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スペイン語文法 番外編 (第一編)

馬耳東風 (第二編) スペインの慣用句 (第三編) マヤ暦のページ


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Monólogo de un pasota == Serie III -08 ==
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第三編 『スペインの慣用句』 (その八)

   さて、しばらくのあいだこの慣用句シリーズからは動物諸君にはお引き取り願うことにして、今回は食物や料理に関連した単語が含まれている慣用句を扱うことにしよう。

1. 『dar calabazas』

   この慣用句は良く知られていると思う。もっとも、直訳は「カボチャを(誰かに)与える」だから、いかなる想像力を持ってしても実際の慣用句の意味に辿り着くことは困難だ。興味深いのは、慣用句の意味が二種類あることだ。一つは、良く知られた『(誰かが誰か)を振る(異性の求愛を拒む)』だが、もう一つは、『テストなどを落とす(〜で落とされる)』だ。しかし、一見まったく異なった場面を想定した慣用句のようだが、よく考えてみると、異性に振られるのも、パスしたいと思った学校などのテストで入学を拒否されるのも、拒否されることには違いない。これを見ても明白なように、ある言語を他の言語に移行させるには、その言葉が持つ意味(内容)を別の言語で表現することであって、けっして、(例えば)スペイン語のA=日本語のBでないことが分かる。

   さて、振る人がいるということは、振られる人も存在するわけで、振られる側からは『recibir calabazas』という表現方法もあるのも覚えておこう。

   例-1) Isabel le ha dado calabazas a Fernando de nuevo.
         (イサベルはまたしてもフェルナンドを振りました)

   例-2) El profe ese de inglés me dio calabazas.
         (あの英語の教師に落とされちゃったよ)

2. 『el chocolate del loro』

   動物には引っ込んでもらおうと言った尻からまたしても『loro=オウム』を出してきて実に申し訳ない。弁解めいてしまうが、この慣用句の主役は、実は『loro』ではなく、あくまでもチョコレートだ。とはいえ、いずれが主役かは問題外としても、突然「オウムのチョコレート」と言われてもさっぱり何のことか理解不能だろう。もっともな話だが、この慣用句の由来も理解不能、いや、どうも信じがたいような逸話が残されている。まず、慣用句の意味は『(期待したほどの)大した節約ではない(もの)』という意味だ。どうして?

   逸話の中心がチョコレートなのだから、間違いなく、16世紀以降のスペインでの話だ。ある貴族の懐具合が悪くなり、「節約」をテーマに家族会議が開かれた。しかし、それまで贅沢に慣れ親しんできたわがままな連中ばかりだから、誰も実質的な節約につながるような意見を述べる者がいない。長い議論の末に出された結論がこうだった。「今後はオウムにチョコレートをやるのを止めよう」というわけだ。つまり、この口を開けたまま首を傾げる以外、他にリアクションの方法が思いつかないような、そんな節約方法ならば、確かに、何も期待できないわけだ。

   例) Esa nueva oferta de telefónica de la tarifa nocturna es el chocolate del loro.
         (電話局が提供するという新夜間料金は、豆腐にかすがい【無用の長物・絵に描いた餅】だ)

3. 『comerse uno el coco』

   あそこでも、そこでもなく、『coco』は、ココナッツ、つまり、椰子の実のことだ。「(誰かが)椰子の実を食べる」って?「それがどうしたの?、お好きにどうぞ」って感じなのだが、それが、食べる本人としては結構迷うもの、かどうかは定かではないが、スペイン語人はこれを食べるとこうなってしまうのだろうか?『coco』は、スペイン語で「いわゆる、思考場所を指す脳を代表する頭(脳)」としての意味もある。そんなことから、『(ああでもない、こうでもないと)考えあぐねて頭が変になる』ことをこのように表現するわけだ。

   例) No te comas el coco por las frutas y por qué no comes un coco que está aquí.
         (どの果物を食べるのかでそんなに頭を悩ますことないじゃん。ここにあるココナッツを食べれば?)

4. 『tener (traer) frito a uno』

   《frito》は確かに食べる物だが、《frito》は動詞《freír=油で揚げる》の過去分詞形でもあり、何らかの食材を油で揚げた結果でき上がった食べ物を指す言葉だ。したがって、単に《frito》だけでは何の《frito》なのかの指示がなければ、それの本体が不明だ。例えば、『pescado frito=魚のフライ』だとか、『plátano frito=バナナのフライ』などという具合に形容、指示される必要がある。したがって、《frito》自体は、厳密に言えば食物とはいえない。しかも、過去分詞形だからもう料理も済んだ後の状態を示すので、すでに料理用語でもない?でもまあ、そんな固いことは言わず、食物でもあり料理にも関係すると考え、今回扱うことにした。ともあれ、「誰かを油で揚げてしまう」とはこれまた尋常ではない。スペイン語でのこの慣用句の真意は『(誰か)をウンザリさせる・イライラする』というわけで、これは例を見てもらった方がよく理解して頂けるかも知れない。

