谷 めぐみ の 部 屋
 


 

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Hola Barccelona
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スペイン歌曲の歌い手

「谷 めぐみ」の歌修行 "Hola! バルセロナ" - その13 -

¡Hola! バルセロナ(13)

さっそく三樹子さんが部屋を見つけてくれた。外国人向けのアパルタメント、今すぐに入れる部屋がひとつある。良いも悪いもなかった。とにかく引っ越さなければならない。台所、シャワー、トイレすべて共用の生活に、正直、かなり疲れていた。ここからは三樹子さんのピソも近い。何かあったら駆け込ませてもらえる。引越しは週末に決まった

引越し前日の朝、壇オーナーが部屋にやって来た。お昼にマリア・ドローレスがパエリャを作るという。「おいくらですか?」私は思わず尋ねた。こんな時このピソでは、オーナーと間借り人あるいは間借り人同士が、細かくお金のやり取りをしているのを知っていたからだ。「いらないよ。送別会」とのこと。驚いた。マリア・ドローレスのパエリャ作りを見学。米を洗わず、袋からそのまま鍋に放り込むのに、また驚いた。三人で食事が済んだ後、玉ネギ氏とイガグリ君も誘って隣りのバルへ出かけた。私の部屋からテラスでの卓球が見えている店である。昔とった杵柄(中学時代、私は卓球に熱中していた)、スマッシュを打つと、ビール瓶片手の男達はやんや、やんやの大喝采。「おごりだ。飲め、飲め」とグラスが次々に回ってきた。「日本は遠い。俺は死ぬまで行けないよ」店のマスターがしんみり言うので、財布につけていた弘法大師のキーホルダーをプレゼントした。「ありがとう。大事にするぜ」おやじさんは、心なし、目を潤ませた

翌朝、三樹子さんのご主人が車で迎えに来てくれた。玉ネギ氏もイガグリ君も出かけてしまい、留守。壇オーナーとマリア・ドローレスが玄関まで見送ってくれた。思えば、壇夫妻も玉ネギ氏もイガグリ君も、私とってはバルセロナで初めての知人である。このピソがあったから暮らし始めることが出来た。そして彼らが甘やかしてくれなかったおかげ?で生活に必死になれた、とも言える。過ぎてみれば、ありがたいことだった。スーツケースを車に積み込み、いよいよ出発である。M先生の車でここへやって来た日が遠い昔のように思われた

新しい部屋では三樹子さんが待っていてくれた。広いリビング、セミダブルのベッドが入った寝室、それにゆったりとした浴室。冷蔵庫も洗濯機も付いている。さっきまでいた所とは別世界である。部屋に電話が無いため、家賃は格安だった。今日から何の気兼ねもなく料理を作ったりお風呂に入ったりできる、と思うと心底ホッとした。三樹子さん夫妻が帰り、ひとりになった。記念すべき第一日目、まずは優雅にシャワーを浴びてサッパリしよう!そう思い立った私は、それこそ誰に遠慮することもなく準備をし、シャワーの湯の栓を回した。冷たい水が勢いよく噴き出す。ほどなく湯になることを想定し、頭からその水を浴びてシャンプーを始めた。ところが湯が出て来ない。待っても待っても水は冷たいまま。そして、やがてその水も止まってしまった。なぜ?なぜ?なぜ?暑い9月でもさすがに冷えた。泡だらけの頭でなすすべもなく、私は寒さにブルブルとふるえた

(つづく)
  以上は、日西翻訳研究塾のメールマガジン『塾maga2009年09月号(No.107)』に掲載されたものです