「スペイン文化入門」ダイジェスト版

まえがき
今さら言うまでもなく、かつてスペインは陽の沈まぬ国として世界に君臨したが、近代に入って間もなくフランスやイギリスに追い抜かれた。要するにスペインは近代化競争に負けてヨーロッパの廃嫡された長子となったわけだが、しかし意に反して負けたとだけ言うと真実の半分しか言わぬことになる。
第01章 われわれにとってスペインとは何か
従来のわが国のスペイン研究が、純然たる語学教育と実用的な商業スペイン語に重点が置かれてきたことは否定できない。これを他のヨーロッパ諸国研究あるいはアメリカ研究と比べてみるなら一目瞭然である。
第02章 新しいスペイン像の模索
もし仮に、一国の文化創造のエネルギーを計量化し、それをグラフにすることができるとしたら、スペイン文化史のそれには二つの大きな山を認めることができよう。第一の山は、いうまでもなく十六、十世紀のかの有名な「黄金世紀」である。
第03章 スペイン、その重層性の魅力
ユダヤの影響とイスラムの影響とを比較した場合、どちらかというと、前者は思想など目に見えない領域でのそれであるのに対し、後者は美術や音楽など感覚的な面できわだっていると言えよう。たとえば、建造物に関してなら、われわれにもなじみのあるグラナタのアルハンブラ宮殿(写真)やコルドバのメスキータを見れば一目瞭然である。
第04章 スペイン的「生」の思想
宗教改革については今さら言うまでもあるまい。スペインは言わずと知れた対抗宗教改革の牙城であり、イエズス会の創立者イグナシオ・デ・ロヨラ(一四九一〜一五五六)、そしてトレント公会議(一五四五〜一五六三、台頭するプロテスタント勢力に対するカトリック側の陣容を整えた会議)で活躍した神学者たち、の国であった。
第05章 スペイン文化論を補完する二つの作業仮説
およそ人間にかかわることで、「私」抜きに、もっと正確に言うなら、「私の生」抜きに起こるものはない。オルテガも言うように、「あるものの認識が充分かつ根本的であるためには、われわれの生という、そのあるものが登場し、姿を現わし、湧き出し、突出する場所、つまりそれが存在する世界の内部に、その位置と方法とを正確に見定めななければならない」からである。
第06章 ドン・キホーテとスペイン精神
このような性格、特徴をもったスペイン人が自分たちの生きざま、世界と人間にかかわる諸理念のレパートリーを抽象的なものに求めず、むしろ「肉と骨を備えた」具体的な人間、われわれの中に「生き、動き、存在する」ものに求めるというのも当然のことに思われる。
第07章 セルバンテス『ドン・キホーテ』
メネンデス・ぺラーヨ(一八五六〜一九一二)やロドリゲス・マリン(一八五五〜一九四三)のように、文献学的あるいは書誌学的厳密さをもって原典を注釈し解釈するが、基本的には伝統主義的かつ生粋主義的な(スペイン文学の純血性をほこる)態度、これを広義のセルバンティスタと名づけることができる。
第08章 フランコ以後の新しい日々
一六世紀から一七世紀にかけてのスペイン黄金世紀の大劇作家、カルデロン・デ・ラ・バルカにも『人生は夢』『世界は大劇場』という作品があるが、古来、スペイン人には、人生を夢と見、劇と見る傾向が強く、政治もまた例外ではない。劇には善玉だけではなく悪玉も登場しなければ面白くない。
第09章 民族とその風土
古来、スペイン人の特性の一つに「過度を求める」という気質が挙げられてきた。これは前述した「人間的規矩、分別を越える」ということと同じである。ドン・キホーテの全行動、とりわけ彼の騎士道再興の願いは、いかにも人間的分別、常識を越えている。
第10 章 パロスの港 もう一つの地中海への出口
つまり15世紀末の地中海世界にとって(トルコの脅威などの事情も重なって)、「マーレ・ノストルム(われらの海)」がもはや身丈に合わぬほど手狭になってしまい、そのあり余るエネルギーをさらに広い空間に向けて放出する必要があったということである。こう考えてみると、パロスの港は、地中海世界が空間的にも質的にも自己拡大をはかるための突破口であったと言えなくもない。
第11 章 ゴヤまたは楽園のアダム
ところでそのスペイン人論であるが、それこそスペイン人の数ほどあって、まともに付き合っていたら、八岐大蛇かメドゥーサを相手にするようなぐあいになってしまう。思いつくままに挙げれば、たとえばウナムーノやオルテガの作品に散見されるスペイン人論、M・ピダルの「スペイン精神史序説」やマダリアーガの「情熱の構造」などに展開されているスペイン人論などがあって、これらは翻訳で読むことができるが、他にも未邦訳のものとしてはF・ディアス・プラハの 「スペイン人と七つの大罪」などが面白い
あとがき
日本にも「禍福は糾える縄の如し」や「禍福門なし唯人の招く所」など、似た意味の諺は存在するが、スペインの場合この諺は、あの黄金世紀の偉大なる文学者の一人、グラシアンの代表作「クリティコン」にも登場するほどの古い諺で、「例え不幸が訪れても、それは必ず何らかの幸福を伴ってやって来る」と言う、極めて前向きなメッセージが込められている
 

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