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スペイン語文法 番外編 (第一編)

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Monólogo de un pasota == Serie III -12- ==
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第三編 『スペインの慣用句』 (その十二)

      前回は突然掲載できなくなってしまい、このシリーズを楽しみにしておいでの皆様には大いにご迷惑をおかけしてしまったことをまずはお詫びしたい。なんといっても、このシリーズがこの『e-yakuニュース』の中では一番人気があるらしいので、それをお休みにするというのは、実に心苦しかったのだが、世界情勢がこんなところにも影響を及ぼしているわけで、致し方のないことだろう

      さて、気を入れ替えて、今回も引き続き自然界をテーマにした慣用句を扱ってみたいが、すでにお気づきのように、スペインの慣用句シリーズも、今回で丸1年を迎えた(先月のお話)。このシリーズを始めようと思ったときに、何回まで続けるかなど考えてもいなかったが、この調子だとまだまだ続きそうだ。今後とも何卒『ご贔屓に』

1. 『estar en las nubes』

      「雲の上にいる」ときっと気持ちいいだろう。「雲にのりたい」などといった歌謡曲もあった。しかし、実際は雲には乗れない。山の上に行くと、時折膝から下だけ雨が降っていたりするが、あれは、雨雲が足下にあるからで、雲に乗っているようで乗っていない。もっとも、雲に乗ってはいなくとも、「雲の上にいる」ことには違いないかも知れない。日本語でも、殿上人、つまり、高貴な人や皇族などを雲上人といったり、そこから派生して映画スターだとか、自分には手の出せない愛しい人のことを比喩的に『雲の上の人』などと言ったりする。なるほど、スペイン語でもこうしたことをこのように表現するのか、っと、納得して読むのをここでやめると大変なことになる。そうではないのだ。スペイン語の「雲の上にいる」は、同じように「空の上」でも『上の空』というわけで、スペイン語と日本語は逆だということを忘れていただいては困る。日本人は風呂に入る前に服を脱ぐが、スペイン語人は風呂から上がってから服を着るのだから。???「ほら、そこの人、変に納得しないように。人の言うことをしっかり聞いていないと馬鹿をみるよ」

      例) Nunca oye las explicaciones de la profesora porque está siempre en las nubes.
            (やつはいつも上の空で女教師の説明をまったく聞いてなんかいない)

2. 『a piedra y lodo』

      「石ころと泥に」?え?それがどうしたの?と言う感じで、どうもピンとこない。この慣用句の意味は最初に発表しておかないと予想できそうにない。意味は、今流行の、もとい、現代の社会問題でもある「とじこもり」に関連した慣用句で、『完全に閉じこもる』がその意味だ。「石ころと泥でどうして閉じこもれるのか?」という疑問はもっともだ。ワラで作った家も泥で作った家もオオカミの一吹きでいっぺんに吹き飛んでしまうから、石ころを泥で固めただけでは大いに心配だ。しかし、ご心配ご無用。この慣用句の《piedra》は、同じ《piedra》でも、建築用の石切の石《sillar》のことであって、かなりしっかりしたものだし、さらに、《lodo》も普通の《lodo》ではなく、《argamasa》というセメント+砂+水で作った、そう、一般にモルタルと言われる《lodo》のことなので、オオカミが来ようが、怖いお母さんが来ようが、じっと閉じこもっておられて安全というわけだ

      例) Mi hija está encerrada en su habitación a piedra y lodo.
            (私の娘はピッタリと戸を閉めきって自分の部屋に籠居している)

3. 『tirar piedras a su propio tejado』

      直訳でもこれは何となく分かるような気がしませんか?「自らの家の屋根に石を投げる」わけですから、子供の頃、下の虫歯が抜けたときに家の屋根にお父さんがその抜けた虫歯を投げてくれたりしませんでしたか?もっとも、最近は『屋根』がない団地やマンションなどに住む人も多いので、こうした昔ながらの風習を続けることは不可能かも知れません。いやいや、この慣用句は虫歯とも、風習とも何ら関係はない。映像的には、日本の慣用句の「天を仰いで唾(ツバキ)す」というのと似ているようだが、日本の場合には、ツバキをするのは、人に害を与えようとの意図でのことで、その結果として、他人を傷つけるどころか、自分の身にそれが返ってくる、という意味で、スペイン語の場合は、もっと直接的な意味合いがあり、『自分の不利になることをする(言う)』となる。日本語にも『身から出た錆』や下のような慣用句もある

      例) Si admito que incurrí en negligencia, estoy tirando piedras a mi propio tejado.
            (サボったことを認めれば、墓穴を掘ることになるよ)

4. 『menos da una piedra』

      この慣用句の場合、直訳というか、字面だけで訳したのでは何らの意味もなさないどころかまったく意味が通じないので、本来の意味を汲みつつ訳すと、「石ならもっと少ない価値しかない」となる。つまり、「いかなるものでも、石ころよりは価値がある」のだから、といことになり、日本語の口語体だと、『なんにもないよりまし』というのがこの慣用句の意味となる。日本の慣用句には少々難しい表現で、『以て瞑すべし(もってめいすべし)』というのがあるが、「瞑す」は安らかに死ぬことを意味するので、若干ニュアンスのずれがあるかもしれない。そこで、この慣用句が持つニュアンスをよりいっそう分かっていただくために、少々長く説明的になるかも知れないが、以下の例文に、別の慣用句二つを重ねて使用し、次のような訳を付けてみた

      例) La empresa no me va a retribuir por este trabajo, pero me paga todos los gastos del viaje. ¡Menos da una piedra!
            (会社はこの仕事では一銭も払ってくれないが、出張の経費はすべて面倒みてくれるんだから、結構毛だらけ猫灰だらけとまではいかなくとも、御の字とすべきだな)

5. 『estar (una persona / cosa) sobre un volcán』

      1のように、雲の上ならまだしも、「(人でも、それがたとえモノであっても、)火山の上にいる」というのは、けっして穏やかな話ではない。というよりも、そんな状況なら生死にかかわる。しかし、慣用句としての意味はそれほどのことはなく(表現が大袈裟なのはラテンの血が得意とするところだ)、この慣用句は、『一触即発の状況である』とか、『非常に危険な状況にある』という意味だが、そのニュアンス・意味が訳出できていれば言葉自体はいかようにでも、というのは翻訳の基本だから、絶対に『深淵の縁に追いやられている』とか、『薄氷を踏む』などのように、日本語の慣用句で対応しなければならないと言うことはない。尚、この慣用句が持つ意味をいっそう良く理解していただくために、例文を2種類上げておこう

      例-1) Desde que llegó Zapatero en la cúpula del PSOE, Aznar está sobre el volcán.
            (サパテロが社労党のリーダーになってからというもの、アスナールは風前の灯火だ)

      例-2) Actual situación mundial es muy tensa, vivimos sobre un volcán.
            (現在の世界情勢は極めて緊張状況にあり、累卵(ルイラン)よりも危うしである)

      今回はこの辺で終わりにしよう。次回からのキーワードはまだ考えていないが、いずれにしても、今後とも読者諸氏に楽しく読んでいただけるようなものにしていきたい。ご質問やご意見をお待ちしている。(文責:ancla)

      以上は、本塾のメールマガジン『e-yakuニュースNo.30号(2003年04月末発行)』に掲載されたものです

 

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