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スペイン語文法 番外編 (第一編)

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Monólogo de un pasota == Serie III -06 ==
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第三編 『スペインの慣用句』 (その六)

   動物シリーズは第4・5回と扱ってきたが、正直言って、第4回に動物を扱ったときには、これほど『長編の』シリーズものにする気はなかった。しかし、調べてみると、動物が登場する慣用句は結構あり、今回で3回目になってしまった。次回で一応終わりにしようとは考えているが、とりあえず、もう少しこの動物シリーズにおつき合い願いたい。

1. 『echarle (a uno) un gato a la cara』
   猫は前回に一挙にまとめて6句も取り上げたが、スペイン語人が犬よりも猫の方が好きなの か、あるいは、猫という動物の性質上、何かと揶揄しやすいからなのかは定かでないが、いずれにしても、猫を扱った慣用句はまだまだある。余りポピュラーではないかも知れないが、もう一つご紹介することにしよう。

   直訳すると、「誰かの顔に猫を投げつける」となり、少々物騒な感じがするが、実際の意味も、遠からずで、状況次第、あるいは、発話したときの口調次第では、単なる『挑発する・仕掛ける』から、時には『喧嘩を売る』という意味になる。次の例文がそれを旨く表現している。

   例) Me limité a hacerle una pregunta y reaccionó como si le hubiera echado un gato a la cara.
      (質問をするだけに止めたつもりだったのに、彼はまるで僕が喧嘩を売りでもしたかのような反応をしたんだ)

2. 『oler a tigre』
   「虎の匂いがする」というのがありきたりの訳だが、これだけでは意味不明だ。動物園に勤めているか、インドの山奥で虎に出くわした、というような人ならまだしも、通常の人は虎の匂いなど知るわけもない。ましてや、近頃では動物園の虎の檻もガラス張りで、現代人の我々には匂いを嗅ぐことすら難しい。あるいは、虎の匂いを客に嗅がせないための動物園側の配慮なのだろうか?いずれにしても、こんな慣用句がスペイン語にあるからには、きっとスペイン語人は虎の匂いがどんなものか知っているのだろう。あるいは、この慣用句は、かの『Félix Rodríguez de la Fuente(註:著名なスペインの動物学者)』あたりが、70年代に彼の解説で超人気テレビ・シリーズになった『El hombre y la Tierra(1974-79)』で語った言葉にでも由来するのかも知れない。ともあれ、どうやら、虎は極めて不愉快な匂いを発するらしい。スカンクとどちらが臭いのかを筆者に尋ねられてもお答えはできないが、慣用句の意味は『悪臭がする』だ。日本語には、『鼻を突く・鼻が曲がる・鼻がひん曲がる』と、少々味気のない慣用句しかなく、この件に関しては、日本の慣用句はどうも頂けない。スペイン語では、他に、慣用句ではないが、同じような状況でよく使用される表現に『Oler que apesta』がある。

   例) Su habitación olía a tigre.
      (彼の部屋はひどい匂いがしていたよ)

3. 『coger el toro por los cuernos』
   「闘牛の牛の角をつかむ」というのが訳になるが、500sも600sもあるあの勇猛果敢な闘牛の牛の角をつかもうというのだから、これは、まさに実感のこもった慣用句の一つだ。先の『oler a tigre』なども、実際に虎の匂いを知っていれば確かに実感もこもるのだろうが...。したがって、意味もそのものズバリ。『勇気を持って立ち向かう・思い切って何かをする』となる。日本の慣用句にも『清水の舞台から飛び降りるよう・性根を据えて掛かる』等々、同意のもので色々と良いのが少なくない。会話などでよく使用され、その意味からして、例文のように、だいたいが命令形的な使用が多いようだ。

   例) ¡Vamos, hombre! Tienes que coger el toro por los cuernos.
      (さあ、なにしてんだ。肝を据えて頑張れよ)

4. 『pillar el toro a alguien』
   闘牛の牛をもう一つ。こちらも少々物騒な感じだが、闘牛の牛というのがそのような感じを抱かせるのだろう。確かに、「闘牛の牛に轢かれる・捕まる・押しつぶされる」等すればこれは大変なことだ。もう、『やられた〜』って感じになるわけで、『どうしようもない状況に追いやられ、何もできなくなってしまう』というようなニュアンスになるのだが、この慣用句を一言で日本語で表現するのはなかなか難しい。そこで、下に例文を二つ上げておくので、何とかニュアンスをつかんでいただきたい。

