Establecida en 2010

Escrito por Tomoko Ikeda del ITT

Sr. Japón y Hasekura san

Japón さんと支倉さん

〜 日本とスペイン400年の時と海を超えた出会い 〜

Fundado en 1995

スペイン語翻訳通訳

Instituto de Traducciones de Tokio

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ここは日西翻訳通訳研究塾ホームページ「支倉 と Japón san」のページです
     
 
 
 

“La mancha mongólica” お尻に咲いた花 − Episodio V −


蒙古斑の話はまだ続く

蒙古斑はスペイン語で
“mancha mongólica”というが、コリア・デル・リオでは、“お尻に咲いた花”とか、“トマト”なんて呼ばれたりもするらしい
それではこの町では、未熟な若者なんかに対して「まだお前はケツが青い!!」という代わりに、「まだお尻に花が咲いているくせに!!」なんていうのだろうか
だとしたら、なんだか可愛らしい

蒙古斑は年齢と共に徐々に消えていくから、その人の未熟さによって表現方法も「お尻に大輪の花を咲かせているくせに!」から「まだ八分咲きのくせに!」になり、「ようやく五分咲きになったな!」とかになるのだろうか・・・
 

慶長遣欧使節団が辿った航路図
(コリア・デル・リオの支倉増の裏側にある青銅製の地図)


くだらない妄想はさておき。この蒙古斑だが、本当にあるの?なんて思う人もいるかもしれない。しかし、コリア・デル・リオの小児科医の中で、実際にJapón姓の子供に蒙古斑があることを確認している人がいるというから、どうやら本当らしいのだ
その小児科医の名はフェルナンド・スアレス=ビジャール氏といって、コリア・デル・リオの町長を務めていたこともあるらしい。彼は大勢の子供たちを診察している
フェルナンド氏だけでなく、彼の知り合いの小児科医も同じようにこの事実を認めているという。また、2003年10月25日に洗礼を受けたカルロス・ハポン=アルバレス君は、当時
Japón姓を持つ最も若い2歳の子で、彼のお尻にもまた蒙古斑があったというから、驚きだ
私はこれらの事実を『ヨーロッパに消えたサムライたち / 太田尚樹著』という本によって知った。とても興味深く、この本に感動した私は、ぜひ著者と直接お会いしてお話を伺いたい!!と、またもや突撃訪問を実行すべく行動を起こした

早速この本の著者であり、東海大学教授である太田尚樹先生に手紙を書いた
そして・・・
突然の申し入れにも関わらず、太田先生はご自身の研究室への訪問を快諾してくださったのだ。ありがたい、ありがたい

ハポンさんに初めて会いに行った時もそうであったが、本当に色々な人に助けられている
Gracias, gracias・・・・

当時私の住んでいたところから先生の大学の研究室までは電車で2時間半くらいかかっただろうか。向かう途中、車窓から変わりゆく景色を眺めながら、いよいよ本格的に研究することになったな・・・と一人拳に力をいれたのだった。(たぶん・・・)

研究室では、蒙古斑の話はもちろん、ハポン姓に関する貴重な資料を頂くことができた。それらについては後に紹介していきたいと思う

このようにして、ビルヒニオさんとの涙、涙の別れの後、にわか
Japón姓研究者となった私は、翌2005年の9月に再びこの町を訪れた

Japón姓のルーツを探る手がかりは何か掴めるのだろうか