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スペイン語文法 番外編 (第一編)

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Monólogo de un pasota == Serie III -01 ==
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第三編 『スペインの慣用句』 (その一)

  慣用句は、基本的に2語以上の単語で構成さています。しかも、通常の意味以外、つまり、比喩的な特別かつ独特の意味を持つものがほとんどです。いわゆる『言い回し=DICHOS』や『諺=REFRÁN』、或いは、『名言・金言=DICHOS o EXPRESIONES CÉLEBRES』とも異なり、熟語でもありません。『LOCUCIÓNとかEXPRESIÓN IDIOMÁTICA』と呼ばれるのが常です。日本語も同様ですが、慣用句の知識の多さで、会話も、また、文章もグンとグレードがアップします。スペインで使用される山ほどある慣用句を日本語でどう訳せばいいのかをこのシリーズでご紹介します。すべては紹介できませんが、気長に購読を続けて下さい。その代わり、といっては何ですが、できるだけ例文や、理解を容易にするような解説を付けようと思っています。

  まずそのトップバッターですが、こんなのはどうでしょう?『estar en el ajo』。直訳すれば、『ニンニクの中にいる』ということになりますが、害虫だっていやがるニンニクの中に人がいるわけないはずですから、直訳の意味でないことは明らかです。このように、通常では『ありそうにもない』表現。これが慣用句の判断基準です。いくら文法的に正しいスペイン語でも意味としては成立しないようなものは慣用句ではないか、と疑ってみるべきです。

  この場合だと、当然『ajo』で辞書を引くわけですが、これは今後も様々な例文でご紹介していきますが、冠詞があるかないか、あるいは、定冠詞か不定冠詞かのみの違いで意味が変化するなど、大変微妙に異なりますので、辞書に似たものが載っていたから、と勝手に決めつけると危険です。とにかく『慣用句』ですから、そのものズバリでなければまったく違った意味になります。一方、『ありそうな状況』や『想像範囲内』、或いは『言われてみればなるほど』といった慣用句もたくさんありますので、その表現をそのまま覚えるしかありません。

  日本語の慣用句にも『耳が痛い』なんてのがありますが、ケガでもしたのでしょうか?確かに、そういう場合もあるでしょうから、必ずしも慣用句的使用方法のみではないものもありますが、『二枚舌を使う』なんていう『ありそうにもない』ものもあります。誰が二枚も舌を持っているのでしょう?(誰です?おまえだろうなどと言っているのは?)水木茂が描く妖怪でもあるまいし...、二枚も舌を持っている人間などあろうはずがありません。そう、これが慣用句=『LOCUCIÓNとかEXPRESIÓN IDIOMÁTICA』なのです。

  現実問題として、これらのスペイン語の慣用句を日本語の固定した言葉(慣用句調)に置き換えるというのは不可能な話です(無論その逆もしかりです)。日本語の慣用句もそうですが、慣用句の裏には山のような背景とニュアンスがあるもので、別の言語で慣用句的な表現でまとめられないのです。したがって、ここでは、その慣用句が持つできるだけ詳しい説明をすることにします。もっとも、皆様の理解を高めるために、今後、できるだけ日本語の慣用句などの表現に近いものを探して提示する努力もしてみましょう。

1. estar en el ajo:

  使用例:No creía que él estaba en el ajo.
  例訳:彼が仲間だったとは思わなかったよ。
  意味:『秘密裏に何かに荷担している・秘密のグループの仲間か共犯者でいる・実状に詳しい・熟知している』などですが、必ずしもそのグループは犯罪組織のような社会的に悪いとされるグループである必要はありません。つまり、日本語にも慣用句として『造詣が深い』などというのもありますが、『estar en el ajo』の場合は、何かのグループの中で、その内情に詳しいと言う意味が強いように思われます。例えば、

  使用例:No le expliques nada del fútbol porque ella estuvo en el ajo.
  例訳:彼女にはサッカーについて何も説明する必要はないよ。彼女はその業界にどっぷり浸かっていたのだから。

  この例題の場合は、『造詣が深い』でも使えそうですが、故意に違った表現にしてみました。

  ありそうもないといえば、次の例も同じようなものだ。鳥を頭の中に山ほど飼っている人はいないわけだ。

2. tener la cabeza llena de pájaros=tener pájaros en la cabeza

  使用例:Ese hombre siempre tiene la cabeza llena de pájaros.
  例訳:あの人はいつも夢を見ているようだ。
  意味:『現実離れしたことばかり考えている』

  つまり、ファンタジックなことばかり考えているわけで、何を言っても、判っているのかどうか、まったく上の空、と言うか、まるで別世界にすんでいるような人のことを言うわけだ。

  ほかにもまだこのありそうにない状況というのはある。まずは、tener sangre de horchata = no tener sangre en las venasで、この二文は、同じ意味だが、現在は前者の表現が好まれるようだ。オルチャータ(白い色をした飲み物)の血を持っている、とか、欠陥に血液が流れていないなんていうのものだ。

3. tener sangre de horchata

  使用例:Esa muchacha tiene sangre de horchata en cualquier circunstancia.
  例訳:あの娘はなにがあってもキョトンとしている。
  意味:『まるで無関心であるかのように、しっかりとしたリアクションができない』

  反応が鈍いというか、何にも目もくれないというか、とにかくまともな赤い血が流れていないということを言いたいわけだ。

  ほかにもまだこのありそうにない状況というのはある。次は、tener sangre azulだが、ブルーの目をした人は外国人にいるが、いくら何でも血が青い、と言うのはありそうにもない。吸血鬼なら別だが。

4. tener sangre azul

  使用例:Esa anciana aunque vive debajo del puente tiene sangre azul.
  例訳:あの老女は橋の下には住んではいるけれど、貴族の出なんだ。
  意味:『高貴な血、貴族の血統、貴族の出』

  これは、そのものズバリで、赤い血の通った通常の人間ではなく、偉いお方の血はきっと赤くないんだと言うところからきているのでしょうか。それとも、空の上(雲の上)の人と言うところからなのでしょうか?

  さて、今回は初回なので、まえがきに重点をおいてしまい、慣用句の数が少なかったのですが、次回からは、ズバリ慣用句を中心にシリーズを進めていくことにしますので、今回はこれにて、御免。(文責:ancla)


  以上は、本塾のメールマガジン『e-yakuニュースNo.16(2002年2月末発行)』に掲載されたものです

 

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