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スペイン語文法 番外編 (第一編)

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Monólogo de un pasota == Serie III -07 ==
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第三編 『スペインの慣用句』 (その七)

   さて、過去3回にわたってご紹介してきた動物が登場する慣用句のシリーズも今回で一応終止符を打つことにして、次回からはまた別の慣用句をご紹介しよう。

1. 『volverse mico』
    《mico》という動物を使った慣用句は、実はこのシリーズの4ですでにご紹介した。『hacer el mico(=物笑いの種にする(なる)・バカをする・おどける)』だったが、覚えていただいているだろうか?《mico》は長いしっぽでいつも枝にぶら下がったりしている尾長猿のこと。この滑稽な動物はどうも慌て者というか、知能が低いのだろうか。直訳すれば「尾長猿になる」であり、長じて「尾長猿状態になってしまうよ。どうしよ〜〜〜う」ってとこだろうか。下の例1)のように、何か動きのある動詞の現在分詞を《mico》の後につけて使用するのが一般的で、意味としては、『お手上げ・どうして良いか判らない』となるが、「何かをするのに大変な時間と手間がかかる」といった時間的な混乱が意味の中には含まれている。また、例2)のように、『para+inf.』でも使用される。

   例1) Me volví mico buscándolo.
      (それを探して右往左往したよ)

   例2) Vas al quiosco y no encuentras nada. El dueño se vuelve mico para encontrar algo.
      (お前さんがキヨスクに行くが何も見つからない。店のおやじは何とか見付けようとするもののどうしようもない)

2. 『volar el pájaro』
    さて、動物シリーズの最後には、鳥類と魚類に登場してもらおう。まず《pájaro》だが、これも第1回で『tener la cabeza llena de pájaros』を紹介した。また、超有名な表現で慣用句というよりも諺に近いもので、『matar dos pájaros de un tiro(=一石二鳥)』があり、《pájaro》はここに紹介できないものも含め慣用句にはよく登場する。しかし、ここでは余り知られていないこの『volar el pájaro』にあえて登場願うことにした。直訳は何のことはない「鳥が飛ぶ・鳥は飛ぶ」であって、そっけないものなのだが、「鳥が飛び立って行ってしまった」という状態を利用し、『消え失せる』という意味で使用される。

   例) Cuando llegó la policía, el pájaro había volado.
      (警察がやってきたときには、犯人は遁ずらした後だった)

3. 『acostarse con las gallinas』
    最近はどこの町も都会化してしまい、それほどではないにしても、人間に最も近しい鳥類といえば、やはり、ニワトリだろう。とはいえ、「雌のニワトリと一緒に寝る」のは御免被りたい(いや、絶対にしたくない)ものだ。動詞『acostarse』には裏の意味もあるものの、基本的には「横になる、つまり、就寝に付く」という意味で、読者が考えているようないかがわしい意味合いではない。単純に「ニワトリと共に床につく」と考えれば納得できる。つまり、『早寝をする』という意味で、わざわざ例文を出すまでもないが、一応一つ上げておくと、

   例) Mi mujer se acuesta con las gallinas todas las noches.
      (家内は毎晩早寝なんです)

4. 『en menos que canta un gallo』
    雌のニワトリだけでは片手落ちなので雄にも登場してもらおう。この慣用句もまた非常に有名なものだ。臆病者や気の小さな人を《gallina》と呼んだりするが、《gallo》の方はその逆により力のある人や勇気ある人を指す。よって、『cantar la gallina』という慣用句もあるほどで、これは『白状する』という意味で使用される。これは、新約聖書マタイ書にある、イエスがペトロに仰せになった『今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言うであろう』を彷彿とさせる慣用句だ。つまり、脅されるとすぐに鳴いて(白状)してしまうというわけだ。《gallo》はアッと言う間に鳴くらしいく、慣用句の意味としては、単に『たちまち・一瞬のうちに』ということになる。

   例) Se lo dije y lo hizo en menos que canta un gallo.
      (そう言ってやったら、瞬く間にそうしたよ)

