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Escrito por Tomoko Ikeda del ITT

Sr. Japón y Hasekura san

Japón さんと支倉さん

〜 日本とスペイン400年の時と海を超えた出会い 〜

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スペイン語翻訳通訳

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ここは日西翻訳通訳研究塾ホームページ「支倉 と Japón san 11-M de Japón」の特別号その4ページです

日西翻訳通訳研究塾は石巻のサン・フアン館を応援しています

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− Número Especial (11-M) その4−
「震災後の仙台、石巻へ その1」

― 石巻編 ―
2011年10月29日、宮城県石巻市にある慶長遣欧使節船ミュージアムで開催された「サン・ファン・バウティスタ号出航記念イベント〜乗り越えよう!共に〜」というイベントに参加した
今年2011年は、使節が派遣されるきっかけとなった仙台藩主「伊達政宗」とスペイン大使「ビスカイノ」の出会いからちょうど400年目にあたる。イベントはこれを記念したもので、ミュージアムと石巻市渡波(わたのは)地区の住民ら実行委によって、使節の出航記念日(10月28日)に合わせて主催された

前日の28日に仙台市へ到着。翌朝7時頃、高速バスで石巻へ出発した。津波で大きな被害を受けた仙石線はいまだに復旧されていない箇所があるため、バスで向かうのが一番早い。1時間15分かけ、石巻駅へ到着。そこから今度は路線バスに乗り換え、沿岸部に位置するミュージアムへと向かった
石巻駅付近はだいぶ復旧されていたが、路線バスで沿岸部に近付くにつれ、瓦礫の山や潰れた家が徐々に増えていく。こんなところまで津波が来たのか…。まだ海岸は見えないというのに、壊れたままになっている家や、以前は建物が建っていたと思われる空き地の多さにただただ茫然とした
テレビや写真でしか見ることのなかった被災地。私の実家も被災したが、それとは比べものにならない惨状に心が締め付けられた。自分の足で訪れ、生の現場を見なければ絶対に分からないことがある。震災当時に比べて、石巻を始めとした被災地の様子がニュースで報道されることは少なくなってきたが、だからといって終わったわけではない。まだ何も終わっていないのだ。これからが復興に向けてのスタートなのだと感じた
やがてミュージアムに到着。バスを降りる時、運転手のおじさんに声をかけられた
「あんた、どっから来たんだ?」
東京からだと答えると、「そうかあ。町の様子見ただろ?ひどいもんだよな。みんな流されちまった。でもよ、これからは復興だ。頑張らないとなあ。わざわざ遠いとこから来てくれてありがとな。」といって笑顔を見せた。その笑顔に、何だかとても切なくなった

会場に着くと、多くの人たちで賑わっていた。幸いにもこの日は晴天。すきっと晴れた空の下、伊達のうどん無料試食や野菜の無料配布、地場産品の販売など露店が並び、たくさんの人々が列をなしていた。午前10時になると、野外ステージでオープニングセレモニーが始まり、館長さんによるあいさつがあった
「当初は、このイベントを開催するかどうか私たちミュージアム側はためらったんです。しかし、地域の皆さんの働きかけで、“ぜひ、やっぺし!”となりました。今日という日をきっかけに、次へ向かって頑張っていきたい。」

全員で黙とうを捧げた後、仙台藩士会の演武や、観光PR集団「欧州・仙台おもてなし集団伊達武将隊」によるパフォーマンスが披露された。コミカルな寸劇に来場者から拍手や歓声があがった

午前11時、宮城スペイン協会と共同で、スペイン友好記念植樹が行われた。植樹されたのは桜の木。実は、同協会は横浜スペイン協会と共催し、1995年と1998年にスペインのコリア・デル・リオ市に桜を植樹している。日本とスペインの「友情の証」を、その縁が始まった石巻に植えるということは何だかとてもロマンがあっていいなと思う

また、世界で初めて使節の足跡を辿ったという写真家・高橋由貴彦氏の寄贈写真展「ローマへの遠い旅〜慶長使節支倉常長の足跡〜」も開催された。高橋氏は石巻の出身で、この度、スペインなどを中心とした写真をミュージアムへ寄贈。イベントにも参加された
私は、大学でハポン姓と支倉常長の研究をした際に高橋氏の著作も読んでおり、大変感銘を受けていたので、この日ご本人にお目にかかれてとても嬉しかった

今回のイベントに集まった人たちは、こうした催し物を楽しむことが目的だと思うが、実はもう一つ見ておきたいものがあったようだ。それは、使節を運んだ「サン・ファン・バウティスタ号」の復元船である。Numero Especial 3でも紹介したが、大津波の襲来で、まわりの漁船がすべて流され、復元船を取り囲む展示室も一瞬で壊れる中、サン・ファン号だけは奇跡的に持ちこたえ一部破損に留まったのだ。復元船は展望棟から眺めることができるというので、他の人と同様に私も足を運んだ

眼下には、かつて漁港や町があったとは思えない“何もない”景色が広がる。そこにサン・ファン号だけが静かに佇んでいた。その光景に、津波の凄まじさと、被害の大きさを改めて思い知らされた。と同時に、よく持ちこたえたなあと何だか救われるような思いが湧き上がった

付近の住民たちは、この船を復興のシンボルとして頑張っていきたいという。復興の道のりは険しく、被災者の心の傷が癒されるまで、たくさんの時間がかかるだろう。そんな中、まるで“東北の底力”を見せるように生き残った復元船の存在は、被災者にとって心の支えとなるのかもしれない

震災以来休館となっているミュージアムは、2年後の使節出航400周年記念までの復旧を目指ざすべく、現在努力を続けておられる。今回のイベントはその第一歩となった。400年前に夢やロマンを乗せて石巻から出航した船は、今度は住民の希望を乗せ、復興のシンボルとして再出航するに違いない

私も、出来ることをやっていこう。そう心に決め、石巻を後にした