谷 めぐみ の 部 屋
 


 

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Hola Barccelona
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スペイン歌曲の歌い手

「谷 めぐみ」の歌修行 "Hola! バルセロナ" - その43 -

¡Hola! バルセロナ(43)
『日本民謡集』出版記念特別演奏会、当日である。M先生のお宅に行き、先生、奥様、お母様と一緒に出発した。車は旧市街、ゴシック地区を目指して進む。壇オーナーのピソのすぐ近くも通り抜けた。引っ越した後も、この辺りは私の秘かなお気に入りの散歩コースだった。危ないから決してひとりでウロウロしてはいけない、と、あっちでもこっちでも忠告されていたが、私はゴシック地区を歩くのが好きだった。特にカテドラルの裏手あたりがいい。旅行客がまとめてバッグを盗まれた、などというニュースを何度も聞いたから本当に危なかったのだろう。でも、よれたジーンズにTシャツで顔はすっぴん、中途半端に伸びた髪を輪ゴムでくくった年齢不詳の東洋人にはスリも泥棒も寄って来なかった。たまに街ですれ違う日本人旅行客は「この人、中国人?日本人?変な人かもしれないから関わらないようにしよう」と、こちらを警戒している。望むところだ!気楽なものだった。私は心底解放され、堂々と正体不明人間になり、カタルーニャ広場から港へ向かう地区を足の向くまま、気の向くままに歩き回った。同じ場所でも、雑踏に紛れて歩く街並みと車の窓から眺める景色とでは見え方がまるで違う。思えば、こうしてM先生の車に乗せてもらうのは、一年前にバルセロナに着いた日以来のことだ。右も左も分からないまま壇オーナーのピソに運ばれて来た日が、もう十年も前のような気がする。突然現れたろくにスペイン語も話せない日本人の歌い手の卵を、どんなご縁か、まるで家族か親戚の娘のように大切に守ってくれたM先生ご一家。どんなに感謝しても、感謝し足りない気持ちだった

サン・ジャウマ広場に到着した。カタルーニャ自治政府庁とバルセロナ市庁舎が向かい合う、街の要の広場である。市庁舎の入り口では守衛さんが怖い顔で近づいてきたが、M先生が名乗ると急に態度が変わり、我ら一行をうやうやしく先導してくれた。控室に荷物を置き、Sala de Cienをのぞくと、もうグランドピアノが設置されている。M先生と一緒に楽器店で選んだあのピアノだ。部屋一面を覆う赤と黄色の壁掛け、天井のシャンデリア、左右に向かい合うジャウマ一世とサン・ジョルディの像…。誇り高き中世バルセロナの象徴、憧れの「百人会議の間」だ

さっそくM先生とリハーサルに臨む。声がよく響く。日本の歌だから歌詞を忘れる心配もない。どんな時にもM先生のピアノは歌を絶対に支えてくれるから心地よい。赤と黄色の壁掛けに囲まれて歌う不思議な高揚感。「あぁ!ここはバルセロナ」あらためてそんな感慨が湧く。それにしても20世紀の今、この場所に日本の歌が流れるとは…。自分が当事者であることを忘れ、歴史の妙にポカンとしてしまう。リハーサルを終えて控室に戻ると、奥様が待ち構えていた。黒のロングスカートに私が自分で編んだ黒のインナー、その上に、母上の形見の美しいレースのボレロを着せてくれる。自作の私の髪を丁寧に梳かして入念に全身をチェック。「Perfecto!」奥様はニッコリ微笑んだ。開場時間である。Sala de Cienにお客様が集まり始めた。きちんとドレスアップしたセニョール、セニョーラ達。きっと日本の歌を聞くのは初めてだ。一体どんな印象を受けるのだろう?誰よりも聞いてほしい三樹子さんはグラナダに出張中で来られない。ほかに知っている人はいないはず…と、ふと客席の後方に目をやると、エッ?あれは?我が目を疑った。まさか?…。いや、間違いない。M先生の父上だ!「音楽は好まない」と言って、息子であるM先生の演奏会にも決して出かけない父上。伴奏する相手がどんなに著名な歌い手でも、それがたとえヴィクトリア・デ・ロス・アンへレスでも、父上の態度は変わらない。いつもひとり家に残り、書斎で本を読んだり、小鳥と遊んだりしている。音楽というものに興味が無い様子だった。その父上がお洒落なスーツでめかしこみ、いかめしい表情で客席に座っている。驚いた。本当に驚いた。由緒ある百人会議の間での特別な時間に、父上も立ち会わずにはいられなかったのだ

いよいよ開演である。M先生と私は最前列に着席した。「ただ今より、日本民謡集出版記念特別演奏会を始めます」。司会が厳かに開会を宣言した。市からのお祝いの言葉に続いて、貫録たっぷりの文化担当の女性が登場。大演説が始まった。「そもそも文化とは…。そもそも音楽とは…。そもそも民謡とは…」。長い。朗々と延々と続き、やっと終わった。次はM先生の挨拶だ。短い。こちらはアッという間だ。でもその短いメッセージの中で「Megumi Taniの献身的な働きにより…」とわざわざ言ってくれた。ありがとうございます。「では、演奏に移ります」。司会に促され、M先生と私はピアノの前に進み出た

(つづく)
  以上は、日西翻訳通訳研究塾のメールマガジン『塾maga2012年07-08月 合併号(No.141)』に掲載されたものです