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スペイン語文法 (番外編) 馬耳東風 海ちゃん スペインの慣用句 マヤ暦のページ


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Monólogo de un pasota == Serie III -39 ==
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第三編 『スペインの慣用句』 (その三十九)

  さて、33回目から始まった身体の一部を利用した慣用句のシリーズだが、前回同様今回も同じ部分のみをキーワードにしてみた。今回は『鼻』だ。この『鼻』では我々日本人は恥をかくことが多い。「あなた方外国人は鼻が高いですねぇ」を「Ustedes los extranjeros tienen narices altas.」と言って笑われたことはありませんか?しかも、この時、二重に恥をかいていることに気が付いていない人が多い。何故二重に恥なのか?第1の恥:「高い鼻」は「nariz alta」ではなく「nariz grande」と表現するからだ。第2の恥:すべての外国人が高い鼻を持っているわけではないからで、これは、暗に、「私は実は人種差別をしています。日本先月号で「Ustedes los extranjeros tienen narices altas.」は二重の恥をかくとコメントした。1つ目の恥は「nariz alta」ではなく「nariz grande」だからで、もう一つは「私は実は人種差別をしています・・・」といった趣旨のことだった。これに対してある読者から反論があったのでご紹介しておきたい。その前に、しっかりと読んでいて下さって本当に感謝していることをこの場を借りて申し上げたい。さて、その方の言い分はこうである。曰く。《スペイン語の部分での恥は納得しています。でも、その人種差別云々については納得できません。全く逆だと思います。理由は、日本人以外の人種をすべて一律に捉えているというのはむしろ喜ばしいことではないでしょうかと考えるからです。東洋人も西洋人も同じ「外国人=異邦人」として捉えているわけで、この点に於いては、日本人以外のアジア人種に対する差別をしていないわけで、これは大いに評価すべきで、恥ではないと思います》ということでした。なるほど、確かに、我々日本人は、他のアジア人に対し、差別と言うよりも区別を付けがちです。これは絶対にしてはいけないことですし、その権利もありません。したがって、それをしていないと捉えるならば、決して恥ではないでしょう。単純に「extranjero」は「外の人」であるわけですから
さて、なにやら「まえがき」が長くなってしまったが、今回も身体の一部がキーワードの慣用句。もっとも、今回で一応これは最後にしようと思う。もっとも、前回同様の「鼻」で締めくくるというのは少々申し訳ない観もあるが、身体のどこかをキーワードにした慣用句はまだまだある。よって、完全に終わりではないので、まあ良いと考えて頂きたい


1. 『de tres pares de narices』
一つの顔の中に「tres pares」つまり「6個の鼻」があるという。しかも西洋人の高〜い鼻が6個重なっているのか、あるいは、並んでいるのかは別にしても、なんともはや大変な化け物であるばかりかほとんど気持ちが悪い。ラテン系の大袈裟な表現もここまで来ればもう「桁が違う」というか「言語に絶する」。この慣用句が生まれたときには、きっと、これほどの大袈裟な表現をしてまでも何かを評する必要があったのだろう。しかし、これほど大仰な表現を日本語に訳すというのは「常軌を逸する」というか「途轍もない」話だ

  例) Tengo un catarro de tres pares de narices.
  (「酸鼻を極める」風邪にかかっています)

2. 『no haber (o tener) más narices (que)』
そのような大きな・高い「鼻以外にない」だとすれば世も末だ。我々日本人の小さな顔(大きな顔もあるし、大きな顔をしている奴もいるが・・・)に、西洋人のような大きくて高い鼻しか付ける鼻がなかったとすれば、それはもうどうしようもない。下手をすると食事さえ出来ないかも知れないし、左の目では右の方は見えないだろうし、右の目でウインクしても、軟派したい女性が左の方にいれば、これは絶対に見えないだろうから、「ligue」は絶対に失敗に終わる。それはもう『致し方のない』ことで『諦めるしかない』わけだ

  例-1) Si no hay más narices, tendré que claudicar.
      (それならば諦めるしかないな)
  例-2) No hay más narices que acceder a sus exigencias.
      (それ以外に方法がないのなら、彼の要求に応えるしかない)

3. 『por narices』
前置詞「por」と複数の鼻の組み合わせだけで慣用句になるのなら、すべての言葉や表現が慣用句になってしまいそうだが、そこはそうはいかない。現実は、それどころか、こうした単純かつ簡素なものほど難解なのだ。だいたいにおいて、鼻の前に「por」なる前置詞があるだけでどう訳せばよいのだろう?それでなくても「por」が持つ意味は山のようにある。「鼻だから」?「鼻故に」?ではだめだ。変化の激しい動詞がないから簡単だと考えるのは大いなる間違いだ。動詞は文章の理解を助けてくれるのだ。ハナからバカにするというのはハナはだ持って宜しくない。それが自分の意志でなくてもやらねばならないことは山ほどある。「なにやら義務的なことを強要される場面」は人生の中でいくらでもあるわけで、鼻の前に「por」があろうとなかろうと「なにがなんでも訳す」という心構えがほしい

  例) Me gusten o no me gusten, por narices que me los voy a leer.
    (好むと好まざるにかかわらず、僕はそれらの本を読むしかないのだ)

  さて、次回からは何をキーワードにしようか?何か良いアイデアはありませんか?リクエスト求む。そして、ご質問・ご意見もお待ちしている。(文責:ancla)

  以上は、本塾のメールマガジン『e-yakuニュースNo.65号(2006年04月末発行)』に掲載されたものです

 

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