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「ハポン[Japón]姓が生まれた謎@ −最古のハポン姓の記録−」 − Episodio XV −
【1647年徴兵名簿、写真提供・太田尚樹氏】
これは、コリア・デル・リオの古文書館に保管されている1647年の徴兵名簿を写したものだ。「ヨーロッパに消えたサムライたち」の著者であり、ハポン姓を研究している太田尚樹先生にお話を聞きにいった際、先生から頂いた。太田先生は、コリア・デル・リオでこの写真を撮影されたという。おそらく、これが公的文書に記録された最古のハポン姓らしい 「1647年以前の名簿にはハポン姓の名は存在しないんです。しかしここに書いてある通り36歳とすると、バルトロメ・ハポンは1611年か1612年の生まれになり、常長らがスペインへ訪れる前になってしまいます。でも、当時の徴兵記録の場合は、官位を挙げてもらうために、自分の年齢を実際より大きく申告するのはごく当たり前のことでした。俸給を多く受け取るために年齢をごまかしていたのですね」 太田先生のお話を聞くと、このバルトロメ・ハポンも実年齢より高く申告している可能性がある。彼が生まれたのは、使節が訪れたあとと考えても不思議ではないのだ もう一つ興味深いのは、コリアにあるエストレージャ協会に保管されている洗礼台帳4番の記録だ。そこには、「1667年11月1日、フアン・ハポンとマグダナレーナ・デ・カストロの娘カタリーナを洗礼」とある。(「仙台郷土研究・復刊16巻2号」より) 使節がローマから戻り、再びコリアを訪れたのが1616年であるから、それから51年後のことになる。そう考えると、カタリーナの父フアン・ハポンは、残った日本人の息子か孫くらいの年齢になる。カタリーナが洗礼を受けた6年後には、「1673年10月11日、アンドレ・ハポンとレオニア・デ・ケベドの嫡子ミゲールを洗礼」と、別の夫婦に生まれた男の子の洗礼記録が同じ台帳に記載されている。ただ肝心の、残った日本人にとって一代目の子供が生まれている可能性のある1609年から1664年に至る洗礼台帳2番と3番は紛失してしまったのか、いまだに見当たらないらしい しかし、1553年から1604年にいたる台帳0番と1番は現存していて、そこにはハポン姓は一つも記載されていないという(「ヨーロッパに消えたサムライたち」より) とすると、使節がスペインへやって来る以前は、ハポン姓はまったく存在しなかった可能性が強くなる。やはり、残った日本人たちが名乗りはじめたのだろうか
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(続きをお楽しみに)