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Monólogo de un pasota == Serie II -28 ==
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『馬耳東風』 第二編 (スペインの政経社編) 第28話
社労党政権の勝利とサパテロ新政権 (…yその4)
その他の登用で注目すべきは、国防相に就任したホセ・ボノであろう。ボノは、1983年から19年間にわたりカスティージャ・ラ・マンチャ自治州の首相を勤めてきた人物であるが、それだけではない。実は、2000年の党大会でサパテロが書記長に選出されたときの対抗馬であった人物である。しかも、彼は、そのずっと前から書記長候補と目されていたPSOEの大物であり、前首相のゴンサーレスの絶大なる後ろ盾もあった。つまり、換言すれば、ボノはサパテロの最大のライバルであった人物である。「あった」と過去形を使用したのは、今総選挙の結果が明確になったのを受け、ボノとサパテロは急接近したのである。このことをひいき目に見れば、「互いに協力して長く政権を維持していこう」との共通の目的と、「党ありき」の精神を優先させた結果とみることが出来る。いずれにしても、このことで、サパテロ新首相には、党内での対抗馬はいなくなったことは事実である
まあ、それはともあれ、サパテロ新首相は、外相に、中東の専門家として高い評価を得ているM.A.モラティーノス元EU中東特使を当てたことで、サパテロ新政権の反米・アラブ寄りの姿勢を鮮明に打ち出した。このことは、イラクからの撤退と合わせ、「大きな転換」をアピールするものとして注目に値する。その他の登用で注目すべきは、国防相に就任したホセ・ボノであろう。ボノは、1983年から19年間にわたりカスティージャ・ラ・マンチャ自治州の首相を勤めてきた人物であるが、それだけではない。実は、2000年の党大会でサパテロが書記長に選出されたときの対抗馬であった人物である。しかも、彼は、そのずっと前から書記長候補と目されていたPSOEの大物であり、前首相のゴンサーレスの絶大なる後ろ盾もあった。つまり、換言すれば、ボノはサパテロの最大のライバルであった人物である。「あった」と過去形を使用したのは、今総選挙の結果が明確になったのを受け、ボノとサパテロは急接近したのである。このことをひいき目に見れば、「互いに協力して長く政権を維持していこう」との共通の目的と、「党ありき」の精神を優先させた結果とみることが出来る。いずれにしても、このことで、サパテロ新首相には、党内での対抗馬はいなくなったことは事実である
女性大臣に話を戻すと、第一副首相の他は、社会基盤相(元運輸省)、文化相、厚生・消費相、農水相、教育科学相、住宅相(元勧業省)、環境相にそれぞれ女性大臣が就任した。女性大臣のみの平均年齢も、全体とほぼ同水準(49.5才)である。最近、彼女たちはまるでモデルのように『ヴォーグ誌』に揃ってポーズをとったことで、国民党が大反発をしているらしい
サパテロ首相の長けたバランス感覚からみると、唯一気になるのは、首相の出身地であるカスティージャ・レオン自治州の出身者が、本人を含めると5名もいること、PSOEが強い基盤を持つアンダルシア自治州から2名、バレンシア自治州3名、マドリード2名、ガリシア2名と、17自治州のバランスが少々崩れている点である。からかろうじてカタルーニャからは、産業・商業・観光相になんとか入閣はしてはいるものの、そのホセ・モンティージャは、基を正せばアンダルシア生まれである。そして、何よりも気になるのが、バスク自治州からの入閣者が皆無であったということである
最後に、サパテロ新首相は、確かに、現在のところ、次々と公約を実行に移し、PSOEに投票した選挙民の期待に応えている。筆者がわざわざこのような「いじわるい」ことを言うには、実は理由がある。それは、1982年にゴンサーレス政権が誕生したときのことを思い起こしたからである。当時のゴンサーレス政権は、スペインを『変革』させることを期待され、それも、左よりの政治を行ってくれることを国民が期待して誕生した。しかし、OTAN問題での対処に具現化されたように(彩流社刊:『スペイン
静かなる革命』碇 順治著 P. 285参照)、「権力の座に就く」というのはそれほど簡単なことでもなく、ましてや、これを「維持する」というのは実に困難なことである。サパテロ新首相がこの落とし穴に陥らないように祈りつつキーを打つのを終わりにすることにしよう。(このテーマの終了)(文責:ancla)
以上は、本塾のメールマガジン『e-yakuニュースNo.45/46(2004年07/08月末合併号発行)』に掲載されたものです
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