谷 めぐみ の 部 屋
 


 

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Hola Barccelona
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スペイン歌曲の歌い手

「谷 めぐみ」の歌修行 "Hola! バルセロナ" - その46 -

¡Hola! バルセロナ(46)
レッスン室に入ると、M先生が言った「来年の8月は何をしている?」そんなこと、分かるはずがない。帰国記念リサイタルの開催が決まっている以外、何の予定も目途も立たないまま、私は日本へ帰ろうとしているのだから。来年の夏に何をしているかなんて、こっちが質問したいくらいだ。「さぁ…」「市の担当者から、来年のGrecにメグミを呼びたい、という話が来ている。来る気はあるか?」Grecとは、毎年バルセロナで開かれる夏の音楽祭である。ほぼ一ヶ月の間、バルセロナ市内と近郊にあるホールを会場にして数えきれないほどの演奏会が開かれる。そのなかの一つに私を招聘してくれるというのだ。何という幸せ!「もちろん来たいです。でも…」不安がよぎった「伴奏はどうするのですか?日本から伴奏者を連れてくるのですか?」「¡Qué va!私が弾く」M先生は事も無げに答えた。嬉しい!一年後にバルセロナに戻って来られる!しかもM先生の伴奏で歌えるのだ!「来ます。何が何でも来ます!」どこにいようが、何をしていようが、すべて放り出して絶対に飛んでくるぞ!あぁ神様、ありがとうございます

「ではそういうことで。詳細はまた連絡する」いつものように、さっさとピアノの前に座るM先生。私も慌てて楽譜を取り出した。帰国記念リサイタルで歌うグラナドスやロドリーゴの歌曲を聴いてもらう。ひと通り歌い終えると、M先生は大きく頷いて言った「メグミはメグミの歌を歌えばいい。No te preocupes(何の心配もない)。一年間本当によく勉強してくれた。ありがとう」ありがとう、は、こちらの台詞だった。私はわがままな生徒だ。もしもM先生が尊敬できない先生、人間味のないイヤ〜な先生であったなら、いかにスペイン歌曲が好きであろうと、いかにピアノ伴奏が巧みであろうと、私は決して一生懸命に勉強しなかっただろう。大学時代、まさにこの理由で授業を放り出した前科がある私は、自分のそういう気まぐれさをよく知っている。スペイン歌曲を通して、M先生は私の心の奥の“音楽”を目覚めさせ、日本では味わうことのなかった“歌う喜び”を教えてくれた。本当に幸せな師との出会いだった。「渡すものがある」M先生がピアノの陰から何かを取り出した。「ご褒美だよ」…それは、レッスン室に入るたびに見上げていたあの写真、ヴィクトリア・デ・ロス・アンへレスとM先生の演奏会の写真だった。そういえば、と、見上げると、壁のいつもの場所が空っぽになっている。しかも写真には「Megumi Taniのために ヴィクトリア・デ・ロス・アンへレス」と、サインが入っていた。「ヴィクトリアにメグミが帰国することを伝えたら、快くサインしてくれた。日本に帰ってもずっとスペインの歌を歌い続けてほしい、と、言っていたよ」M先生が伴奏を務めているといっても、私にとってのヴィクトリア・デ・ロス・アンへレスは、どこまでも天上のDiva、永遠の憧れだ。そのDiva直筆のサインを貰ってきてくれるとは…。まるで知らん顔をしながら、実は、M先生は、いつもこの写真を見上げる私の心に気づいていたのだ。言葉が見つからなかった。本当にお別れなのだ…。初めて実感が湧いた。その時が来たのだ。「Quina tristesa fa(なんという寂しさだろう)」不意にモンポウの『Neu』の一節が口をついた。こんな時に歌詞が、しかもカタルーニャ語が出て来るとは自分でも驚いた。言葉というのは不思議なものだ。必死で格闘するうちに、いつの間にか脳と心の中でワインのように?熟成されているらしい。「Res no és mesquí(悲しいものは何もない)」M先生がカタルーニャ語の歌詞で答えてくれた。留学先がバルセロナでなければ、カタルーニャ語の歌を学ぶことはなかっただろう。『鳥の歌』を歌うこともなかっただろう。私をすっぽりと受け入れてくれた街バルセロナ。さようなら、愛しい日々…。思い出がいっぱいにつまったレッスン室をもう一度見まわす。深く優しい音色を奏でてくれたピアノ、楽譜がぎっしりと並んだ窓際の本棚、壁を飾るご家族の写真…。M先生はニッコリ微笑んだ。そして、もう一度言った「メグミはメグミの歌を歌えばいい。No te preocupes」

リビングではご家族が待っていてくれた。「メグミはバルセロナに家がある。来たい時にはいつでも自由に来られる。私達はいつでも歓迎する。そのことを決して忘れないように」厳めしい顔の父上はそう言って固い握手をしてくれた。「メグミは僕ら家族にとって特別な人さ。元気でね。また必ず会えるよ」息子さんはちょっぴり照れている。「寂しくなるね。いつでも帰っておいで」母上はそう言って私を強く抱きしめた。突然現れた無鉄砲極まりない日本人の小娘を、まるで身内のように大切に守り可愛がってくれたM先生のご家族。ただただ感謝の思いでいっぱいだった。「明々後日、空港で会いましょう」奥様が帰国の飛行機の時間を確認した。涙は似合わない。「Me voy(行きます)」「Hasta la vista」そう、Hasta la vista…また会う日まで。背中で、ドアが閉まる音がした。私は通い慣れた階段をゆっくりと降りた
(つづく)
  以上は、日西翻訳通訳研究塾のメールマガジン『塾maga2012年11月号(No.144)』に掲載されたものです