===========================================
Monólogo de un pasota == Serie III -36 ==
===========================================
第三編 『スペインの慣用句』 (その三十六)
身体の部分をキーワードにした慣用句は今年一杯で終わらせようと思っていたのだが、どうやらこの調子だと来年に持ち越ししそうだ
1. 『cerrarle a uno la boca』
この慣用句はどちらかと言えば、慣用句らしくないありきたりの表現にもかかわらず慣用句の扱いを受けているもののひとつだろう。通常の文意からは「(誰かに)口止めする」や「(誰かを)黙らせる」になる。しかし、やはりそこは慣用句。それなりの意味があって、単に黙らせるのではなく、何等かの言い争いの中で、絶対的な力を持つような主張を持ってして相手をぎゃふんと言わせ、反論できないようにしてしまうような時に使用される
例) A ese se le puede cerrar la boca recordándole su pasado.
(やつの過去を持ち出してやればやつはもう反論できないよ)
2. 『sobre las manos (andar sobre las manos)』
3ヶ月ほど前に《mano sobre mano》なる慣用句をご紹介したのを覚えておいでだろうか?今度は「手の上に手」ではなく、同じように「手の上に」でも手の上に来るものが違うと、当然のことながらまた別の意味を持ってくる。これは『逆立ち』という意味である。つまり「手の上に」あるのが身体ならば当然そうなる。実に納得がいく話だ。因みに、他にも、《hacer
el pino》や《hacer la vertical》というのも同じように逆立ちをするである。後者はまだしも、前者の「松をする」というのが何故逆立ちになるのか?解せない、まさに慣用句である。もっとも、《andar
sobre las manos》で「逆立ちして歩く」だから、面白くも何ともなく、例文だって作っても面白くない。しかし、面白いのは、この《hacer
el pino》を《hacer pinitos》というふうに冠詞を取り縮小辞にすると、これまたまったく違った意味になってしまうところが慣用句らしくて言い。意味は次の例文でご紹介しよう
例) Hizo sus pinitos como cantante.
(彼女は歌手としてデビューした)
これは元々、赤ん坊がヨチヨチ歩きをするという意味から、何等かの初歩の段階を歩みだしたという比喩的表現である。つまり、逆立ちをして歩くのは、体操選手ならともかく、そうスイスイとは歩けず、よろよろ、ヨチヨチ歩きのように見えるからだ
3. 『no tener ni pies ni cabeza (sin pies ni cabeza)』
「足も頭もない・持たない」となるとこれはもう妖怪か?そうでなければ、足も頭も甲羅の中に引っ込めた亀しか考えられない。つまり、亀を表現している慣用句なのだろう?それはあり得ないことは誰にでも分かる。しかし、ではその真意となると…。そう言えば、良く芸術作品とか言われるような映画には、頭も尻尾もないのがあったりする。つまり、始まりと終わり、起承転結が明確でない映画など、『でたらめ』と言うか『支離滅裂』な映画があったりする。その通り。この慣用句はその通りの意味なのである
例) El argumento de esa película no tiene ni pies ni cabeza.
(あの映画はいったい何が言いたいのかさっぱりわからんよ)
一応、日本語は自分が分からないように訳してはあるが、映画が悪いのであって自分が悪いのではないことは日本語では明確だと思う
今回はこの辺りで終わることにしよう。ご質問・ご意見をお待ちしている。(文責:ancla)
以上は、本塾のメールマガジン『e-yakuニュースNo.62号(2005年12月末発行)』に掲載されたものです |
|