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Hola Barccelona
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スペイン歌曲の歌い手
「谷 めぐみ」の歌修行 "Hola! バルセロナ"
- その23 -
¡Hola! バルセロナ(23)
滞在3ヶ月を過ぎた頃、異変が起きた。顔の表面が割れてきたのだ。割れる、とは大袈裟に聞こえるかもしれないが、実際にそんな印象だった。まず顔全体の皮膚が乾燥して硬くなり、次に頬が切れ、その切れ目が日ごとに深くなった。痛く、痒く、何より見た目が恐ろしい。日本から持参した軟膏を塗っても治らなかった。火曜日が来たので仕方なくレッスンに出かけた。真っ赤に腫れた私の顔を見てM先生は絶句。レッスンが終わるやいなや「明日午前中、私の家へ来られるか?医者が来る日だから、その時に一緒に診てもらいなさい」と言う。慌てた私が「元々肌が弱い。きっとその内に治る」と何度くり返しても「病気だったら大変だ」と、先生は聞き入れない。かくして私は、異国で医者のお世話になるハメに陥った
翌日おそるおそるM先生のお宅にうかがった。レッスン室に通されると、壁の写真のヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスがニッコリと微笑んでいる。「ここは本当にバルセロナ?」未だ夢を見ているような気がした。やがて現われたお医者様は初老の紳士である。私の割れた肌を観察し、お腹や背中を触診し、ニッコリ笑って部屋を出て行った。廊下からお医者様とM先生の会話が聞こえてくる。「明日、診療所へ寄こしてください。彼女はスペイン語が話せますか?」「問題ありません」エーッ!私のスペイン語が病気の説明に通用するとは思えない。どうするのだ…。「それでは明日よろしく」M先生はお医者様を送り出してしまった
翌日、渡された住所を頼りに診療所にたどり着いた。名探偵ポワロの映画にでも出てきそうな風格ある建物の5階である。立派な応接間風の部屋で、バルセロナへ来てからのこと、毎日の生活の様子等々を尋ねられた。薬局へ行くように、と処方箋も渡してくれた。「M先生には伝えておくから」とのこと。そして最後に、お医者様は「Está sufriendo(貴女は苦しんでいる)」と言った。「sufriendo?」と問い返すと、「キリストは人類のためにsufrirした。貴女はひとりでバルセロナへ来て、スペインの歌のために、sufrirしている」と微笑んだ。キリストがsufrir…何と畏れ多い比喩!しかし、そうか…。私はストレスの塊になっているのだ。ただ無我夢中で過ごした3ヶ月だった。疲れて当然、と思うと、心が楽になった。頑張らなくてもいいような気がした。今でもsufrirという単語を見ると、あの時のお医者様の優しい目を思い出す
処方箋を持って薬局へ行き、薬を出してもらう。これは問題なく出来た。しかし次なる課題が待っていた。薬局の貫禄たっぷりのセニョーラが注射薬を渡し、「これを持って“注射屋”へ行くように」と言うのだ。注射屋とは何ぞや?無愛想なセニョーラはろくに説明もしてくれない。仕方がないので、住所を頼りに今度は注射屋が住むピソを探した。ごく普通のピソのひと部屋、そこが注射屋だった。看護婦なのか?ただ注射を打つだけの人なのか?とにかく彼女が私の腕に注射をした。バルセロナにいる理由を尋ねるので「スペインの歌の勉強に来ている」と答えると「私はムルシア出身。ムルシアにもいい歌が沢山ある」と、懐かしそうに遠くを見つめていた
次の日曜日には、M先生がご家族の昼食に招いてくれた。先生の奥様も父上も母上も、まだ若い息子さんまで!私のことを心配してくれている。M先生の配慮、ご家族の優しさが心にしみた。年月を経た今振り返っても、本当に恵まれた師との出会いだったと思う
(つづく)
以上は、日西翻訳通訳研究塾のメールマガジン『塾maga2010年07&08月
合併号(No.117-118)』に掲載されたものです |
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