「3月11日、グアダルキビル川のほとりで」
3月11日が近づいてくると、心の中がざわざわっとする
きっと日本中で、そんな気持ちを抱く人は少なくないと思う
2011年3月11日に起きた東日本大震災
あの日から5年経った
今年の2月半ば、仕事で宮城県気仙沼市を訪れる機会があった。津波で店を流されてしまった飲食業の方々の仮設店舗が連なる「復興屋台村」で、地元の方にお話を聞くことができた
「まだ仮設住宅に住んでいるよ。引っ越す目途が全然立たないんだ」、「屋台村も今年で終わりだからね。営業再開できる場所を探さないといけない」、「被災地以外では震災の記憶は薄れていくかもしれないけど、(復興は)まだまだなんだよ」
これが現実なのかと、お話を聞きながら胸が痛くなった。でも最後は、皆さん決まってこう言う。「でもさ、前を向いていないと始まらないじゃない!だから笑顔でね、こうやって毎日頑張ってるの!またぜひ来てね」
なんて強いのだろう
震災後、石巻や気仙沼、三陸沿岸地域に何度か足を運んだが、訪れるたびに東北地方の方々の強さと決意を感じ、逆に自分の無力さを思い知らされるのだった。今回もそんな気持ちを抱きながら、東京に戻ってきた
数週間後、一通のメールが届いた
差出人は、コリア・デル・リオのハポンさんだった
「3月10日夜8時、東日本大震災で犠牲になられた方々への追悼のミサを行います。翌11日は、カルロス・デ・メサ公園の支倉常長像の前でセレモニーを行いますので、ぜひ皆さんご参加ください」
メールの内容は、追悼式とセレモニー参加を呼びかけるものだった。日本スペイン支倉協会[Asociación Hispano-Japonesa HASEKURA]が主催だという。残念ながらスペインまで行くことはできなかったが、ハポンさんたちの温かい気持ちに感謝の気持ちでいっぱいになった
(そういえば5年前、震災直後にもハポンさんからメールが届いた。「日本の東北地方は私たちの先祖の故郷であり、私たちハポンにとっても大切な場所なんだ」と、いち早く寄付金を募り、助けてくれたのだった。その時のことは、Número especial その1で書いているので、合わせて読んでいただけたら嬉しい)
セレモニーは、グアダルキビル川のほとりにある、カルロス・デ・メサ公園で行われた
ハポンさんをはじめ、スペインの方々が支倉常長像のまわりに集まり、遠く離れた日本に祈りを捧げた
その時の様子が、日本スペイン支倉協会のFacebookで紹介されていたので、転載する
(こちらから写真を見ることができる)
Los actos del 11 de marzo han discurrido con admirable emotividad. Comenzaron la noche del 10, en la que el párroco de la Estrella, D. Antonio Santos, ofició una hermosa ceremonia funeral promovida por la Asociación Hasekura, en la que se evocó el dolor de las víctimas del terremoto japones de 2011 y se pidió por la pronta recuperación de las tierras y los hombres del Tohoku. El día 11, junto al Guadalquivir, discurrió un acto con amplia participación de autoridades, instituciones, escolares y ciudadanos. El Sr Embajador de Japón en España, Kazuhiko Koshikawa, entregó al Alcalde de Coria del Río el texto de las recientes palabras pronunciadas por el Príncipe Naruhito en las que recordó su paso por nuestro pueblo y su emoción al escuchar a escolares cantando canciones en japonés. Los mismos jóvenes que entonces cantaron lo hicieron hoy ante el Sr Embajador y todos los asistentes. El atleta Eduardo Fernández-Aguera, que protagonizó el Tohoku Crossing, como un acto solidario con las tierras japonesa afectadas, fue el encargado de leer un Manifiesto en el que los/as corianos/as reiteraban su amistad con el pueblo japonés. Finalmente, los asistentes arrojaron claveles blancos y rojos sobre las aguas del Guadalquivir. En definitiva, una jornada para sentirnos orgullosos por el modo en que todos/as hemos cumplido con nuestro compromiso de amistad con el pueblo japonés.
(日本スペイン支倉協会Facebookより転載)
参加者は、グアダルキビル川に白と赤のカーネーションを手向けたという
ゆったりとした、大きなグアダルキビル川は、400年前に支倉常長を大使とした慶長遣欧使節が船で渡った場所だ。ハポンさんの、スペインの方々の想いを乗せたカーネーションが、日本へ、被災地へ流れていく様子が心の中に浮かんだ
月日が経つごとに震災の記憶は薄れていくかもしれない。でも、あの時感じた自然の恐ろしさ、一瞬で奪われたたくさんの命、人間の弱さと強さ。世界中から寄せられたたくさんの寄付や援助、温かい励ましがあったことを、そして被災地の現実を決して忘れてはいけない
今年の3月11日も、やっぱり心がざわざわとしながら迎えた。でも、人は一人では生きていけないという当たり前のことを改めて感じ、一人一人ができることを続けていくことが大切なんだと、海の向こう側にいるサムライの子孫たちから教えられた気がした |
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