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スペイン語文法 番外編 (第一編)

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Monólogo de un pasota == Serie II -15B ==
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『馬耳東風』 第二編 (スペインの政経社編) 第15のB話

『アスナールにフランコの影を見る』 (『イラク攻撃特別寄稿』その2)

 シリーズのII-13から始まった『スペインの陪審裁判制度』ですが、前号のII-14では、この制度の背景知識を養っていただくためにということで、大学の勉強に集中するために休塾中の須田 孝恵さんに『日本の陪審裁判制度』についてレポートを寄稿していただきました。反響が大きく、大変喜んでおります。

 さて、本来ならば、『スペインの陪審裁判制度』(その2)を掲載すべきところですが、本塾碇講師の『イラク攻撃特別寄稿』も大変大きな反響があり、『謎が解けた』等のメールを多くの方から頂きました。そこで、「柳の下にドジョウが二匹」いるとは思えないのですが、ご本人も満更でもなさそうで、碇講師より『イラク攻撃特別寄稿』(その2)として表記のタイトルで原稿が来ていますので、これを掲載することになりました。『スペインの陪審裁判制度』の続きを期待しておられた方々にはお詫び申し上げます。以下がレポートです。


イ ラ ク 攻 撃 特 別 寄 稿   (本塾講師:碇 順治)

『スペインはなぜイラク攻撃に参加しなかったのか?』
 (『イラク攻撃特別寄稿』その2)

 去る3月20日に開始されたイラク攻撃ももう1ヶ月が過ぎてしまった。短期決戦の期間については、どこかのニホンザルのそっくりさんが「1週間以内」などとうそぶいておられたものの、それについては、ご本人とその取り巻きのネオコン連中はもとより、誰もそんなことを鵜呑みにするはずもなく、3ヶ月以内ならば上出来説はすでに一般化していた。しかし、どうやら、短期決戦は果たされたようだ。しかし、これですべてがアスナール首相の思惑通りに運んでいるとは言い難い。特に、国内に関して言えば、アスナールに対する国内の反発はことのほか大きかった。『5月25日のマドリ−ド地方選がいかなる結果に出るか』を見極める必要があろう。ともあれ、標記について、今月と来月の2回にわたって少し考えてみたい。

 米・英・西3国首脳会談では、「いつどのように攻撃を開始するか」の最終の詰めがなされたわけで、スペインも攻撃に加わるものと誰もが思ったに違いない。ブッシュとしても、それでなくては「スペインを世界の列強の仲間に入れてやった意味」がないからである。実は、正直申し上げて、筆者もそう思っていた一人だった。しかし、翌月曜の国会に現れたアスナールの口から出たのは、「我が国は、後方支援部隊は送るが攻撃には参加しない。出兵もあくまでも人道支援としての国際貢献のため」であった。メディアもさぞかし驚いたのだろうが、その理由はあまり報道されなかった。なぜ話題にならなかったのかの真意は不透明だ。おそらく、そんなことよりも、攻撃がいつ始まるのか、そして、その後即時に始まった攻撃報道の方が優先されたのだろう。

 スペインのメディアもこの点についてはほとんど追求せず、一方、野党側も、たとえ後方支援であっても、現実に軍隊派遣の責任追及を盾にする方が、アスナール打倒には得策であったし、反アスナールを煽る方が、世論を味方に付けやすい。つまり、スペインでも学生を中心に反戦デモが各地で行われたが、それ自体にはあまり大きな意味(学生にとってはエネルギー発散の格好の機会でもあり、平和を口実に『公の』休講にもなる)はなく、世論も武力的・ブッシュ的な攻撃には反対ではあっても、『国連決議をこの10年間無視し続けてきたイラク』を由とはしていないのも事実(この辺りの実に現実的な視点が日本とは違う)であるので、ここで、「アスナールさん、あなたは攻撃不参加についてどのようにブッシュさんと、それからあなたの大親友であるブレアさんを説得したのですか?いやー、よくやりましたね」と言うはずはなく、来年に控えた総選挙で政権を奪回したい社労党の意向と、世論の「反親米・反戦争」機運が一致したことで、このアスナール『英断』については誰も取り上げていない。そこで、どのようにして『僚友(戦友)たち』をアスナール首相が説得できたのかをあえてここで考えてみたいが、その前に、いつの時点で不参加を決意したのだろうか?をまず考えてみたい。

 アスナール首相がイラク攻撃不参戦をいつ決意したのかについて、以下に三つの仮説を立ててみた。仮説その一としてまず考えられることは、2月にブッシュの故郷テキサスに招待されたときにアスナールの計画(条件)はすべてブッシュに話されていたことである。つまり、「米支持」の政策を打ち出した時点ですべての計画は立てられていたということである。仮説その二は、親米政策を明確にはしたものの、独仏が最後まで攻撃反対の態度を改めなかったことで、EU内でのスペインの立場を憂慮したことである。仮説その三としては、3月16日の会談に赴く直前に決断した。つまり、あまりにも国内が反戦ムード一色であり、攻撃への反対意志が思ったよりも大きく、これでは来年の総選挙は乗り切れないと判断したことである。以上の3つの仮説が成り立とう。(...続く)(文責:碇 順治)

  以上は、本塾のメールマガジン『e-yakuニュースNo.30(2003年04月末号発行)』に掲載されたものです
  

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