Establecida en 2010

Escrito por Tomoko Ikeda del ITT

Sr. Japón y Hasekura san

Japón さんと支倉さん

〜 日本とスペイン400年の時と海を超えた出会い 〜

Fundado en 1995

スペイン語翻訳通訳

Instituto de Traducciones de Tokio

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ここは日西翻訳通訳研究塾ホームページ「支倉 と Japón san」のページです
     
 
 
 

支倉常長像の前で Episodio III −


ビルヒニオさんはその町では有名人らしく、彼と一緒に道を歩くと色んな人が話しかけてくる。その度に友人達を紹介してもらったのだが、「彼はManuel Japón (マヌエル・ハポン)、あっちはCarlos Japón (カルロス・ハポン)、あ、あいつもJapónじゃ」と 、ハポンさんのオンパレード
「おお、あなたは
Japónさんなのですね! 私はJapónから来たのよ!」と、それぐらいしか伝えることができなかったが、彼らは笑顔でうなずいてくれた
中には、身分証明書らしきものを見せてくれた
Japónさんもいた。そこには確かに「Japón」という苗字が記載されている。おお、本当だ!と驚くと、彼は「わしらの先祖はサムライじゃ よ」とウインクをした

最後にいよいよ支倉常長像へと案内してもらった。グアダルキビル川沿いのカルロス・デ・メサ公園内にその像はあ った
公園に着くと、刀を指し川を見つめるように立つ堂々とした侍の姿が目に入った
支倉常長だ!! 異国の地で、侍は圧倒的な存在感を放っていた

Coria del Ríoに立つ支倉常長の銅像

「私たちJapón姓の存在を日本人にももっと知ってもらいたい」 。常長の像の前でそう熱く語るビルヒニオさんの横顔は、どこかサムライの面影を感じさせた

帰り際、滞在しているセビリアへ戻るバス停まで送ってくれたビルヒニオさんは、私をぎゅっと抱きしめ、「また遊びに来るんじゃよ」と言ってくれた。私は再会を約束した

「わしはサムライの子孫じゃ」
バスが走り出してからもずっと笑顔で手を振るその姿を目に焼き付けながら、私は彼がその日何度も口にしていたその言葉を思い出していた

果たして、本当に
Japón姓は慶長遣欧使節の末裔なのだろうか、どうしてJapónと名乗るようになったのか、何か日本人の痕跡は残っているのだろうか。そして現在のJapónさん達の実状はどのようになっているのだろうか。彼らJapón姓のルーツを探り、その存在をより多くの日本人に伝えたい。それはビルヒニオさんの願いでもあった

かくして、私の
Japón姓探求への日々が始まった