谷 めぐみ の 部 屋
 


 

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Hola Barccelona
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スペイン歌曲の歌い手

「谷 めぐみ」の歌修行 "Hola! バルセロナ" - その20 -

¡Hola! バルセロナ(20)
Somos extranjeros (我々は外人だ)!」このフレーズは私たち四人のお気に入りだった。授業中に誰かが答えに窮するとSomos extranjeros!と助け舟を出し、嫌なことがあるとSomos extranjeros!と慰めあう。ある日、授業中に闘牛の話が出た。あれこれ質問をしても、ミゲルもアントニオも至って冷たい反応である。授業が終わるとピーターが言った。「我々は今、どこにいるのか?スペインである。Somos extranjeros!一度は闘牛を見るべきである」「そうだ、そうだ」と意気投合。四人で闘牛場へ出かけた。意外にも、普段は物静かなイーヴォが熱中していた。私は牛の心情を察し、正直なところ、楽しめなかった
フラメンコもしかり。ミゲルとアントニオは「興味がない」と言ったが、
Somos extranjeros!バルセロナで一番有名なタブラオへ出かけることになった。ランブラスで待ち合わせ、ブラブラ散歩。カフェで道行く人を眺めながらコーヒーを飲んでいると、みすぼらしい格好をした女が「哀れな私にお金を」と近づいて来た。こういう場合、私達はスペイン語が出来ない振りをすることにしていた。Somos extranjeros!スペイン語が分からなくても不思議はない。ところがこの女、知らん顔をしていてもしつこく話しかけてくる。「家には可愛い坊やがいるの」「この三日間、何も食べていないの」あまりにも見え透いた手口に笑いをこらえながら無視していると、女がいきなり私に向かって叫んだ。「アンタ、日本人やろ?黙ってたって分かるよ」「エッ!?」思わず反応してしまった。「ワタシ、寝屋川に住んでたんよ。京阪電車知っとる?ダンナと別れてモロッコから来たよ。アンタ、何でここにおるん?バルセロナはええで。好きやねん。もう金はいらんわ。悪い男にだまされたらあかんで。ほな、さいなら」女は関西弁でまくしたて、私の肩をポーンと叩いて去っていった。驚きのあまり言葉も出ない。三人も呆気にとられている。「メグミの知り合い?」「違う、違う。だけど彼女が話したのは日本語で、日本語にも色々な種類があって、彼女が使ったのは私が住んでいた場所の日本語で、それで、それで…」ランブラスのど真ん中で外人の関西弁を聞こうとは…。しかもあの流暢さは何だ?その後、何度かこの関西弁女を見かけた。相変わらず「家には可愛い坊やが…」を繰り返している。私と目が合うと、ニヤッと笑い、知らん顔で行ってしまった。変な女だった。この夜のフラメンコは、素人目にも観光客向けと分かる退屈なものだった。それでもショーが跳ねた後はBarでワインをひっかけ、extranjerosの我々も一端の気分でバルセロナの夜を楽しんだ
まもなく別れの時が来た。研修期間を終えたイーヴォがスイスへ帰国すると言う。授業中よく私を助けてくれたイーヴォ。最後の挨拶の時は思わず涙が溢れた。そのうちに、ピーターがふっと現われなくなった。「挨拶もしないで。アイツらしいわ」寂しさまぎれにエレナが言った。ちょうどその頃、新しくスイス人のクリストフとクリスティーナがクラスに入って来た。どういうものか、エレナとクリスティーナは馬が合わない。大学が忙しくなったことを理由にエレナもクラスを休むようになった。クリストフとクリスティーナと私の三人。「
un dos tres」ではなく「ein zwei drei」で盛り上がったが、二人は欠席が多かった。私の個人レッスンのような授業が何度か続いた後、ミゲルが申し訳なさそうに言った。「このクラスは今日でおしまい。メグミの授業は学院長が担当するから…」また、これだ。しかも学院長?あの禿げ頭のおじさんである
(つづく)
  以上は、日西翻訳研究塾のメールマガジン『塾maga2010年04月号(No.114)』に掲載されたものです