谷 めぐみ の 部 屋
 


 

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Hola Barccelona
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スペイン歌曲の歌い手

「谷 めぐみ」の歌修行 "Hola! バルセロナ" - その35 -

¡Hola! バルセロナ(35)
スペイン歌曲以外にリサイタルで歌いたい曲はないか?とM先生に問われ、私は大学時代の思い出の曲、H.Wolfの「Kennst du das Land?」を歌うことにした。大学4回生の一年間、歌うことそのものに疑問を抱き始めた私は、何故か真っ直ぐ心に入ってくるWolfの作品ばかりを歌っていた。外側から作るのではなく、内側で感じたものを歌いたかった。表現する、とは、そういうことだと思った。この願いが私をスペイン歌曲に導いた、ともいえる。迷い悩んでいた自分が、時を経てやっと解放されるような安堵感があった。本番が近づいてもM先生は普段とまったく変わらず、淡々とピアノを弾いていた。しかしそのピアノが醸し出すエネルギーはすごかった。M先生のピアノと一緒に歌うと百倍?千倍?一万倍?上手く歌える気がした。しかも、歌うたびに新しい発見がある。アパルタメントから、散歩がてらゆるい坂道を登ってご自宅へ伺い、レッスン室に飾られたヴィクトリア・デ・ロス・アンへレスがニッコリ微笑む写真を見上げ、M先生のピアノで歌う。なんと贅沢な時間だったことか…

日本から荷物が届いた。今度は郵便局での受け取りもスムーズに済ませ、アパルタメントに帰って段ボール箱を開けると、荷物の一番上に、大切に包まれた数枚の『日本民謡集』の筆字が入っていた。「何種類か書いてみた。気に入った字を選ぶように」と父からの手紙が添えられている

母に頼んだドレスも入っていた。黒地にスパンコールの大きな花柄が入ったお気に入りのドレス。久しぶりに着てみると…ムム!どうしたことだ?ファスナーが上がらない。無理やり引き上げると、胸がウッと締めつけられる。バルセロナでの暮らしに慣れ、すっかり居心地が良くなった私は、自分でも気がつかないうちにムクムクと太っていたのだ。そういえば、日本を発つ時にはいて来たジーンズのボタンが止まらない。あらためて鏡に向かってみると、顔がまんまるに膨らんでいる。顔面割れ治療薬の副作用かと思っていたが、どうもそうではないらしい。ふと昔、京都で見たピアノリサイタルの情景が脳裏に浮かんだ。はちきれんばかりのウエストにサッシュベルトを締めて登場したピアノスト嬢。曲も終盤、盛り上がったところで思いっ切り鍵盤を叩いた瞬間、プチーンとベルトが切れた。夢み心地で弾き続ける彼女。しかしその足元には、無残に引きちぎれ、吹っ飛んだベルトが…。私は歌うのだから、彼女よりもっと危険だ。いや、そもそも、こんなに苦しくては十分に息も吸えない。しかしリサイタルまで残された日はわずか。どこかの店でドレスを買い、サイズのお直しをしている時間はない。だいたいそんなお金の余裕もなかった。よし!私は部屋で毎日ドレスを着て、本番までに体をドレスに対応させる決心をした。(はたしてそんなことが可能か…?)

髪がまた問題だった。私はバルセロナへ来てから一度も美容院に行っていなかった。伸びた髪を輪ゴムで結わえ、前髪は台所備え付けのキッチン鋏を拝借して(スミマセン)自分で切っていた。経験がおありの方はお分かりと思うが、左右同じ長さにそろえて前髪を切るのはとても難しい。どちらかが長くなったり短くなったりする。それを修正するべく切り続けるうちに、前髪全体がツンツンに短くなる。ちょうどサザエさんの妹、ワカメちゃんの様相だ。「メグミさん、お願いだから、その輪ゴムだけは取って舞台に出てね」と、三樹子さんにも言われていた。横後ろ伸び放題で前髪はワカメちゃん…まずい。仕方がないので、髪だけは近くの美容院で何とかしてもらうことにした。街の中心部にはお洒落な店が沢山あったが、こちらはいかにも下町のパーマ屋さんといった店構え。一週間前に予約に行き「あまりにも伸びているから、本番前に一度カットしてもらった方がいいでしょう?」と尋ねると、店主のおじさんはこともなげに言った。「前もってカット?そんな必要はありません。当日来れば、舞台にピッタリのスタイルに仕上げてみせます。私にお任せください!」自信満々の明るい笑顔…。なにかイヤーな予感がした

(つづく)
  以上は、日西翻訳通訳研究塾のメールマガジン『塾maga2011年11月 合併号(No.133)』に掲載されたものです