谷 めぐみ の 部 屋
 


 

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Hola Barccelona
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スペイン歌曲の歌い手

「谷 めぐみ」の歌修行 "Hola! バルセロナ" - その06 -

¡Hola! バルセロナ(06)

ピソには壇オーナー夫妻のほかに三名の間借り人が住んでいた。私の隣の部屋にいるのは、インスタントコーヒーをご馳走してくれた日本人男性。仕事を辞めてスペインに来たという彼は、生活費を節約するべく毎日玉ネギを食べていた。奥の部屋にいるのは、イガグリ頭の日本人男子と彼の恋人リナ。お皿を洗うのは洗剤が先か、水が先か、で、二人はいつも口論をしていた
バルセロナに着いて三日目、金曜日になった。壇夫妻も玉ネギ氏もイガグリ君とリナちゃんも、各々今夜の予定で盛り上がっている。どうやら週末というのは、とても楽しいものらしい。が、私はどうするのだ?まだ一度もマリア・ドローレス抜きで外出したことはなかった。しかも私は生来、とんでもない方向音痴である。地図を持っていても、その地図の向いている方向が分からなくなる。スペイン語が出来ないのだから、道を尋ねることも出来ない。つまり一度迷ったら、もう二度とこのピソへは戻ってこられないのである。冗談を飛ばしあいながら、皆、イソイソと出かけていく。もの悲しい気分だった。仕方なく部屋でボンヤリと隣の中庭の卓球を見ていると、誰かがドアをノックした。イガグリ君だった。「僕らも今から出かけるけど、君、どうするつもり?ずっとここにいちゃダメだよ。来たからには動かなきゃ。町でも歩いてきたら?」半ば心配顔、半ば呆れ顔である。二人も出かけてしまい、4階はシーンと静まり返った。私は決心した。とにかく道をまっすぐ行って、どこかから同じ道をまっすぐ戻ろう。そうすれば「出かけてきました」と啖呵を切れる?ではないか
100ペセタ硬貨三枚をポケットに入れ、玄関の鍵をかけ、真っ暗な階段を下りた。重い木の扉を開けて外へ出た途端、けたたましいクラクションの音が耳に飛び込んできた。狭い道にあふれる車、忙しく行き交う男達、母親らしき女性と手をつないだ可愛い女の子、地下鉄の駅へ駆け下りていく若者、オシャベリに余念がないおば様達…。そこにあるのは、ごく当たり前の夕暮れの街角だった。歩き出してみれば、もう私は風景の中にすっぽりと納まり、何の違和感もない。得もいわれぬ懐かしささえ感じた
デパートらしき建物の前でソフトクリームの売店に遭遇した。喉がゴクリと鳴った。よく見ると「75peseta」と張り紙がある。これなら買える。100ペセタ硬貨を出して25ペセタのおつりをもらえばいいのだ。私は店員に近づき、ソフトクリームを指差した。彼女はうなずいてグルグル巻きのクリームを私に渡し、100ペセタを受け取り、おつりをくれた。予定通り、である。さらに「Gracias」と必死で言った私に「De nada」と笑顔で答えてくれた。やった!初の単独買い物大成功!である。すっかり気をよくした私は、鳩でいっぱいのカタルーニャ広場のベンチに座る、などという冒険にも挑戦し、無事帰還を果した。誰もいない異国の古ぼけたピソで留守番をしている自分が不思議だった。月曜日には、イガグリ君が私を語学学校へ連れて行ってくれることになっていた

(つづく)
  以上は、日西翻訳研究塾のメールマガジン『塾maga2009年01月号(No.99)』に掲載されたものです