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Hola Barccelona
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スペイン歌曲の歌い手
「谷 めぐみ」の歌修行 "Hola! バルセロナ"
- その40 -
¡Hola! バルセロナ(40)
「日本民謡集出版は日本との文化交流に寄与する貴重な業績である。バルセロナ市はその意義を認め、出版記念演奏会を市の主催行事としてSala de Cien(百人会議の間)で行う」と、市の担当者から連絡があったそうだ。中世バルセロナでは、名誉市民に商人、職人階級を加えた「百人会議」が成立していた。1374年開催の第一回会議から議場として使用されてきた由緒ある部屋がSala de Cienである。そこへグランドピアノを運び込み、記念式典の後で、M先生と私が演奏する。cantante japnesa(日本人の歌い手)の帰国が7月に迫っている、と、M先生が事情を説明したところ、6月中に開催することを約束してくれたという。あまりにも光栄な話に私はポカンとしてしまった。いや、私だけではない。予期せぬ展開に、M先生もご家族もまだ実感がわかない様子だった。「メグミ、美容院へ行ってはいけません」突然、奥様が言った。「そうだ。絶対に行ってはいけない」とM先生。「そうそう。行かない方がいい」母上までが口をそろえる。大いなる演奏会に向けての最重要事項、という雰囲気…。あぁやはり三人ともあのキャベツ頭が気に入らなかったのだ。「メグミの髪は私が切ります」奥様が厳かに宣言した。聞けば、奥様は髪をカットする特技をお持ちだそうな。あぁリサイタルの前にそれが分かっていれば…。「衣装も考えなければならないわ」Sala de Cienで歌うcantante japonesaをどんなスタイルに仕上げるか、そのことで奥様は頭がいっぱいのようだ。「メグミ、やったね!」M先生の息子さんがウィンクしてみせた。彼は心優しいguapo、今時の若者である。クラシック音楽を学ぶには最高の環境にありながら、まるで興味がない。父親、つまりM先生の演奏会にも来たことがなく、それどころか、流行のロックンロールに夢中で家中のひんしゅくを買っていた。「でも、その日は行くよ」とのこと。嬉しいなぁ。「へんてこりんな服で来ちゃダメよ」奥様が慌ててクギをさした。「メグミ、おめでとう。楽しみだね」母上が優しく抱きしめてくれた。いつもひとり書斎に引きこもり、冷静沈着、感情を表に出さない父上まで、なぜか今日はリビングをうろうろ歩き回っている。「演奏する曲を決めなければ」思い出したようにM先生が言った。そうだ!私の髪よりそちらの方がよほど重要ではないか。でも、ちょっと待て。そもそも肝心の楽譜がまだ刷り上がっていない。大変だ。こうなったら、何が何でも予定通り6月初めに納品されなければならない。決してHasta mañana!というわけにはいかなくなった
数日後、記念演奏会で使用するピアノを選ぶために、M先生が楽器店に連れて行ってくれた。私はピアノが好きだ。子どもの頃のお稽古ピアノは好きになれなかったが、大学時代、素敵なおばあちゃま教授がピアノを弾く楽しさを教えてくれた。バルセロナへ来てからもバッハ、モーツァルト、はたまたアルベニス、グラナドスなどの楽譜を仕入れ、アパルタメントで弾いていることをM先生は知っていた。「日本の歌を演奏するのだから日本人のメグミが気に入った音色のピアノを選びなさい」とのこと。M先生の日本への敬愛は格別だった。店の奥の広いフロアーにグランドピアノがずらりと並んでいる。楽器は生きものだ。音も個性も一台一台違う。M先生が次々と試弾する音を、これは響きが明るい、あれは低音が重い、などと聴き分けて行くのは興味深い作業だった。ピアノ科でもない私がこんなに入念にピアノに関われる機会は無い。ふとあの大学のおばあちゃま教授を思い出した。「貴女は歌科なのだから、歌うように弾いてごらんなさい」が口癖だった。レッスンの合間に真っ赤なハイヒールでダンスのステップを踏んでいたお洒落でお茶目な先生。今私がスペインで音楽三昧の幸せな日々を過ごしていることを知ったら、どんなに驚き、喜んでくれるだろう…。何台も何台も聴き比べ、最後に、深く落ち着いた音色でM先生もタッチが気に入った一台を選んだ。このピアノが当日Sala de Cienに搬入される
M先生のご自宅へ向かうと、今度は奥様が待ち構えていた。いよいよ重大イベント?メグミの髪カット開始!である。私はベランダの椅子に座らされ、ビニールの長いケープを肩からすっぽりかけられた
(つづく)
以上は、日西翻訳通訳研究塾のメールマガジン『塾maga2012年04月(No.138)』に掲載されたものです |
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