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Escrito por Tomoko Ikeda del ITT

Sr. Japón y Hasekura san

Japón さんと支倉さん

〜 日本とスペイン400年の時と海を超えた出会い 〜

Fundado en 1995

スペイン語翻訳通訳

Instituto de Traducciones de Tokio

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ここは日西翻訳通訳研究塾ホームページ「支倉 と Japón san 11-M de Japón」の特別号その5ページです

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− Número Especial (11-M) その5−
「震災後の仙台、石巻へ その 2」

― 仙台編 ―
支倉常長の子孫であり、支倉家第29代当主の支倉哲男さん=仙台市宮城野区=が10月22日にお亡くなりになられた。享年92歳であった

私が支倉さんの訃報を受けたのは、翌日の石巻のイベント(Numero Especial 4参照)に参加するため仙台入りした10月28日。仙台駅に到着し、せっかくなのでこれからご自宅に伺っていいかと支倉家へ電話を入れたところ、亡くなったこと、そして今日10月28日が葬儀であることを告げられた。仙台に到着した日が葬儀なんて、まるで支倉さんに呼ばれたのではないかと思ってしまった

ベレー帽に黒ぶちの大きな眼鏡
生前のトレードマークであったそれらを身に付けた支倉さんの遺影は、あまりにもきりっとした表情で、亡くなったことが信じられなかった
「もっと早くに会いにくればよかった。もう一度お話がしたかった」
今となってはもうどうしようもないことを心の中で繰り返し思いながら、支倉さんの奥様と息子さんと1時間ほどお話をし、席を立った。お茶うけに出して頂いた仙台名物“支倉焼き”には手をつけられなかった

支倉さんとの出会いは2005年の秋のこと。当時私は大学4年生で、卒業論文の執筆のために、彼にインタビューをしに自宅へ伺ったのが始まりだった
「改札の前で待ってますからね。ベレー帽を被ってますからすぐ分かると思います」
事前の電話でそう伝えられた通り、最寄り駅の改札の前で、ベレー帽を被ったおじいさんが背筋をしゃんと伸ばしベンチに座っていた。その姿を見たとき、「あ、侍の子孫だ!」と思ったのをよく覚えている

支倉さんは、常長のことを「気概のある人だ」とおっしゃっていた。困難極まりない現代において、彼のような人物がいてくれたらどんなに良いか…。そう切実に語る様子から、支倉さんの常長に対する思いが強く伝わってきた

常長が気概の人ならば、支倉さんはエネルギーの塊のような人だった。80歳を過ぎてから、メキシコ、スペインと、常長が訪れた場所を自ら辿った。故ビルヒニオ・カルバハル・ハポンさんが愛知万博のために来日した際には、仙台から名古屋まで飛んで行った。絵画やスキーが趣味で、いつも元気に飛び回っていた。そして、支倉常長と慶長遣欧使節について、まわりへ伝え続けてきた

87歳(当時)とは思えない、そのパワーの源は何なのか
就職を目前に控え、学生生活も残すところあとわずかという、期待と不安と淋しさが入り混じった微妙な時期を迎えていた私は、支倉さんの持つエネルギーに圧倒され、いつしか常長よりも支倉さんご本人に興味を持つようになった

支倉さんに出会った人たちは、「彼と話して人生観が変わった」と口をそろえて言う
好きなことに思いっきり取り組み、毎日を楽しみ、いくつになってもわくわくする心を忘れない。そして、どんな困難にもくじけず前に進んでいく。そんな彼の姿勢に多くの人が影響を受けたのではないか。少なくとも私はそうだった

支倉さんから毎年届く年賀状には必ず、趣味で描かれた絵がプリントされていた。年賀状を書くのが楽しみで、毎年10月頃までには全て書き終えてしまうらしい。来年2012年の分もすでに準備されていた。「もしよかったら、持っていってください。もう送れないから」息子さんからそう言われて受け取った“最後の年賀状”には、大きな太陽と金華山と思われる山が描かれていた。金華山は、支倉常長ら使節一行が石巻を出航した時に見たであろうと言われている山だ

ビルヒニオ・カルバハル・ハポンさんと支倉哲男さん。2人の口癖は、「私はサムライの子孫だ」だった。2013年には、支倉常長ら慶長遣欧使節が出航してちょうど400年を迎える
記念すべきこの年に2人は再開を約束していたが、実現されることはなくなってしまった
先祖を想い、日本を想い、自らもサムライのように潔く、芯が通った生き方をした2人がいなくなってしまったことは、残念でならない。しかし、これから先も彼らを忘れることなく、何らかの形で伝えていくことはできる。そして、2013年に無事400周年を迎えられるように協力していくことが、2人と出会い交流した私の役目なのではないだろうか
支倉家からの帰り道、そんなことを思った

支倉哲男さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます
どうか、無事に400周年を迎えられますように