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Escrito por Tomoko Ikeda del ITT

Sr. Japón y Hasekura san

Japón さんと支倉さん

〜 日本とスペイン400年の時と海を超えた出会い 〜

Fundado en 1995

スペイン語翻訳通訳

Instituto de Traducciones de Tokio

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ここは日西翻訳通訳研究塾ホームページ「支倉 と Japón san 11-M de Japón」の特別号その8ページです

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− Número Especial (11-M) その8−
ハポンさんの千羽鶴

約束の時間の少し前に神田に着いた
お盆目前の8月の東京はうんざりするほど暑くて、駅から出た途端にわっと汗が噴き出した

これから、11年ぶりにある人と会う。久々の再会に嬉しさはもちろんあったが、自分のことを覚えているだろうかと不安の方が大きくて、落ち着かない気分のまま到着を待った

「8月に日本スペイン支倉協会の会長が来日されます。よかったら会いませんか?」
パリ在住のワタナベさんという方から突然メールが届いたのは、6月の終わり頃だった

日本スペイン支倉協会
[Asociación Hispano-Japonesa HASEKURA]の二代目会長フアン・フランシスコ・ハポンさん
11年前、スペインのコリア・デル・リオに訪れた時に一度会ったことがある
“ビルヒニオ・カルバハル・ハポンさん”という、私が初めて会ったハポンさんの甥っ子さんだ
尚、ビルヒニオさんについては
Episodio IIを参照下さい
協会の創設者で初代会長であったビルヒニオさんが急死された後、まだ若いフアンさんが遺志を継ぎ、日本とハポン姓との交流に尽力されている
東日本大震災後、いち早く日本へメッセージを送ってくれたのもフアンさんだった
(Numero Especialその1)
そのフアンさんが、コリア・デル・リオの人たちが折った“千羽鶴”を広島に奉納するために来日するというのだ。広島を訪問した後、東京、宮城、福島を訪れる予定で、私は東京で会うことになった

連絡をくださったワタナベさんはパリに住んでいるという。東日本大震災後のチャリティーイベントなどをきっかけにハポンさんと出会い、「彼らの持つ日本との絆への強い想いを応援したい」と、ハポンさんたちと共にさまざまなイベントを企画されてきたそうだ
2013年に日本の皇太子さまがコリア・デル・リオを訪問された際にも、ハポンさんと一緒に出迎えたという
ワタナベさんとは全く面識がなかったが、以前から私のコラムを読んでくださっていて、今回連絡をくださったようだ

人と人との縁は不思議だ。でもきっと偶然ではなく必然的な出会いなのかもしれないなあなどと感慨深く思っていたら、待ち合わせ場所の神田のビジネスホテルのロビーにフアンさんが現れた
さっきまでの不安なんてどこかに吹き飛び、懐かしさでいっぱいになって、思わず駆け寄った
「Hola! 私のこと覚えていますか?11年前にあなたたちの家を突然訪れた者です!」そう言いながら、フアンさんたちと撮った昔の写真を見せた
 

「ああ!あの時の!」
写真を見るなりフアンさんは笑顔でそう言った
アポなしでハポンさんの家を訪れた私を怪しむことなく、むしろ歓迎してくれた、あの時と同じ笑顔だ
「日本でまた会えるなんて、サプライズだね!日本は本当に嬉しい驚きに溢れた国だよ!」
フアンさんの大きな瞳が輝いて見えた

再会をひとしきり喜んだ後、今回のために帰国したワタナベさんから、来日の経緯を聞いた
「フアンさんの来日は、この春、広島の再生紙でできた折り紙でハポンさん達に千羽鶴を折ってもらったのですが、それをどうやって広島に届けようかという話から、彼が自費で広島に届けたいと言い出して始まったことなのです」

「広島という特別な地に、平和のメッセージを届けたい」。ハポンさんや地元の子供たち約500人が折った千波鶴と想いを胸に抱え、広島の「原爆の子の像」にそっと千波鶴を奉納したフアンさんの目には、涙がにじんでいたという

「広島へ哀悼の意を心から表します。世界の首相たちは平和について話し合う時、広島に来て話し合うべきなんだ」
フアンさんはゆっくりと、だけど力強くそう言った

少し前に、オバマ米大統領が戦後初めて広島を訪れたときのことが脳裏に浮かんだ。あの時の衝撃も大きかったが、でも、それ以上に、ハポンさんの広島への、日本への強い想いと愛情に心が打たれた

日本人は、特に私たち若い世代は、広島や長崎の「原爆投下」という悲惨な過去を教科書の上では知っているが、ここまでの想いを抱くことはあるだろうか。平和への意識はあるだろうか。まるで“自分のこと”のように悲しんでくれているフアンさんの姿を見て、考えさせられることが多かった

広島、東京の後は宮城県の仙台、石巻、そして福島を訪問する。フアンさんはこれから被災地を訪れるにあたり、こんなことを話してくれた
「僕たちの住むコリア・デル・リオの市役所には、日本の国旗も掲げているんだよ。3.11の震災後、ずっと…」
ハポンさんの町として知られるコリア・デル・リオ市で、毎年3月11日に震災の追悼式を行っていたのは知っていた。でも、常時日本の国旗が掲げられているなんて知らなかった私は、胸がつまり「グラシアス、グラシアス」とただただ感謝の気持ちを述べることしかできなかった

フアンさんと話ができたのは、仙台行きの新幹線が発車する前まで、わずか1時間だったが、とても貴重な時間を過ごすことができた。その後の東北の旅の様子は、ワタナベさんが写真つきでメールを送ってくださった。行く先々で歓迎を受けたフアンさんの姿は、400年前にスペインを訪れ現地で熱い歓迎を受けたというサムライたちと重なった

本当にサムライの子孫なのかもしれないな。写真を眺めながら、頬が緩んだ

福島県では、双葉郡の小学生たちに、スペインの方々が絵付けした「起き上がりこぼし」24体を寄贈したという。「起き上がりこぼし」は、もともとは福島県会津地方に古くから伝わる郷土玩具で、傾けたり倒れたりしても、すぐ起き上がることから、東日本大震災からの復興、福島応援の気持ちを込めて、ハポンさんをはじめ、スペイン人の有名アーティストなどが絵付けしたものをご持参下さったのだという

「起き上がりこぼしプロジェクト」の様子は、下記の
Facebookページより見ることができる

広島の千羽鶴もそうだが、日本の伝統的な文化がハポンさんの手によってスペインの人々に伝えられ、そして日本に戻ってくるというストーリーは、まるでハポンさんたちのルーツそのものだ。400年前、伊達政宗の命によってスペインへ派遣されたサムライたち。その子孫といわれるハポンさんたちが、日本に素敵な絆を、友情を届けてくれている
フアンさんと交流した福島の小学生たちは、何を感じただろうか
今はまだ分からなくても、いつか大人になった時、ハポンさんのことを、日本とスペインの絆を、次の世代に伝えてくれることを願う。それまで、私も微力ながら一人でも多くの日本人に伝えられたらと改めて思った