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Monólogo de un pasota == Serie III -38 ==
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第三編 『スペインの慣用句』 (その三十八)
さて、33回目から始まった身体の一部を利用した慣用句のシリーズだが、前回同様今回も同じ部分のみをキーワードにしてみた。今回は『鼻』だ。この『鼻』では我々日本人は恥をかくことが多い。「あなた方外国人は鼻が高いですねぇ」を「Ustedes los extranjeros tienen narices altas.」と言って笑われたことはありませんか?しかも、この時、二重に恥をかいていることに気が付いていない人が多い。何故二重に恥なのか?第1の恥:「高い鼻」は「nariz alta」ではなく「nariz grande」と表現するからだ。第2の恥:すべての外国人が高い鼻を持っているわけではないからで、これは、暗に、「私は実は人種差別をしています。日本人以外の人間を一律に捉え、心の中では、日本人以外は異質な人種だと決めつけています」というのを公言しているようなものだからだ
1. 『con un palmo de narices』
先の話の続きではないが、「tener una nariz de palmo」という表現がある。これはそのものズバリ。非常にでかい「手のひらサイズの(高い)鼻を持つ」人を表現したものだ。前置詞「con」は動詞の「tener」が「持つ」と同様の意味を「持つ」のだが、tenerではなくconに限定することで慣用句になってしまうから面白い。意味としては根本的に『期待を裏切る』や『だます』なのだが、その理解はともあれ、この慣用句を使いこなすまでとなると一筋縄ではいかない。因みに、動詞「dejar」を伴って使われることが多いようである
例-1) Pedro me había prometido unas invitaciones para el teatro, pero las ha regalado y me ha dejado con un palmo de narices.
(ペドロはお芝居の招待券を私に何枚かくれるって言っていたのよ。それなのに彼ったらそれを誰かに上げちゃったのよ。ひどいワー)
例-2) No sabe lo que me divierte dejar a esos con un palmo de narices.
(私にとって彼らの期待を裏切ることがいかに喜ばしいことかお分かりですかな?)
2. 『dar (algo) en la nariz (a alguien)』
1のようにだまされるといけないので、「まずはすべてを疑ってかかることが人生成功の秘訣だ」などとうそぶいている人は誰です?まあもっとも、「人生それほど捨てたものでもない」と言いきれれば良いのですがね。ともあれ、「何かを鼻の中に与える」?そんなことをされると、それは確かにあまり気持ちの良いものではない。そんなことをされる前に相手が何を考えているのかに思いを馳せることは確かに良いことだ。「疑う」や「嫌疑を掛ける」がこの慣用句が持つ意味である。ここでは簡単な例文を一つ上げるにとどまろう
例) Me da en la nariz que nos intentan timar.
(我々をだまそうとしているのではないか?と私は彼らを疑っています)
3. 『darse de narices con alguien』
こんどこそ一筋縄ではいかない慣用句のように見える。再帰代名詞が介入したり、挙げ句の果ては前置詞「de」までくっついているともなると、もう訳が分からなくなる。「dar+(動詞のinfinitivo)」ならまだしも。読者諸氏にはそのような問題はないですか?え?誰です?そんなところで鼻をつき合わせてうなずいているのは?そう、その通りなのです。いや、彼らはロシア人ではないので、「誰かと鼻をつき合わせる」というのが慣用句の意味ではありませんが、少なくとも、直訳はそれで良いと思います。つまり、「誰かと誰かが鼻をぶつけ合う」状態が見えれば、『出くわす』や『出会う』につながっていきますからね
例) Cuando nos escapamos de clase, nos dimos de narices con la profesora.
(クラスを抜け出したときその女性の先生と出くわしてしまった)
今回はこの辺で終わろう。ご質問・ご意見をお待ちしている。(文責:ancla)
以上は、本塾のメールマガジン『e-yakuニュースNo.64号(2006年03月末発行)』に掲載されたものです |
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