にて」
− Episodio X −


ビルヒニオさんの家を後にした私は、彼の親戚の住む家へと向かった
シエスタ真最中にアポなしで訪れてくる日本人というのも、彼らにとって迷惑かなと思いつつ、もう後には引き返せない。今日しか時間がないのだ

ドアのチャイムを鳴らしたが、反応がない。やはりシエスタ中は出てくれないのだろうか。それでもしつこくチャイムを鳴らしていると、部屋着姿で寝ぼけ眼の初老の女性が現われた。フランシスカさんである。私は以前もこの家を訪れているので、顔を見てすぐ分かった。しかし、当の本人は思い出せないようで困惑気味である。シエスタを邪魔されたあげく、突然日本人が訪れてきたのだ。無理もない。そこで、私は前回来た際に彼女達と撮った写真を見せ、突然の訪問へのお詫びと、また会いに来たこと、そして、ビルヒニオさんが亡くなったことをさっき知ったと伝えた
彼女はゆっくり頷くと、私を家の中へ入れてくれた
そして、お茶代わりのビールと生ハムを用意してくれた。私は遠慮なくビールを頂きながら、今、
Japón姓の研究をしていることなどを話し始めた
すると、話し声が聞こえたのか、フランシスカさんの旦那さんと息子さんが2階から降りてきた
 

Japónさん一家(左からフランシスカさん、旦那さん、フアンさん、もう一人の息子さん)


「おお、
Japonesita ! 元気だったかい?」
彼らは私を覚えていてくれたようである。日本から持ってきたキレイな和紙やお菓子などのお土産を広げながら、ここへ来るまでの話や、家族の話、最近のコリア・デル・リオのことなどを話した
実は、フランシスカさんにはもう一人息子さんがいて、彼は小学校の先生をしているという。ビルヒニオさんの後を継いで、「日本スペイン支倉協会」の会長に就任する予定らしい
タイミング良く、彼が帰ってきた。フアン・フランシスコ・ハポン氏。後に協会の会長となり、3月11日に起きた日本の大震災を案じてメッセージを送ってくれた人だ
フアンさんは私の顔を見るなり、にこっと笑顔になり、「Hola〜!」とハグをしてくれた
30代前半くらいの、とても人の良さそうな
Japónさんだった

フランシスカさんと旦那さん、フアンさん、そして名前を忘れてしまったが(ごめんなさい・・・)もう一人の息子さんと私の5人で
Japón談義が始まった