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Hola Barccelona
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スペイン歌曲の歌い手
「谷 めぐみ」の歌修行 "Hola! バルセロナ"
- その22 -
¡Hola! バルセロナ(22)
当然だが、週末は毎週やってくる。土曜日はエレナとお昼を食べるにしても日曜日はやることがない。三樹子さんは「いつでも遊びに来てね」と言ってくれていた。しかしやはり、週末はためらわれた。ひとりで部屋にいると何となく鬱々(うつうつ)としてくる。ある日曜日、私はモンジュイックの丘にあるカタルーニャ美術館へ行ってみた。スペイン広場からてくてくと階段を登ったところに建つ王宮風の建物。午前中は入館無料である。カタルーニャ各地の古い教会から丁寧に集め、復元された壁画が、いくつもの部屋に分かれて展示されている。「全能のキリスト」「十二使徒の前飾り」「聖母子像」etc。美術のことはさっぱり分からない私だが、なぜかこの空間は心が安らいだ。何時間いても、同じ絵を何度見ても、飽きることがなかった。カタルーニャ美術館で午前中を過ごし、帰りにスペイン広場の角でアイスクリームを買う。これが日曜日の過ごし方になった
週末以外の日には、よく三樹子さんの家へ遊びに行かせてもらった。8歳のお姉ちゃんはエキゾチック美人!3歳の妹は「メグミ」と発音できず、私を「ユグミ、ユグミ」と呼んでいた。テレビを一緒に見ている時、アニメの主人公が転んだのを見て、妹が「Se cayó!」と叫んだ。「こんなチビちゃんでもSeを付け、過去形を使っている…」動詞の活用に四苦八苦していた私はひどく感心したものだ。三樹子さん特製のプリンをご馳走になり、小さな娘さん達と遊ぶ。何よりの気分転換、息抜きだった。時々不思議なことが起きた。私が訪問する日になると、彼女の家の何かが壊れるのだ。冷蔵庫や洗濯機が止まったり、リビングの大きな窓ガラスに亀裂が入ったり…。昔、デストロイヤーというプロレスラーがいた。私は破壊魔か?
「3日目、3週間目、3ヶ月目の周期でホームシックに襲われる」日本を出る前に留学経験のある友人からそう教えられていた。正直なところ、3日目も3週間目も、私はホームシックを感じる余裕さえなかった。ただ日本からの手紙は待ち遠しかった。メールなど無い時代である。国際電話料金も今とは比較にならないほど高く、許される日本との絆は手紙だった。アパルタメントに毎日まとめて配達される手紙を、ポルテロのおじさんが玄関フロアにある各部屋別の郵便受けに配り入れる。外出から戻って郵便受けをのぞき、「アッ!来ている」の日もあれば、空っぽでガッカリの日もあった。「空っぽ」が何日か続いたある日、郵便受けを閉じて部屋に戻ろうとすると、「待て!」と、ポルテロのおじさんが追いかけて来た。私を指さし、「castigada(おしおき)だ!」と言う。意味が分からずポカンとしていると、おじさんは顔をクシャクシャにして、私に一生懸命笑いかける。ハッとした。慰めてくれているのだ。毎日郵便受けに一喜一憂している私の様子を見ていたのだろう。「そうね。castigadaだから仕方がない」と返すと、「大丈夫!明日はきっと許してもらえる」とゴリラのように頼もしく胸を叩いてみせた。おじさんの不器用な優しさが心にしみた。以来、手紙が届いていない時の二人の合言葉は「castigada」になった。「今日もcastgadaだ」と厳かに宣告され、ションボリして部屋へ戻ろうとすると、「ヤ〜イ!だまされた」と、おじさんが悪戯っ子よろしく、隠してあった手紙を渡してくれたこともあった。スペインと日本の手紙は片道だいたい一週間。遠かった (つづく)
以上は、日西翻訳通訳研究塾のメールマガジン『塾maga2010年06月号(No.116)』に掲載されたものです |
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