谷 めぐみ の 部 屋
 


 

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Hola Barccelona
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スペイン歌曲の歌い手

「谷 めぐみ」の歌修行 "Hola! バルセロナ" - その30 -

¡Hola! バルセロナ(30)
新年早々、嬉しい出来事が重なった。まず一つめ。カタルーニャ語の歌曲のレッスンが始まることになった。モンポウの『夢のたたかい』という作品がある。タイトル通り、夢のように美しく繊細な歌曲集だが、歌詞はカタルーニャ語。読み方が分からず歌えなかった。カザルスのチェロで名高い『鳥の歌』も事情は同じである。レッスン開始間もない頃、歌詞がcastellano(スペイン語)に訳された楽譜を持参したことがあった。「No tiene sentido(無意味)」M先生は全く取り合おうとしない。「ならば、catalán(カタルーニャ語)を教えて下さい」と言うと、「まだ早い。castellanoがきちんと出来ないうちにcatalánを歌うと、両方の発音が曖昧になる」と、これも即座に却下された。『夢のたたかい』『鳥の歌』どちらの楽譜も、ピアノの上にうやうやしく鎮座したままになっている。いよいよだ!
渡西前の私は、スペインという国に対して極めて大雑把な知識しか持っていなかった。castellanoとcatalánに関しても、何となく綴り方が違うなぁ…程度の認識しかなかった。今思えば、本当に恥ずかしく申し訳ない。約半年の間にカタルーニャの歴史に触れ、catalánの存在の意味、バルセロナの人々のcatalánへの深い思いを知ることになった。カタルーニャ民謡、あるいはカタルーニャの詩人がcatalánで書いた詞を castellanoに訳して歌うことなど言語道断、ありえない話だった。地元の人達の日常会話はcatalánである。M先生と話しているところにお客様が来ると、いきなりその場の会話がcatalánに切り替わる。今の今まで通じていた話がまるでチンプンカンプンになる。しばらくすると誰かが「メグミのためにcastellanoで話そう」と言い出す。castellanoに戻った途端、アラ!不思議。一瞬にしてまた話が見えてくる…こんな具合だ。我々外国人にはやっかいだった。エレナは「catalánは発音がゴモゴモしていて嫌い!メグミ、よく歌う気になるわねぇ」と、敬遠していた。彼女に限らず、最初からcatalánに手を出さない外国人が多かったように思う。私には『夢のたたかい』『鳥の歌』という目標があった。あのメロディーを歌いたい!そのためには絶対にcatalánを避けては通れない。容赦なくシカトされる悲哀にもめげず、私は周囲の会話に耳を澄ませ続けた。何が功を奏するか分からない。この“行ったり来たり”のおかげで、そのうちに何となくcatalánが分かるようになった。公衆電話で話している人の話の中身が理解できた時には、自分でも驚いた。現地で言語を体感する?威力はすごい。M先生からレッスンのお許しが出たのは、ちょうどその頃だった
嬉しい思いの一方で、私は、外国人が得意気にcatalánで「Adéu(さようなら)」などと言った時に人々が見せる、ある種冷ややかな反応にも気づいていた。「Adiós」の時とは明らかに違う。「知ったような顔をして…」目の奥に無言の失笑がある。そばにいる私の方が気恥ずかしくなった。歌うからには、そんな一瞥を浴びるような演奏はしたくなかった。いよいよcatalánの世界へ踏み込む…。武者ぶるいを覚えた。catalánはcastellanoより母音の種類が多い。そのせいか、歌詞の響きに抑揚、陰影がある。曲調も柔らかく抒情的なものが多い。歌っていると、ついロマンチックな気分になる。しかし「No!」レッスンでは細かくチェックが入った。「そのアはもっと狭く」「そのエはもっと口を縦に開けて」「そのtは読まない」「 Otra vez!」口をパクパク、顎はガクガク、目もパチパチ…。M先生の発音猛特訓が再開された
しい出来事の二つめ。3月に音楽院のホールでリサイタルを開くことになった。M先生の伴奏で!しかも「グラナドス、モンポウなどスペイン人作曲家の作品を歌うように」と、指示が出た。スペイン人の前でスペイン歌曲を歌う…。半年前を思うと夢のようだ。「必ず、聴きにいく!」「お祝のプレゼント、何がいい?」三樹子さんもエレナも大感激。大喜びしてくれた
さらに、もう一つ、思いがけない話があった。“作曲家M先生”の楽譜出版のお手伝いである
(つづく)
  以上は、日西翻訳通訳研究塾のメールマガジン『塾maga2011年05月号(No.127)』に掲載されたものです