   例-1) Las morosidades bancarias me tienen frito.
      (銀行の不良債権にはイライラさせられる)

   例-2) Me traes frita con tus celos.
      (あんたの嫉妬にはもうウンザリよ)

5. 『dar la vuelta a la tortilla』・『dar la vuelta la tortilla』

   「オムレツを裏返す」。何故これが慣用句なの?という典型のような慣用句だ。この手のものにぶちあたると、言葉の裏には文化があることをつくづく思い知らされる。オムレツというのは、とにかくスペイン人、特に女性にとっては実に欠かせない食べ物だ。何故それほどまでに好きなのかは分からない。『巨人大鵬卵焼き』という二昔も三昔も前の流行語というか、子供たちの三大好物で、さらに、当時の文化を象徴するようなフレーズが日本にもある。しかし、あれは一過性のものだった。だが、スペインでは違う。オムレツは絶対なる、ほとんど『神聖なる』食べ物だ。これを裏返しにする(される)わけだから、これは『根底から状況を変える』ことになってしまう訳だ。

   因みに、『dar la vuelta a la tortilla』の場合(例-1)は、《tortilla》が動詞の補語的役割をしているところから、『(誰かが故意的に)状況を変える』と言うニュアンスがあり、『dar la vuelta la tortilla』の方(例-2)の《tortilla》は主語なので、『状況が変わる』ということになろうか。

   例-1) Llevaba bien con ella pero apareció aquel sujeto y dio la vuelta a la tortilla.
         (僕は彼女とうまくいっていたのに、あの野郎が現れ、すべてひっくり返したんだ)

   例-2) En la empresa ha dado la vuelta la tortilla y los directivos enchufados de antes se llevan mal con el nuevo presidente.
         (会社で状況が一変し、以前の社長派の連中は新社長と折り合いが悪いそうだ)

6. 『olerse la tostada』

   《tostada》は「何かを焼く」を意味する動詞《tostar》の過去分詞の女性形で、その行為の完了形だから、何かを焼いた後のものならどんなものでも《tostado-a》のはずだ。しかし、《tostada》は一般的に「パンを焼いたもの」を言い「トースト」を指す。しかし、よく考えてみると、《pan》は男性形だし、いわゆる食パンのことを《pan de molde》と言うから、これも男性形だ。にもかかわらず、何故トーストを《tostada》と女性形で呼ぶのか?などと、話がまったく慣用句から離れてしまったが、これは、もともと《pan de molde》が市場に出回る以前は《barra de pan》を適当な厚みに切ったもの(rebanada de pan)を切って焼いていた。したがって、正確には《rebanada de pan tostada》となるわけで、この最後の形容詞である《tostada》が名詞に変化し、これだけでトーストを意味するようになった。

   さて、いずれにしても、この《tostada》が真っ黒に焦げてしまった、なんて経験は大勢の人が体験しておいでだろう。まあ、もっとも、真っ黒焦げになる前に相当特異な匂いを発するので、その時点で気が付き、大事には至らないわけだが、通常その時はもう食べられるような状態ではない。そこで、「トーストの匂いがする」なる表現を更に想像を膨らませて発展させれば、『危険・危機などを察知する』ということになる。

   例) Ellos no llegaron a engañarme porque ya me olía la tostada.
      (すでに僕は危険を察知したので彼らは僕を騙すには至らなかった【ちょっと直訳調だったかな?】)

7. 『tener mala uva』

   果物が豊富な秋にあって、腐ってもその力を発揮するのが《uva》だ。腐ってもなどという表現は適当ではないかも知れないが、酒飲みではない筆者の場合は是非その前に食べたいので、こんな表現になってしまうのかも知れない。ワインの発祥の地である欧州では、《uva》は果物としてよりもお酒の元として実に大事な果物だ。したがって、《uva》の状態が悪かったり、《uva》そのものの質が悪い、あるいは、悪い何かを持っているというのは、実に好ましくないことだ。したがって、そうした「悪い葡萄をもつ」人は、『怒りっぽい人』だったり『悪意のある人』や『悪いやから』だということになる。

   例) Sin duda, qué mala uva tiene esa ama de cría que siempre pega al crío escondida.
         (まったくもってなんて乳母だ。いつも陰に隠れて赤ん坊をひっぱたいているんだ)

   今日はこの辺で終わりにしよう。では、読者諸氏からの質問や意見をお待ちしている。(文責:ancla)

   以上は、本塾のメールマガジン『e-yakuニュースNo.24(2002年10月末発行)』に掲載されたものです

 

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