谷 めぐみ の 部 屋
 


 

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Hola Barccelona
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スペイン歌曲の歌い手

「谷 めぐみ」の歌修行 "Hola! バルセロナ" - その37 -

¡Hola! バルセロナ(37)
「今夜はコンサートだから髪をきれいにしようと思って…」私が説明しかけると、M先生の奥様がご自分のバッグからサッと櫛を取り出した。「大丈夫。私が治してあげます」ところが…Dios, mio!美容師のおじさんが入念に固めた髪はカチンコチン。梳かすことも崩すこともできない。威風堂々、頭上に揺るがぬドームを築いている。奥様が肩をすくめた。どうしようもない。リハーサルが始まった。声の調子は悪くない。しかし、M先生一家の驚き果てた気配がひしひしと伝わり、私はおそろしく居心地が悪かった。日本では演奏会の前に美容院へ行くのは当たり前だけれど、スペインではそんな習慣はないのだろうか?そんなはずはない。カバリェもベルガンサも、たった今美容院から出てきました、みたいな頭をしている。でも、そういえば、ヴィクトリア・デ・ロス・アンへレスはいつも普通の髪形で歌っているなぁ…

午後9時開演。前のピソの住人、壇オーナーとマリア・ドローレス夫妻、イガグリ君、玉ネギ氏が聴きにきてくれた。あんなに楽しみにしてくれていた三樹子さんの姿が見えない。後で分かったことだが、彼女は、出かけようとした時に突然玄関ドアが壊れて来られなくなった。前にも書いたが、三樹子さん宅に関して、なぜか私は破壊魔だった。皿が割れる、などというやわな出来事では済まない。大型冷蔵庫が動かなくなったり、テラスの大きな窓ガラスに亀裂が入ったり…。私が本気で動くと、彼女の家の何か突拍子もないものが壊れるのだ。「メグミさん、凄いわね。いったいどんなパワーを隠し持っているの!?」彼女はいつも大笑いしてくれたけれど、ゴメンナサイ

M先生のピアノが鳴り始めると、私は、窮屈なドレスのことも、昭和初期風に膨らんだ頭のこともすっかり忘れてしまった。Granados、Mompou、Rodrigo、Wolfの作品を気持ちよく歌う。緊張を越えて本番が楽しい、というのは初めての経験だった。お客様は拍手大喝采。「彼女はついこの間までウチにいたんですよ。右も左も分からないので僕が全部面倒を見てね」などと、壇オーナーは周りの人に自慢している。「ビックリしたなぁ」ニコニコ笑顔のイガグリ君。「なかなかよかったですよ」クールを気取る玉ネギ氏。思えば、彼らがいてくれたから、私はとりあえずバルセロナでの生活を始められたのだ。ありがたかった。過ぎた7か月を振り返り、しみじみと感涙にむせぶ場面?いや、そうは問屋がおろさない。最後の最後までM先生一家は「キャベツ頭の衝撃」から抜け出せずにいるようだった。結局私もリサイタルの成功はどこへやら。心底ションボリしてしまった

数日後、『日本民謡集』の仕事でM先生のお宅にうかがった。いつものように見上げるヴィクトリア・デ・ロス・アンへレスの写真。やはり髪形は“普通”だ。「リサイタルはよく歌えていた」とM先生。そこで会話は終わり、キャベツ頭に関する言及は一切なし。奥様もマリアも髪のことは何も言わない。きっと思い出すのもイヤなのだ…。私は、泣き出しそうな気持ちを必死に堪えた。『日本民謡集』の作業は順調に進んでいた。「このままいけば予定より早く出来上がる。帰国前にどこかでミニ・コンサートを開くのはどうか?そうすれば、メグミのパパにも喜んでもらえると思う。メグミは歌う気があるか?」とM先生が言う。もちろん!だ。こんなに嬉しい話はない。「どこのサロンが使えるかな?」「今から予約が取れるかしら?」M先生と奥様が相談を始めた。急なので空いている場所が見つかるかどうか分からない、とのこと。ダメならダメでもいい、と思った。この無謀な留学とそれを支えてくれた多くの人たちの思いが結実し、影も形もなかった『日本民謡集』が、今、姿を現そうとしている。夢のようだった。それだけで幸せだった

「ところで」M先生があらたまった口調になった。「〇日は空いているか?」「空いています」「よろしい。では△時にウチへ来なさい。モンポウのお宅へ連れて行く。そこで彼の作品を歌うように」「歌うって、ご本人の前でですか?」「もちろん」「…」

(つづく)
  以上は、日西翻訳通訳研究塾のメールマガジン『塾maga2012年01月 合併号(No.135)』に掲載されたものです