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Monólogo de un pasota == Serie II -13 ==
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『馬耳東風』 第二編 (スペインの政経社編) 第13話
『スペインの陪審裁判制度』 (その1)
ハリウッドの影響なのだろうか、この陪審裁判(Tribunal del Jurado)というのは日本でも知らない人はいないだろうが、日本の裁判制度の中にはない。現在のスペインの陪審員制度は、1995年5月22日公布の組織法第5号をもって制度化された。しかしその歴史は意外に古く、1812年のスペイン初の自由憲法(この憲法は後に次々と独立していく中南米諸国の憲法のお手本ともなった)、通称『カディス憲法』で初めて制定され、その後、カディス憲法の焼き直しではあるものの、スペインで初めて二院制を規定した『1837年憲法』、1869年に制定された。さらに、現行憲法の基本の一つともされる、いわゆる『セラーノ憲法』、そして、最も近いところでは、内戦前の第二共和制時代に制定された『共和国憲法』(1931年)に盛り込まれ、実際に行われていた。しかし、内戦後のフランコ時代になって廃止されたままだった。
ともあれ、フランコ没後の民主化過程の中で作られた現行の憲法、いわゆる『78年憲法』には驚かされるところが多い。実は、陪審裁判制度もこの78年憲法の第125条でその創設の可能性が既に規定されていたからだ。したがって、この制度を始めるにあたっては、憲法を改正する必要など全くなかったわけだ。フランコが死んで僅か3年で立憲された憲法だった。しかも、実際は、草案の作成が開始されてから公布に至るまでの期間がなんと1年5ヶ月という超スピード立憲だった。にもかかわらず、あらゆる可能性が想定され、あらゆる問題や制度が網羅されており、ことある毎にこの78年憲法には感心させられる。
しかしながら、立憲後、その実現化が遅れていて、1995年になってはじめて機能しだしたわけで、まだほんの10年足らずの歴史しかなく、完全に定着した制度とは言えないからか、この陪審裁判に関するデータの入手は極めて困難な状況にある。にもかかわらず、ここでこの制度をご紹介しようと思ったのは、いずれは日本でもこの種の裁判方式が施行される可能性があるからだ。もっとも、まだ先の話だろうが。なにしろ、日本の政界の時計は驚くほどゆっくり動いていて、それはスペインの比ではない。慎重なのも結構だが、これほど慎重だと、ただ単に時間が経過するのを待っているのではないかなどと考えざるを得なくなる。
さて、その慎重な考慮期間を経た後に施行されたからといって、果たして日本でこの制度が馴染むか否かについては、これまた実に不透明な気がする。それはさておき、まずはスペインのケースを見てみよう。この制度自体の基本的な骨組みを確認しておくと、国民の中から選出された陪審員(日本でこの制度が始まるとすれば、陪審員ではなく『裁判員』と呼ばれる可能性が高い)、いわゆる『にわか判事』たちだが、彼らが裁判長の指導の下、容疑者の白黒を判断するというのがその大枠だ。
選出される陪審員(Ciudadanos Jurados)の人数やその方法は各国様々なようだが、スペインでは9名で構成されることになっており、さらに2名が補欠的な立場で参加する。正陪審員が何らかの理由で急遽陪審員として裁判を継続できない事態になった場合を想定してのことである。選出方法は、偶数年(2002年とか2004年)に、投票権をもつ国民の中から、各県毎に無作為に抽選で選出されることになっている。尚、スペインでは、陪審員になることは国民の権利であるとその法の中で規定されているが、日本では、国民の義務だと規定される可能性が大きく、この辺りをみても国民性の差が見え隠れするのは実におもしろい。(...続く)(文責:ancla)
以上は、本塾のメールマガジン『e-yakuニュースNo.28(2003年02月末号発行)』に掲載されたものです
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