5. 『pagar el pato』
    愛嬌のある鳥として人気があるアヒルだから、いくつか慣用句もあるが、あまり良い意味を持つものがないのが不思議だ。まあ、もっとも、愛嬌があるという印象を我々が持っているのは、ドナルド・ダックのお陰なのかもしれない。ともあれ、「アヒルを払う」といわれても、もう一つ意味がつかめない。それもそのはずだ。この《pato》、実際は《pato》ではないようだ。元々は『pagar el pacto』が語源のようで、長い年月の間に、いつの間にか“c”が発音から抜けてしまい、《pato》で定着したようだ。つまり、「何かの約束事《pacto》を守らなかったのでその責任をとる」というのがこの慣用句の基なのだが、現在は、『(身に覚えのないことで)責任をとらされる・身代わりになる』という意味で使用されている。

   例) Es cierto que en la administración hay gente que trabaja mucho pero normalmente el que paga el pato somos el pueblo.
      (お役所の中でもしっかりと働いている人がいるのは確かだが、尻拭いさせられるのはいつも我々市民だ)

6. 『pelar la pava』
    「七面鳥を剥く」とはいっても、無論、その羽をはぐことを言っているわけで、「羽を」とは書いていないから、日本語訳をする場合も「七面鳥を剥くとだけしか訳せません」等というような頭の固い人に対し、翻訳とは何かを理解していただくには打ってつけの表現かも知れない。それはさておき、この慣用句の意味は、『(恋人同士が)愛の語らいをする・いちゃつく』という意味だ。ウ〜ン、どうしてそんな意味になるの?だろうか。本当の話か否かは定かでないが、あるアンダルシアの町で、「七面鳥の羽を剥いで頂戴」と命じられたお手伝いさんが、家の中で剥ぐと家中が羽だらけになるので、外に出て庭の柵のところでこの作業に精を出していた。そこに彼女の恋人がやってきて、二人は話を始めた。お手伝いさんがなかなか戻らないので、奥さんはしびれをきらせ、「七面鳥はどうしたの?」と尋ねたところ、お手伝いさんの答えが、『sigo pelando la pava(七面鳥の羽を剥き続けている)』というものだった。実のところ、彼女は仕事そっちのけでカレシといちゃついていた。そんなところから、この『愛の語らいをする・いちゃつく』という意味を持つようになったらしい。但し、家の中などではなく、通りや人の目に触れるような場所でいちゃいちゃしている場合にのみ使用されるのでご注意を。

   例) Esa pareja aún sigue en el parque pelando la pava.
      (あのカップルはまだ公園でいちゃついています)

7. 『como pez en el agua』
    この慣用句については、もう何も言う必要もないだろう。魚が悠々と泳ぐ様を見て羨ましいと思うのは、古今東西、同じらしい。直訳は「水の中の魚のように」であって、これだけで十分に理解できる。日本の慣用句では『水を得た魚のように』があり、気持ちよく生き生きとした様を言う。

   例) No pienso mudarme. En este barrio me encuentro como pez en el agua.
      (引っ越しなんかする気はないね。この辺りはとても自分にあっているんだよ)

8. 『estar pez (en〜)』
    「(〜については)魚である」と突然言われても...。まあ、もっとも、動詞が《estar》なので、「魚である」ではなく「魚になる」がより正確かも知れない。いずれにしても、たとえ一時でも良いから魚になって気持ちよく水の中を泳いでみたいという気持ちは大いに理解できる。しかし、「(〜については)魚になる」なんて都合の良い表現が出来るというスペイン語は便利だ。娘に「ねえ、パパ、この方程式がわかんないんだけど。教えてよ」と言われれば、早速この慣用句を使えば逃げられるからだ。つまりだ。『〜に関してはまったく無知である』というのがこの慣用句の意味なのだが、そうハッキリと告白するよりも、『パパお魚さんになっちゃった』といった方が、罪の意識も和らぐし、可愛いくもあり、また、「パパは実はおバカさん」というのも生々しくなくて良い。しかし、和訳の場合、この魚を生かして訳せないのが残念だ。この際だから、「私それについてはまったく無知でして...」と頭をかくのをやめ、『実は、私、それについてはお魚さんなんです』でもって日本でも通じるようにならないものだろうか。

   例) A mí no me preguntes de eso que estoy pez.
      (それについては質問してくれるなよ)

   さて、今回はここでキーを打つのを止めよう。外も暗くなってきたようだし。次回からのシリーズを何にするか、あるいは、アットランダムに紹介していくか、実は、今のところまったく考えていない。そのうち何か浮かぶだろう。では、読者諸氏からの質問や意見をお待ちしている。(文責:ancla)

   以上は、本塾のメールマガジン『e-yakuニュースNo.23合併号(2002年9月末発行)』に掲載されたものです

 

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