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スペイン語文法 番外編 (第一編)

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Monólogo de un pasota == Serie III -33- ==
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第三編 『スペインの慣用句』 (その三十三)

  まずは、前号でのお休みをお詫び申し上げておきたい。連載開始後3年以上が経過して…などと言った矢先にお休みをせざるを得なくなり、読者諸氏には大変申し訳ないことをしたと思っている。もっとも、3年以上が経過したと言いながらまだ33回目だから、この間、何度かのお休みを頂いているようだ。いくら扱っているものが慣用句だからと言って、こうした悪い習慣は慣用にならないようにしたい

  さて、前回から「身体」にまつわる語をキーワードにした慣用句に再び挑戦しているわけだが、身体をテーマにしたものが多いのは、漫才コンビなどが相方の身体的弱点に「つっこみ」をいれるのと同じ次元なのだろう。したがって、このシリーズはしばらく続きそうだ

1. 『boca a boca』
  「口に口」・「口対口」となるので、日本語にすると完全な回文、つまり、「上から読んでも○×○、下から読んでも○×○」と言う例のやつだ。ただ、日本語では、同じ言葉を重複して表現することが多々あるにもかかわらず、この場合は口が二つ、あるいは、二度出てくることはなく、「口うつし呼吸法」が最も一般的な訳語と言うことになろう。こうした実に綺麗で素晴らしいピッタリの日本語があるにもかかわらず、またしても例によって、英語学習者の日本語能力の低さ故なのと、我々日本人の外国語症候群、そして、更に、外国のものを日本流に料理して日本のものにしてしまうと言う我々日本人が最も得意とする技能などすべての条件が重なり合い、一般的には「マウス・ツー・マウス」が横行している

  しかしながら、それでは「慣用句」とは言えない。つまり、「口うつし呼吸法」では慣用句としての役目を果たし得ないわけで、これを基にして例のような表現が成立するわけで、これこそが慣用句の慣用句たる所以であろう。とは言え、「口うつし呼吸法」と名詞化されているので、こうした使用法の場合には、スペイン語でも冠詞「el」を付けるのを忘れないようにしよう。決して「boca」だからと言って「la」ではないのでご注意を

  例) Un candidato a las Elecciones Generales se concentró hacer una campaña al “boca a boca” en la calle, el contacto directo con los electores.
    (ある候補者は総選挙で選挙民に直接訴える街頭演説に徹した)

2. 『chuparse los dedos』
  赤ん坊がよく行う行為である。この「慣用句シリーズ」の第2回目で「chuparse el dedo」「指をしゃぶる」が転じて「ばか(無邪気)である」という慣用句をご紹介したことがあった。これを覚えている読者はまずいないとは思うが、今回はこの指が複数になっているわけで、複数の指をしゃぶるのと、1本の指をしゃぶるのとでは、意味がまったく違ったものになってしまう。この辺りが我々外国人には理解不能なところだ。複数の指をしゃぶるかなめるかする行為はあまり見た目良くはないが、それだけの価値があるわけだ。そんなところから、『十分満足する』とか、特に食事の時などに頻繁に使用され、『美味しそう』となる。更に、例-02)の様に人間にも使用されたりする。しかし、これをあまり頻繁に使用すれば、「まあ、なんと下品な人」と見られてしまうのでご注意を

  例-01) La paella estaba para chuparse los dedos.
      (パエジャはとても美味しそうだった)
  例-02) La chica estaba para chuparse los dedos.
      (その女の子はとても美味しそうだった。=つまり、大変セクシーだった)

3. 『mano sobre mano』
  指から今度は手に移ってみよう。「手の上に手」だから、男が女性を口説いたりするときの行為なのだろうか?と思ったら実は違う。この手は両方とも自分の手である。つまり、自分の両方の手をそれぞれしたと上にし、手を合わせているのではなく、自分の両の手を重ねている状態である。神妙な態度の時、かしこまった時など以外はあまりありそうにない光景だ。あるいは、よほど暇なのかもしれないが、それでも、大の大人が両手を重ねて何もしないで居るというのも考えにくい。しかし、そのような人も世の中には希にいるかも知れないわけで、極端なありそうにもないほど暇な時というのを例にしてこの慣用句が成立している。よく考えてみると、先の《chuparse los dedos》だって、いくら美味しそうな料理が目の前にあっても、複数の指をなめたりはしないわけで、これも慣用句の慣用句たる所以なのである

  例) El hombre de aquella tienda está todo el día mano sobre mano.
    (あの店のオヤジは一日中ぼけっとしている)

  さて、今回はこの辺りで終わることにしよう。1回休んでしまったので、少々力が入って長くなってしまった。ご質問・ご意見をお待ちしている。(文責:ancla)


  以上は、本塾のメールマガジン『e-yakuニュースNo.59号(2005年09月末発行)』に掲載されたものです

 

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