谷 めぐみ の 部 屋
 


 

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Hola Barccelona
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スペイン歌曲の歌い手

「谷 めぐみ」の歌修行 "Hola! バルセロナ" - その25 -

¡Hola! バルセロナ(25)
レッスンが進むにつれて新しい楽譜が必要になった。M先生の指示でランブラスにある老舗の楽譜店へ行くが、この店では日本のように棚の楽譜を自由に眺めて選ぶわけにはいかない。「これこれしかじかの曲を探しています」と言うと、お店の人が分厚いファイルを出してくれる。その中からお目当ての楽譜を見つけ出す。「これこれしかじか」が言えなければ楽譜も買えない。ややこしい説明が必要なときには苦労した。以前、マリア・ドローレスがレンタル・ピアノの手続きに連れて行ってくれた楽譜店は日本と同じシステムだった。棚に並んでいる楽譜を自由に手に取って眺め、選ぶことが出来る。自分で探せる手軽さ、黙って買える気楽さから、私はこちらの店を選ぶようになり、老舗楽譜店に足が向かなくなった
毎日の買い物もしかり、である。ゴシック地区に住んでいた時は、近くにあるボケリア市場で食料品を買うのが日課だった。列に並び、威勢のいい肉屋や魚屋のセニョーラとそれなりに会話をし、いっぱしの気分を味わった。しかしアパルタメントは、隣に何でも屋、向かいにパン屋が一軒あるだけ。しかも市場と違って、店の人は何となく他人行儀である。少し離れたところにスーパーマーケットを見つけてからは、そちらで買い物を済ませるようになった。前のピソの住人・イガグリ君の教え〜「スペイン語が上手くなりたかったら市場で買い物すること。スーパーは黙って買い物が出来るから便利だけど、それじゃいつまでたっても話せるようにならないよ」を忠実に守っていた私だが、その根性の砦も崩れかけていた
何をする気も起きない。11月も終わりのある日の夕方、散歩に出かけた。スペイン広場のベンチにボンヤリ座っていると、様々なことが心をよぎる。バルセロナ入りしてからの怒涛の日々、出発前の日本での慌しい出来事、笑顔と心配の両方で送り出してくれた家族や友人たちの顔…。「あぁ、私はこんなに遠くまで来たんだなぁ」しみじみと思った。寂しくも悲しくもない。ポッカリ穴が空いたような気分だった。ふと目を上げると、意識の錯覚か、目の前の何もかもが黄昏に浮かぶ一枚の絵のように見える。丘の上のカタルーニャ美術館、向かいに見える国際会議場、ベンチで談笑する老夫婦、アイスクリーム売りのおばさん…。時が止まったような不思議な感覚だった。「あぁ、私は今、バルセロナにいるんだ」強くそう思ってハッとした。うまく説明できないが、大きな大きな神様の目が、地球の片すみでションボリしている私をジッと見つめてくれている気がしたのだ。何とかなるさ!勇気が湧いてきた
12月に入ると、エレナの婚約者がはるばるスゥエーデンからやって来た。見るからに実直そうな青年だった。三人でオシャベリをするには英語が手っ取り早いのに、エレナは「ここはスペインよ。スペイン語で話さなきゃ」と譲らない。婚約者君のカタコト・スペイン語を交えた珍妙な会話で大笑いした。彼が帰ってほどなく、エレナは家賃節約のためにピソをシェアして住み始めた。シェアの相手は同じ大学のホセ。さっそく遊びに行ったが、私は何故か、このホセが好きになれなかった
そんなある日、エレナから伝言があった。「昨日久しぶりにスペイン語学校に寄ったの。メグミに大事な用があるから連絡するように、って」
(つづく)
  以上は、日西翻訳通訳研究塾のメールマガジン『塾maga2010年10月号(No.120)』に掲載されたものです