谷 めぐみ の 部 屋
 


 

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Hola Barccelona
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スペイン歌曲の歌い手

「谷 めぐみ」の歌修行 "Hola! バルセロナ" - その45 -

¡Hola! バルセロナ(45)
私のドライブ報告話をひと通り聞き終えると、三樹子さんが言った。「相談というのは、M先生ご夫妻のことなの。お二人をお茶にお招きしてはどうかしら?メグミさん、どう思う?」エーッ!そんなこと、思ってもみなかった。三樹子さんにはM先生のことを話しているし、M先生にも三樹子さんのことを話している。つまり双方とも私を通じてお互いの存在を知っているけれど、直接の面識はない。M先生ご夫妻と三樹子さん、皆が一堂に会するなんて夢のようだ!しかし自宅にお客様を招くというのは厄介なものだ。あれこれ準備に手間がかかる。三樹子さんの言葉に甘えていいのだろうか?「うーん。でも…」私が躊躇していると、彼女は事も無げに言った。「メグミさんをこんなに大切にして下さった先生ですもの!友人の私がお礼をさせていただくのは当たり前のことよ。Por favor。お願いだから、遠慮なんてしないでちょうだい」日本の知人を介してバルセロナで知り合った三樹子さん。初めて会った時から私を大きく包み、大事に守ってくれた。生活のあらゆる面で彼女が頼りだったし、くたびれたりションボリしたり、と、心が萎えた時は、いつもさりげなく慰めてくれた。「何かあったら、夜中でも何でもとにかく連絡して」この言葉がどれほど心強かったことか。ただお世話になるばかりの私だったのに、最後に、M先生への感謝のお茶会まで考えてくれている。三樹子さん、本当にありがとう。「ウチになんか来てくださるかしら?そっちの方が心配だわ。だってヴィクトリア・デ・ロス・アンへレスの伴奏を弾いている方でしょう?かえって気を悪くなさらないかしら?」彼女が真顔で言う。「大丈夫!」M先生はそんな人ではない。私には自信があった。それどころか、大作戦に胸がドキドキする。翌日レッスンに行って伝えると、M先生は大いに驚き、喜んで招待を受けてくれた。奥様は興味津々の様子で私を質問攻めにした。「ミキコは何歳くらいの人?家族は?ミキコとメグミは昔から友だちなの?」etc。かくして翌週の約束の日、三樹子さん宅にM先生ご夫妻がやって来た。挨拶を交わすと、もう初対面とは思えない親しさ。オシャベリな私がそれだけ両方に両方の話を伝えていたということだ。三樹子さん心づくしのオードブル、サンドウィッチ、特製プリンをいただきながら話が弾む。音楽、絵画、趣味、スペインのこと、日本のこと、三樹子さんの二人の可愛いお嬢ちゃんのことetc。三樹子さんはジャンルを問わず“音楽”を愛していた。プレスリーからリセウ劇場のオペラまで、熱く語る彼女にM先生ご夫妻が感心している。「実は、ミキコはギターの弾き語りが上手なの」私が言うと、「オー!ぜひ聴かせてほしい」と、先生も奥様も身を乗り出した。「アラ…どうしましょう」ちょっぴり照れながら、愛用のギターを取り出した三樹子さん。「では、歌います。まぁヴィクトリア・デ・ロス・アンへレスのようなわけにはいきませんけど」お茶目に前置きをして、娘さんのために作った子守歌を弾き語りしてくれた。愛情いっぱいの歌詞、優しいギターの音色、ゆったりとした三樹子さんの声…。夕暮れのリビング、柔らかいソファ、三樹子さんの歌に聴き入るM先生と奥様と私…。まるで時が止まったような、穏やかで幸せな午後だった

後日、M先生が私に言った「ミキコは人生のartista(芸術家)だね」彼女の人となりを表すのに、これほど的を射た表現はない。あの寛容さはどこから来るのだろう。彼女が生きて来た波乱万丈の人生。どんな時も、どんな事があっても、絶対に人間を信じ、真実を信じ、前を向く。あふれる愛、真っ直ぐな心。姉のような、保護者のような、親友のような、まさにかけがえのないamigaだった。私の無謀な留学が稀に見る幸せな経験になったのは、M先生と三樹子さん、ひとえにこの二人との出会いのおかげである

帰国三日前、いよいよ最後のレッスンの日がやって来た。次の日からM先生は仕事でバルセロナを離れる。戻ってくるのは私の帰国の翌日だ。レッスンが最後なだけではなく、M先生のお宅に伺うのもご家族にお目にかかるのもこの日が最後、そんなスケジュールになってしまった。奥様は帰国の日に空港まで見送りに来て下さるという。Sala de Cienでの特別演奏会が終わった後も、M先生は忙しい時間の合間を縫ってレッスンをしてくれた。残された時間はわずか。あの歌もこの歌も歌いたかった。私にとっては一曲一曲が大切な宝物である。日本へ帰って、自分ひとりで歌い守って行くことが出来るのだろうか?東京と京都での帰国記念リサイタル開催がすでに決まっている。M先生は「心配ない」と言ってくれたけれど、他のピアニストの伴奏でスペイン歌曲を歌ったら一体どうなるのだろう?心の奥底で漠とした不安を感じながらも、私はまだ帰国を実感できずにいた。来週も再来週も、一か月後もその先も、ずっとずっとこの日々が続いてくれるような…。リビングで母上と話していると、M先生がいつもとまるで変わらない口調で言った。「Vamos a trabajar(さぁ仕事を始めよう)!」
(つづく)
  以上は、日西翻訳通訳研究塾のメールマガジン『塾maga2012年10月号(No.143)』に掲載されたものです