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スペイン語文法 番外編 (第一編)

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Monólogo de un pasota == Serie II -15A ==
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『馬耳東風』 第二編 (スペインの政経社編) 第15話のA

イ ラ ク 攻 撃 特 別 寄 稿 (その1) (本塾講師:碇 順治)

  遂にイラク攻撃が始まってしまった。こうと一言ったら頑として聞かないと言うのは、まるでお向かいの5才の子供と同じで、実に困ったものである。しかし、いまとなっては『GUERRA NO』などと言っている場合ではなく、撤退・終結、あるいは、ブッシュ米大統領(以下、ブッシュ)をはじめとするネオコンサバティブ(2003年流行語大賞の候補になるか?)の勝利というのはどうも気にくわないものの、いずれにせよ、一日も早い事態の収拾・終結を望むしかない。ともあれ、今回の騒動は私のようなものにも火の粉が降りかかってしまった。

  アスナール首相(以下、アスナール)の真意・心中を分析する前に、また、「何故?スペインがイラク攻撃支持なのか?」の前に、だいたいにおいて、日本国中の90%以上がこれまでアスナールの名前さえも聞いたことがなかったはずだし、ちょっと知ったか振りをしてみたところで、「スペインは貧しい国だろうから、アメリカに媚びを売って経済援助でも望んでいるのだろう」などとうそぶくくらいが関の山で、現状の正確な把握ができていないのが実状だろう。それだけ日西の関係が薄いのである。したがって、某ラジオ局から依頼を受けたときには、さてどのあたりから解説すれば良いのか大いに迷った。しかし、実際に与えられた時間は僅か7分しかなかったことから、現状を語るにとどめることにした。また、当日は録音だったことで、実際にオンエアーされたのは以下の半分位であることも併せてお断りしておこう。

  アスナール政権はかなり早い内から米支持の政策を打ち出していたことは、『e-yakuニュース』の読者の方々もご承知の通りだ。しかし、当初は、日本はもとよりアメリカのニュースでさえも、「米・英その他」との報道しかせず、まさか『米・英・西』の3国会談が行われるとは予想もしなかった。そんなわけで、攻撃が始まる前のブッシュの記者会見のバックには、スペインの国旗がすぐ後ろに置かれ、ブッシュにとっての最重要国の扱いがなされていた。

  番組側の興味はいくつかあった。彼らの疑問の一つに、「いつからスペインは親米派なのか?」があった。疑問はもっともだが、これはハッキリ言って的はずれな考え方だろう。確かにアスナールは保守派でもありまたタカ派でもあるが、彼もスペインも親米ではない。フランコ時代に米軍に基地を貸与し、その見返りに経済援助を受け、スペインは大いにその発展の基盤を作った。しかし、スペインはけっしてそれに対する恩を感じていないばかりか、敗戦国でもないのに基地があることを恥と感じると共に、反米意識は非常に強く、教育制度改革で英語を重視し始めたのはつい最近のことである。

  では、その頃から親米になったのか?否である。しかし、湾岸戦争の折りにもスペインの基地から米軍の戦闘機などが離着陸していたのは何故なのか?それはあくまでも二国間協定の枠を出るものではなく、反米でないことと親米であること(あるいは、どこかの国のように従属国であることを自負する)の間には大きな差があるので決して混同してはならない。

  もう一つの可能性として、アスナールは英国のブレア首相と家族ぐるみで大変親密な友好関係を保っているからなのか?これも否である。結論から言えば、今回の対イラク攻撃に関するアスナールの決断は、対国内テロ以外にはない。国民党は「テロ撲滅のために、テロに肩入れし、イラクが保有する大量破壊兵器がテロリストの手に渡る前にイラクをたたく必要がある」と公表してはいるものの、アスナールの真意は実際にはそれだけではない(但し、これは、また、以下に述べることは公にはされていないことも多く、私の推測の域を超えるものではないことを事前にお断りしておく)。

  米国同時多発テロ以降のアスナール政権の行動は実に素早かった。まずアスナール政権がとった策は、9・11の僅か1ヶ月後に、EU 理事会に対し、ETA支援グループをEUのブラックリストに盛り込むよう働きかけ、EUはこれを2001年12月28日に受け入れた。一方、常にETAがテロ行為の後に逃げ込むフランスとも協議し、捜査・逮捕・引き渡し・情報交換に関する二国間条約を2001年末までに締結してしまった。

