谷 めぐみ の 部 屋
 


 

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Hola Barccelona
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スペイン歌曲の歌い手

「谷 めぐみ」の歌修行 "Hola! バルセロナ" - その27 -

¡Hola! バルセロナ(27)
バルセロナとマドリードでは街の雰囲気がまったく違う。別の国にいるような気がした。そして寒い。友子先生のお弟子さんのピソには、テーブルの下に暖房機を置き、それを布でスッポリ覆う日本のコタツのようなものがあった。それでも部屋は冷え冷えとしている
I氏と面会した翌日、氏が参加しているツアーの方々と一緒にマドリード名所めぐりをすることになった。プラド美術館ではベラスケスやゴヤの名画を鑑賞。かの『ゲルニカ』にもお目にかかる。日曜朝のカタルーニャ美術館通いのおかげで、私は絵画鑑賞の恐怖から解放されていた。いやそれどころか、絵を観ることが楽しみになっていた。いいなぁ、と思う絵に見入っていると「立ち止まらないでください!」すかさずツアー添乗員から突っ込みが入る。アララ…。次の絵、その次の絵、と観ていくうちに思わず足が止まる。「そこの方、遅れますから先へ進んでください!」また添乗員の突っ込みだ。コワい、コワい…。レティロ公園では、全員整列して修学旅行のような記念撮影。公園を巡回中の素敵な制服を着たセニョールを見つけたI氏が「あの人と写真を撮れたら良い記念になるんだけど」と言うので、「お願いしま〜す」と声をかけ、パチリと一緒にカメラに収まってもらう。「谷さん、スペイン語が話せるじゃないですか!」I氏はしきりに感心している。「写真お願いしま〜す」くらい、誰でも言えるよね
「夜はサルスエラに行きましょう」I氏は張り切っている。「時間調べも切符を買うのも、全部お任せしましたよ」そうか。私はI氏の自由行動専属ガイドというわけか。夕方、軽く食事を済ませ、劇場へ出かけた。席に着くと、斜め向い席の少女がジーッとこちらを見ている。私が笑いかけるとサッと目をそらし、また、うかがうようにこちらを見る。はにかんでいるのではない。表情がどこか引きつっている。隣にいる母親に話しかける声が聞こえてきた。「ママ、あの人、どこの国の人?」「中国か日本でしょ」「フ〜ン」…やがて開演。舞台では古き良き時代の人情話が繰り広げられる。歌の合間の風刺のきいた台詞に私が思わず吹き出すと、くだんの少女は目をまん丸にして母親に言った「ママ、ママ、中国か日本の女が笑っている」「そんなはずないわ」「ホンとよ。ほら、見て」私を指差す少女。「シ!黙りなさい。そっちを見ちゃダメ」わざとらしく叱る母親も母親だ。まるで化け物でも会ったような眼差しで、こちらをジーッと見る。あの態度は何だ?東洋人に嫌な思い出でもあるのだろうか…?終演後、何とも言えない気分で劇場を出た。念願のサルスエラに大満足、「あの女の子、可愛かったですね」と、上機嫌のI氏。あえて説明することもない、と、黙り込む私…
トレドへのツアーにも同行した。迷路のような細い路地、天に昇るキリストを描いたエル・グレコの絵、繊細な彫金、ゆったりとしたタホ河の眺めetc。エル・グレコは、己が求める“赤”を表現するために、鳩の生き血を使ったそうな。まさに中世にタイムスリップしたような街並み。ついフラフラと歩き出すと「列から離れないでください!」すかさずガイドの突っ込みが入る。そうだ、ツアーは続いているのだ。「お土産はこの店で買ってください!」「時間に遅れないでください!」「出発です。全員そろいましたか?!」マドリードに帰り着くまで、ガイドの連呼は続いていた
I氏最後の計画は「アランフェス宮殿」である。決行の日はガイドと称する青年ならぬ中年のオジサンがついて来た。I氏が日本のお惣菜を出す食堂で知り合い、「アルバイトをさせてあげることにした」とのこと。マドリードに住んで十年、按摩師をしているという。「アランフェスなら任せてください」と自信満々だが、どこかうさんくさい。「どの国にも彼のような人がいるんですよ」I氏がわけ知り顔でささやいた
(つづく)
  以上は、日西翻訳通訳研究塾のメールマガジン『塾maga2010年12月号(No.122)』に掲載されたものです