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スペイン語文法 番外編 (第一編)

馬耳東風 (第二編) スペインの慣用句 (第三編) マヤ暦のページ


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Monólogo de un pasota == Serie III -20- ==
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第三編 『スペインの慣用句』 (その二十)

     さて、今回もしつこく動詞をキーワードにした慣用句をみてみることにしよう

1. 『faltar poco para』
     これまでにもいろいろと慣用句をご紹介してきたが、これほど簡単というか、分かり易いのも珍しい。そんなに簡単なものならやるなとお叱りを受けるかもしれないが、別に手抜きのつもりでも何でもない。こういったのもあるのですよという一例である。《faltar》は「〜が不足している・足りない」であって、おなじみの前置詞《para》が「〜のために」、《poco》は「少ない・僅か」なので、これを総合すると、正確な訳語は、いつもの通り、前後の文脈で変化するが、意味としては、『〜のためには僅か足りない』ということになる。つまり、文字通りの慣用句というわけだ

     さて、これだけでは少々つまらないので、もう少し関連事項をお話ししよう。勘の良い読者ならばもうお気づきだとは思うが、前置詞《para》の後に動詞が来ると、そしてそれが活用される状態になると、これはもう、例の、おきまりのやつだ。そう、接続法の用法で使用される構文である。無論、《para》の後が動詞の不定形ならば何ら問題はないが、活用させるとなると、これは、《que》のあとが接続法を用いることになる。以下に両方の例を挙げておくことにしよう

     例-1) Falta poco para que terminen las vacaciones.
          (バカンスが終わるにはもう僅か)→(もう後少しでバカンスもおしましだ)
     例-2) Me faltó poco para ser un actor de cine.
          (映画俳優になるにはもう少しだった〈私が〉)→(もう少しで映画俳優になっていた)

2. 『el mismo que viste y calza』
     大変理解がしやすい慣用句の後に、またしても、慣用句らしい慣用句が出てきた。今回も引き続いて動詞をテーマにしているが、その動詞の形態が直説法現在形という最もプリミティブなものであるにもかかわらず、理解に苦しむ。まずは直訳してみよう。「服を着、靴を履くところの同じ」??? そうなのだ、問題は、「なにが同じなのか?」のようだ。ここをクリアーすれば分かるかもしれない。そこで、思いつかねばならないのが、何故して《mismo》に定冠詞がついているのか?ということだろう。《el mismo》??どこかで一度くらいはみなさんも耳にしたことがあるかもしれないこのフレーズ。「あなたがアントニオさんですか?」 「Sí. El mismo.(はい。本人です)」。な〜るほど。あの《el mismo》なんだ。と言うのが分かったところで、では、その後に続く《que viste y calza》はなに?当然、構文的には、「服を着、靴を履く」が《el mismo》を説明しているので、「服を着、靴を履く、その人、本人であります」となるわけで、本来ならば、《el mismo》だけでよいところを、「自分で服も着ますし、靴も履きます、その自分であります」っと、少々おどけて強調する表現である。例文は先にも挙げたが、今度は性を変えておこう

     例) ¿Es la novia de aquel cantante famoso? Sí, señor. ¡Es la misma que viste y calza!
          (あの有名な歌い手の彼女だって?その通り。なんと、ご本人様ですよ。)

3. 『visto y no visto』
     現在形が終わったばっかりだというのに、今度は過去分詞ですか。少々急な変化ではありますが、まあ、いいでしょ。《vestir》の現在形の後だから、その過去分詞でしょう。 ??? みなさん結構間違えるのですよ。《vestir》の過去分詞は《visto》ではなく、《vestido》です。《visto》は《vestir》の過去分詞ではなく、直説法現在形第一人称の活用形であって、これはスペイン語圏の子供たちの間でもよく間違えると言いますから、日本人である我々が間違えるのも仕方のないことでしょう。耳で聞いた音や目で見た形が似ているからですが、目で確認するのも大切ですが、やはり、意味で感じ取らねばならないのですが、感じるのはなかなか外国人には難しいと言うわけです。それにしても紛らわしいですね。無論、過去分詞形と他の活用形が同じというのは他にも多々ありますが、話を慣用句に戻しましょう

     すでにお気づきの通り、《visto》は《ver》の過去分詞形です。したがって、「見た、そして、見なかった」というのが直訳になるわけですが、それにしても、見たのか見なかったのかはっきりして欲しいですよね。いったいどっちなんだ?!っと、いうわけで、『見たのか見なかったのかが分からないくらい一瞬の出来事だった』わけです。下の例文は《ser》動詞を伴って表現してありますが、通常、この《ser》動詞、それから接続詞《como》を伴う形や、他になにもなしのこれのみで使用される

     例) Fue visto y no visto, cuando me quise dar cuenta había desaparecido.
          (瞬時のできごとだったんだ。なにが起こったのかを理解しようとしたがその時にはもう消え失せていた)

     今回はこの辺で終わりにしよう。次回のキーワードを何にするかは実はまだ決めていない。こんな状況は実は初めてで、この慣用句シリーズもいつまで続けられる事やら...ということで、最近は本当に時間の余裕がなく、ご質問やご意見をお待ちしているといつも最後には書いてはいるが、これからは頂いてもお答えできないかもしれない…。でも、お待ちしている。(文責:ancla)

     以上は、本塾のメールマガジン『e-yakuニュースNo.40号(2004年02月末発行)』に掲載されたものです

 

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