  実は、スペインがEUのブラックリストに最も加えたかったのは、バタスーナ(ETAの政治部門)であったが、EU 理事会はこれを拒んだ。何故なら、バタスーナはスペインの法律に則った正規の政治政党であったからで、無論、アスナール政権は、提出したリストの中にこのバタスーナを入れたとは発表していない。しかし、その後、これが思惑通りに運ばなかったことを受け、アスナール政権は、このバタスーナの解体を、野党のPSOEの協力を得て、2002年の夏に政治政党法を改正することで可能にし、バタスーナに刑法を適用する形で非合法組織にしてしまった。

  確かに、アスナールは以前にETAの標的になったこともあり、九死に一生を得たテロの被害者としての実体験があるものの、けっして個人レベルの「復讐」とは何ら関係ない(ラジオ側はこの辺りを強調したかったようだが、そこにもスペインに対する認識の不足、つまり、スペインに関する情報不足が理由としてあるのは明白であるが、それは実に無理からぬことで、取り敢えずその場はお茶を濁す程度の返答をせざるを得なかった)。

  結論としては、スペインがイラク攻撃に積極的であったのは、スペインの国内問題の解消が大きな要因である。国内世論は反戦ムード一色であり、また、秋にはカタルーニャ自治州選挙や、来年には総選挙も控えている大切な時期でもある。一方、与党国民党でさえ今回の米支持の影響でアスナール支持は5ポイント下がったと発表しているくらいで、こうした事態が十分に考えられたにもかかわらず、このような政策をとったその真意(公の理由の裏にある意図)は、国内で長年の懸案となっているテログループETAを撲滅することであり、そのためには、国際的支持を取り付け、ETA問題を国際問題化することによって一挙に解消させることができるとすれば、今回の"暴挙"とも思えるアスナールの政策も、逆に、彼の、ひいては、国民党の大いなる勝利となることに違いないのである。

  つまり、これまで誰もやり遂げられなかったものすごいゴールを一点入れることができるわけだ。但し、そのためには、イラク攻撃が、ブッシュの目論み通り短期で決戦が付けば...の話であり、アスナールは、彼個人の政治生命も、また、国民党の与党としての地位をも投げうつような大きな賭に出たことになる。もっとも、外交の上手いスペインのことだから、対イラク攻撃の結果如何にかかわらず、米国との対テロ対策を継続できるような「裏取引」はできているのだろう。とはいうものの、もしブッシュが失敗すれば、あるいは、攻撃が長引けば、もう何年か前からくすぶっていた米国経済の未曾有の危機が表面化するのは目に見えているわけで、対テロ政策どころではなくなるのかも知れない。

  イラク攻撃(あくまでも一方的な武力の行使だと考えることから私は戦争とは呼びたくない。イラクも応戦はするだとうが、今回の騒動は単なるイラク攻撃で、スペイン語では、イラク戦争とは表現せず、『Guerra en Iraq』、つまり、『イラクという国の中での戦い』との認識)が開始され、更に新たな謎が浮かび上がってきたことを、蛇足ながらお知らせしておきたい。その謎とは、他でもない、ブッシュに3ヶ国会談まで開かせておいて、『どのような弁解をし、スペインは戦闘に参加せずにすんだのだろうか?』である。

  歴史に詳しい方なら、きっと、1940年10月23日のヒトラーとフランコのエンダヤ会談を思い出されたことだろう。確かに、アスナールの態度は、ヒトラーの参戦要求に対し、言葉巧みに拒否したフランコのイメージとダブってくることは否めない。アスナールは、国民に対しても言葉巧みに「スペインは『人道支援』での出兵のみ」であることを訴えているが、はたして本当にそうなのだろうか?それだけで彼が望むスペイン国内のテロを国際化できるのだろうか?イラク攻撃が終結しなければ答えが出ないことではあるが、もし、早期決着が付き、さらに、ETAのテロを国際化させることができれば、次期首相候補が誰であれ、2004年以降もPP政権が維持されることはハッキリするのだが。

  最後に、これを書き始めてからイラク攻撃が始まり、新局面に入ったことから、ラジオのインタビューとは関係のないことも含めた執筆になったことをお断りしておく。(文責:碇 順治)

  以上は、本塾のメールマガジン『e-yakuニュースNo.29(2003年03月末号発行)』に掲載されたものです
  

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