   例-1) No pude terminar el trabajo a tiempo y, claro, me pilló el toro.
      (時間までに仕事を終えられなかったよ。もちろん俺の性じゃないぜ。仕方がなかったんだよ)
      つまり、「牛の下敷きになったかのように自分にはどうしようもできなかったんだ」と言っているわけだ。

   例-2) Date prisa, que siempre te “pilla el toro” y llegamos tarde.
      (急げよ。お前はいつもそうなんだ。お前の性で遅刻ばかりだよ)
      急げとせかされている人物は常に行動が遅い人らしいく、その理由というのが、「牛の下敷きになったかのように自分にはどうしようもできない事情」をその言い訳として出してくるのだろう。

5. 『ver los toros desde la barrera』・『mirar los toros desde la barrera』
   更にもう一つ闘牛の牛に登場してもらおう。この慣用句は実に分かり易い。闘牛を見物したことのある人ならこの句が持つ意味は十分に理解できるだろう。「防壁から闘牛を見る」わけだから、安全であるだけでなく、自分が闘牛と戦っているわけではないので、安心して批評でも批判でも可能というわけだ。日本語の慣用句にも『高みの見物』というのがあるが、スペイン語の意味もまさにこれだ。唯一気になるのは、何故『desde la barrera』なのか?だ。『barrera』というのは、上記の訳のように、観客席と闘牛場の「アリーナ」との間に、競技者が逃げ込める(牛は除く)ようにアリーナの中に設けてある小さな壁の意味と、そのすぐ後ろ、つまり、観客席の最前列も『barrera』と呼ばれる。しかし、その辺りだと元気のいい牛ならフェンスを飛び越えて暴れ込む可能性もある。よって、日本語の『高みの見物』というわけには行かないはずだ。『andanada(最上階の席)』や『grada(2階席)』でもなく、せめて『desde el tendido(1階席)』ではないのだろうか?等と勝手なことを言っているが、慣用句は慣用句であって、これは尊重するしかない。

   例) El negocio que planeas me parece muy arriesgado. Así que me dedicaré a ver los toros desde la barrera.
      (君が計画している商バイはとてもヤバイ気がするよ。僕は高みの見物といこう)

6. 『las vacas flacas』
   男女機会均等が叫ばれるおりから、片手落ちになってはいけないので、『Toros』の後は『Vacas』を見てみよう。やせたいという気持ちはどうも女性の頭からは離れないらしいが、牛の場合は余りやせていたのでは頂けない。まあ、これも、それを「食ってやろう」と考える人間から見た勝手な言い分かも知れないが。ともあれ、女性以外は、この「やせた(雌)牛」のように、「やせている」というのは余りよい印象を与えないようで、この「やせた(雌)牛」は『不景気・不況・窮乏』の代名詞となっている。さて、この慣用句の起源だが、紀元前にまで遡らねばならない。『創世記』の第41章に、ある夜ファラオの夢の中に「7頭のやせた牛」が現れるという話がある。これは7年間の間エジプトに飢饉がやって来るという前兆だった、というわけだ。

   例) Actualmente Japón se encuentra en un estado de vacas flacas.
      (日本は現在大不況のまっただ中にあります)

   おまけの例) Me han dado una beca muy pobre. Claro está, es natural que sea una beca flaca estando en una época de vacas flacas.
      (少しの奨学金しかもらえなかったの。そりゃそうだろう。今のような不景気なときには痩せっぽちなベ カ奨学金しか出ないよ)

7. 『las vacas gordas』
   『las vacas flacas』が慣用句になるなら、『las vacas gordas』だって慣用句になるはず。むろん、当然と言えば当然でしょうが、まったく逆の意味になります。しかも、やはりその起源は創世記まで遡り、同じ章に同じような夢の話が出てきていて、こちらの方は、当然のことながら『好景気・繁栄』を意味するわけだ。だいたい『お話』というのは旨くできているもので、だからこそ喜ばれる。

   例) Cuando les tocó el gordo en la Lotería de Navidad, comenzaron las vacas gordas para esa familia.
   (クリスマスの宝くじで大当たりが当たってからだよ。あの家の景気が良くなったのは)

   今回はここでキーを打つのを止めましょう。次号で動物シリーズは終わりにしようと考えています。では、読者諸氏からのご質問・ご意見をお待ちしております。 (文責:ancla)

   以上は、本塾のメールマガジン『e-yakuニュースNo.21-22合併号(2002年8月末発行)』に掲載されたものです

 

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