支倉 常長(はせくら つねなが) 1571年−1622年
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての陸奥(mutsu)仙台藩士であり、伊達政宗(Masamune Date)の家臣
スペインとの通商交渉を目的とした「慶長遣欧使節(Keicho Kenou Shisetsu)」の大使として、1613年宮城県石巻市より出航
メキシコ経由でスペイン、イタリアへと赴く
1615年01月にはスペイン国王フェリペ3世に、同11月にはローマ教皇パウルス5世に謁見
ローマで洗礼を受け、洗礼名ドン・フィリッポ・フランシスコを授かる
ローマ市民権を与えられるなど手厚く歓迎されたが、スペインとの交渉は成功せず、1620年に帰国
帰国時にはすでに禁教令が出されており、キリシタン弾圧は激化。そんな中、1622年に失意のうちに死去したと言われている
常長の墓は、現在宮城県内に3か所あると考えられており、以下の通りである
・仙台市青葉区北山にある光明寺
・川崎町支倉地区の円福寺
・大郷町 支倉メモリアルパーク内
常長らが持ち帰った「慶長遣欧使節関係資料」(仙台市博物館に所蔵)は、2001年に国宝に指定されている。その中には常長の肖像画があり、日本人を描いた油絵としては最古のものとされる
支倉家第29代当主に支倉哲男氏(宮城県仙台市)がいる
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