Establecida en 2010

Escrito por Tomoko Ikeda del ITT

Sr. Japón y Hasekura san

Japón さんと支倉さん

〜 日本とスペイン400年の時と海を超えた出会い 〜

Fundado en 1995

スペイン語翻訳通訳

Instituto de Traducciones de Tokio

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Japónさんとの出会い Episodio I −


出会いは突然やってくる
時にそれは思いがけず、何気なく目を通した、ある日の何気ない新聞記事と共にやってきたりする

私が彼らのことを初めて知ったのも ある新聞記事だった

「スペイン南部のアンダルシア地方にコリア・デル・リオ
[Coria del río]という小さな町がある。この町にスペイン語で「日本」を意味する「ハポン[Japón]」という姓を持つ人々が約600人程度住んでいるらしい」

この事実を知ったその日から 「私はいつか絶対彼らに会いに行くのだ」 と思うようになった
遠く離れたスペインでなぜ「日本」という姓が生まれたのだろう?
彼らはいったい誰なのだろうか、そして私たち日本人とどんな関わりがあるのだろうか?

会ってこの目で確かめてみたい
2004年2月、気づけば私はスペインのコリア・デル・リオに来ていた

コリア・デル・リオはセビリア[Sevilla]から約15キロメートル離れたところにある。人口2万1千人、農業と漁業が盛んであり、ガイドブックにも載っていない、観光名所らしきものは何もない小さな町だ
そこにはただゆったりと川が流れているだけだった

この町での最初の目的は、グアダルキビルという大きな川のほとりにある「支倉常長」像を見ることであった。この像は1992年に宮城県仙台市から寄贈されたものだ
今からおよそ400年前、仙台藩主・伊達政宗の命により、イスパニア(現在のスペイン)と仙台藩の通商交渉を取り結ぶことを目的とした「慶長遣欧使節」が派遣された
大使は「支倉六衛門常長
[Rokuemon Tsunenaga Hasekura]」、彼らはメキシコを経てヨーロッパへ入り、その後スペインに向かった
支倉らが最初に上陸したスペインの村がこのコリア・デル・リオであったという所以で像が贈られたらしい

私がその像を見に行くのには理由があった
どうやらこの使節と
Japón姓を持つ人々(以下、親しみをこめてJapónさんと呼ぼう)は深い関係があるらしいのだ
しかし、この像が町のどこにあるのか、そして、肝心の
Japónさんたちとはどこに行けば会えるのかは全く分からなかった。地図も情報もない、この町に知り合いもいない。習い始めたばかりのスペイン語はたどたどしく頼りない。勢いだけでスペインへ来てしまった私は、Japónさんを探す旅の最初からつまずいてしまった

さてどうするか・・・。一瞬途方に暮れた

そうだ、困った時はお巡りさんだ!とにかく交番へ行ってみよう!と、単純な発想で私は気持ちを見事に切り替えた。像がどこにあるのか、
Japónさん達とはどこで会えるのか交番で聞けばいいのだ!

道行く人々に交番への道を尋ね、私は意気揚々と歩き始めた

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