谷 めぐみ の 部 屋
 


 

===========================================
Hola Barccelona
===========================================


スペイン歌曲の歌い手

「谷 めぐみ」の歌修行 "Hola! バルセロナ" - その24 -

¡Hola! バルセロナ(24)
顔の割れは治らない。長年使っている化粧品を日本から持参していたが、ふと思い立ち、同じメーカーの「薬用」と称するものを送ってもらうことにした。航空便の速達。両親は黙って送ってくれたが、今思えば何と高い化粧品だったことか…
郵便局から「荷物到着」の案内が届いたので受け取りに行った。受付で名簿に自分の名前を書き込み、呼ばれた人が順番に荷物を受け取る仕組みだ。待っている間、どの人もどの人もオシャベリに余念がない。荷物係のオジサンは負けじと声を張り上げて名前を呼ぶ。皆、夢中で喋っているようだが、自分の名前が呼ばれるとサッと気づく。意外なほど人の流れはスムーズだ。私も早々に呼ばれるだろう、と、安心してベンチの隅に腰をかけた。小一時間は過ぎたろうか。待てども待てども私の名前は呼ばれない。ふと見れば、私より後に来た人がどんどん荷物を受け取って出て行く。荷物置き場と受付を行き来しているオジサンは、忙しさのあまり目が血走っている。「あの…」と問いかける勇気が出ない。待って、待って、待って、そして…誰もいなくなった。オジサンがジロリとこちらを見た。「何の用だ?」「荷物を取りに来たのです」「もう今日の分は終わりだ」「そんなバカな!私はずっとここで待っていたけど呼ばれなかった」オジサンはムッとしている。「名前は?」「メグミ・タニです」「名簿にタニなんて無い」「でも…」オジサンの背中越しに、棚にひとつ残った段ボール箱が見えた。「あの荷物、見せてください」オジサンがしぶしぶ持ってきた。荷物の宛名書きは見慣れた父の字だ。「これです!ほら、ここに『タニ』って書いてあるでしょ?」「そうだ。これはタニの荷物だ。だけど名簿の名前はハニ、メグミ・ハニだ。俺は何度も『ハニ』を呼んだが誰も返事をしなかった。じゃあ、あんたがハニか?」「ハニじゃなくて、タニ」「ダメだ。タニにハニの荷物は渡せない」何度も名簿のTaniを指さし、怒鳴り続けるオジサン…。ここで、やっと分かった。私が中学英語以来ずっと使い続けて来た筆記体の「T」が、オジサンには「J」に見えたのだ。TaniではなくJani、つまりハニ。そういえば「ハニー!セニョリータ・ハニー!」と連呼するオジサンの声を聞いたような気がする。「ハニーさん?つまりMielさんか…」などと、どうでもいいことが頭をかすめた記憶がある。「あんた、本当にハ二だな?」しつこく念を押され、やっと荷物を受け取った。タクシーに乗り込むとドッと疲れが出た。Tの書き方がまずいなんて、今まで誰にも言われたことがなかったのに…
ここまで苦労して受け取った薬用化粧品を使っても、顔の割れは治らなかった。口裂け女ならぬ顔裂け女である。しかもやっかいなことに、朝起きてみなければ、その日の症状が分からない。完治したかのようにツルツルの日もあれば、鏡の中の自分にギョッとする日もある。どんな無残な症状も、お医者様に出してもらった軟膏を塗って30分するとスーッと引いた(それも怖いが…)。出かける日は時間を逆算して自己治療するしか仕方がなかった。髪も伸びてきた。アパルタメントの向かいに美容院があったが、節約のため、後ろ髪を輪ゴムでくくり、前髪はキッチン備え付けのハサミで切ってみることにした。このハサミ、要は肉・魚用である。ズブの素人、しかも人一倍不器用な私がうまくカットなどできるはずがない。前髪は左右不対称のザンギリ、これもまた無残な姿になった
これといって困ったことはない。しかし私は疲れていた。まさに、Estoy sufriendo.だった
(つづく)
  以上は、日西翻訳通訳研究塾のメールマガジン『塾maga2010年09月号(No.119)』に掲載されたものです