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Monólogo de un pasota == Serie II -07 ==
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『馬耳東風』 第二編 (スペインの政経社編) 第7話
『Felipeはいまどこに?』 (その2)
さて、総選挙後4ヶ月を経た2000年7月23日、社労党はその第35回党大会で新しい書記長を選出した。それが、現書記長のホセ=ルイス・ロドリーゲス=サパテロ(通常はこの長い氏名も第1姓も使用せされず、母方の第2姓Zapateroが使用される。ピカソの場合と同じ)だ。ともあれ、この時の党大会での書記長選出選挙には、男性2名、女性2名の4名が候補として名乗りを上げていた。もう一人の男性候補はホセ・ボノ。女性はマティルデ・フェルナンデスとロサ・ディエスだった。因みに、各候補が得た得票は、それぞれ405、109、65票の順だった。39才のサパテロは414票を獲得して最終的に書記長に選出されたわけだ。しかし、この得票差を見ても明白なように、ホセ・ボノとの差は僅か9票だけだった。これではホセ・ボノを推していた『後見人』的存在のフェリッペにとっては面白くないのは当然(ここで話の筋がやっと主人公のフェリッペに戻った。いや、よかった、よかった。前回の6月末から2ヶ月のブランクがあったので、このままではどうなるのかと少々心配してしまった)だ
この時の党大会では、書記長のみならず、党執行部もすべて刷新された。したがって、現在の執行部(25名、内10名が女性)の平均年齢は42.8才で、我々日本人には実に信じがたく羨むべき平均年齢だ。ところが、現在の社労党の当面の重大課題は、この若き執行部をもってして如何に『重鎮フェリッペ・ゴンサーレス』という高いハードルを乗り越えられるかにある
前号でも書いたように、フェリッペ・ゴンサーレスは、フランコ以降の民主化過程のスペインで実に大きな役割を果たした『スペイン政界の大物』だ。いや、国内だけではない。国際的にも彼ほど知名度の高いスペインの政治家はいない。ひょっとすると、国際舞台では、現首相のアスナールよりも重要な政治家かも知れない。世界中の大物政治家も彼には一目置いているためで、むげに無視することはできない。したがって、特に国際関係での彼の助言やサポートは、社労党としては、現時点でも欠かすことができないのが実状だ。その彼がいまだにホセ・ボノを後押ししている。しかも、サパテロ率いる新執行部は、現在、次の2004年の総選挙を目指し、党の更なる『若返り作戦』を推進している。つまり、次の選挙で『老人』たちを選挙リストから外そうということだ。その中には、党の執行部は無論のこと、フェリッペが首相時代に大臣を務めた大物も含まれており、フランコ以降の民主化過程のなかで、国のため、また党のために多大なる活躍をした人物たちを姥捨て山に送り出そうとしている。もっとも、その内の何人かはすでに自ら危険を察知し、議員を辞職し、企業に天下ったりしている人もいるが、議員の座にあくまでも執着するというのは、古今東西どこの国でも、またいかなる政党も同様で、『老人外し』の対象となっている議員たちは、フェリッペ・ゴンサーレスを盾に、なんとか政界での生き残りを図っている
さて、フェリッペ・ゴンサーレスという人物が偉大なカリスマ性を持った人物であることは周知の事実だ。少々個人的な話になって恐縮だが、彼が首相として来日した、確か1985年。彼の通訳の話が舞い込んできたことがあった。しかし、その時は残念ながら諸事情が許さずお断りをしてしまった。その後、筆者が彼に直接会う機会を得たのは、1996年7月17日のことだった。その時彼はもうすでにスペインの首相ではなかった。身長も170cm強(小生はちょうど170cm)で、それほど高くもなければ大柄でもない。しかし、オーラと言うか、他の誰とも違う何かを持っていて、実に大柄な人に見えた。因みに、筆者は特にフェリッペのファンではないことをつけ加えておこう
そんな彼だから、彼の発言には、党の内外でいまだに大きな影響力があるのは事実だ。したがって、彼がサパテロに対して『もの申せ』ば、その都度話題になるのは必至で、サパテロを含む執行部が彼をどの程度抑えられるか、あるいは、納得させることができるかが、今後のスペイン社会労働党、ひいては、スペイン政治地図がどの色に塗られるかにかかわってくる大きな課題だ。そんなわけで、来る2004年の総選挙は、社労党にとってはかなり苦しい展開が予測される。(このテーマの終了)(文責:ancla)
以上は、本塾のメールマガジン『e-yakuニュースNo.21-22(2002年7・8月末合併号発行)』に掲載されたものです
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