Establecida en 2010

Escrito por Tomoko Ikeda del ITT

Sr. Japón y Hasekura san

Japón さんと支倉さん

〜 日本とスペイン400年の時と海を超えた出会い 〜

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スペイン語翻訳通訳

Instituto de Traducciones de Tokio

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ここは日西翻訳通訳研究塾ホームページ「サン・フアン館再開館」の特別ページです
 

 

 

日西翻訳通訳研究塾は石巻のサン・フアン館を応援しています

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− Número Especial (再開館式典参加報告書)−
報告者:池田 朋子 (小塾特派員)
(於:2013年11月02日・土曜)
     
  慶長遣欧使節出帆400年記念式典  
雲ひとつない、すっきりと晴れ渡った空と、穏やかな青い海を背に、サンファンバウティスタ号が気持ちよさそうに佇んでいる
2013年11月2日。東日本大震災から約2年8カ月、ようやく再出航(再開館)できる日がやってきた。そして、その日は日本とスペインの交流のきっかけとなった、慶長遣欧使節が派遣されて400年を記念する日でもある(※1613年10月28日に使節は石巻を出航した)

宮城県石巻市にある慶長遣欧使節船ミュージアム・サンファン館で開催された「慶長遣欧使節出帆400年記念式典」には、使節の大使・支倉常長の子孫の支倉常隆さん、使節を派遣した伊達政宗の子孫・伊達泰宗さん、村井嘉浩・宮城県知事をはじめとした地元出身の国会議員、スペイン大使、メキシコ大使、キューバ大使、イタリア公使参事官ら総勢200名が出席し、400年という長い歴史に思いを馳せた

日西翻訳通訳研究塾も招待頂き、碇塾長、事務局の宮平さん、そして私の3名が参加した

式典は、復元船「サンファンバウティスタ号」の目の前で行われた
大震災の津波で、サンファンバウティスタ号を取り囲む展示室は破壊され、中の展示物はすべて流されてしまった。それでも、船は奇跡的に一部破損に留まり、震災後、復興のシンボルとして地元の人たちの心の支えになっていたと聞く

昨年の2月、塾の義援金を届けるためにサンファン館に訪れた時は、展示室の分厚いガラスの破片が散乱し、中はめちゃくちゃになっていた。大震災の残した爪痕に、ただただ呆然とした
その展示室も今回の記念式典に向け、すっかり修復されてはいたが、あの分厚いガラスは再現されず、野ざらしのままとなっていた。その様子は、震災の爪痕が決して消え去っていないことを、まだ完全復活とは言えないことを物語っているようだった
無事にこの日を迎えられたことは嬉しかったが、同時に、少し複雑な気持ちにもなった

午前11時。石巻合唱連盟による歌声と共に、式典がスタート
開会にあたり、記念式典実行委員会の会長を務めた村井知事が、「慶長遣欧使節の偉業を再確認して若い世代に引き継ぎ、友好国との絆を深めたい」とあいさつすると、それに応えるかのように各国の大使が想いを語り、使節の功績を称えた
 

ミゲル・アンヘル・ナバロ
駐日スペイン大使:

 

マルコス・ロドリゲス
駐日キューバ大使:

 

クロド・ヘレル
駐日メキシコ大使:

 

ダニエーレ・ボズィオ
駐日イタリア公使参事官:

「サンファンバウティスタ号の前で、皆様と一緒に400年記念を迎えられたことを嬉しく思う。スペインでは今回の400年を記念し、日本スペイン交流年としている。今年の6月には日本の皇太子殿下がスペインを訪問され、コリア・デル・リオのハポン姓と交流された。また、8月にはコリア・デル・リオの合唱団が石巻を訪れ、歌を披露するなど、日西でさまざまな取り組みが行われている。慶長遣欧使節の大事業は当時成功しなかったが、彼らは一つの種を蒔き、今もその交流は続いている」

 

 
「支倉常長一行のキューバ滞在は短いものだったが、キューバにとって、忘れえぬ歴史的事実。(使節の派遣は)日本人の何者にも屈しない心、将来に確信を持つ意志の強さを400年前から持っていたことを示していると思う。彼らが上陸したキューバのハバナ湾には、支倉常長の銅像も建っており、いつまでも私たちの記憶の中にその歴史は残っている」

 

 

 

 
「サンファンバウティスタ号が運んだ夢は、日本とメキシコの直接交易という格別なものだった。当時、使節はその夢を叶えることができなかったが、彼らは両国の友好関係と絆を育んだ。そして、400年後の今も互いの絆はしっかりと続いている。2011年に起こった東日本大震災で日本は甚大な被害を受け、メキシコを含む世界中の国々でその悲報に心を痛めた。しかし、日本国民の逆境を乗り越える強さと、震災からの復旧の早さに感嘆している。支倉一行の出帆400年記念が、被災者への励ましとなれば、これほど嬉しいことはない」
 
「400年前、支倉常長一行は大海原を越えて、未知の世界であるヨーロッパへと渡った。そして、今日の日本とイタリアの絆を築くための種を蒔いてくれた。現在、多くの日本人の方がイタリアへ来てくださり、文化交流が深まっているが、これはすべて支倉常長と伊達政宗のおかげだと思う。私たちは、この絆をさらに強めていきたいと思っている」

 

 

 

   
各国の代表者からのあいさつを聞きながら、私は2年前のことを思い出していた
2年前、2011年の秋、支倉家第29代当主・支倉哲男さんが92歳で亡くなられた。支倉常長の子孫であることを誇りに思い、常長と慶長遣欧使節について、その歴史が忘れ去られないようにと、ずっと周囲に伝え続けてきた人だ
支倉さんとは、私が学生の頃から親交があっただけに、非常に残念だった。彼の葬儀の日(2011年10月28日)にちょうど仙台にいた私は、そこで初めて支倉さんが亡くなったことを知った。まるで、彼に呼ばれたかのようだった(Numero Especial(11-M)その5参照)

きっと、支倉さんが一番今日の日を迎えたかったのではないだろうか
生きて、400年記念を祝いたかったに違いない
「使節が派遣されてちょうど400年を迎える節目の年に、再び会いましょう」
支倉さんと、使節の子孫と言われるハポン姓の代表・ビルヒニオ・カルバハル・ハポンさんは、そう約束をしていた。そのビルヒニオさんも支倉さんが亡くなる数年前に亡くなり、結局二人の約束は果たされることが無くなってしまった

「今世紀、世界が握手する世紀」
支倉さんに初めてお会いした時、彼が繰り返し言っていた言葉だ
「争いごとなんてやめて、国境を越えて協力し、助け合って生きていくべきだ」。彼はそう力強く話していた

支倉さん、今、400年前に常長が命がけで渡り歩いた国々の人たちが、集まってくれていますよ。国境を越えて、世界が握手していますよ。ちゃんと、空から見ていますか?

各国の大使たちの言葉を聞きながら、私は支倉さんに語りかけた

式典では、日本とスペインの子どもたちが、未来に向けたメッセージを発信する場面があった
日本からは、地元石巻市の小学生が「400年前に、石巻から海外に向かった先輩たちのように、困っている人に優しく手を差し伸べたい」と語り、スペイン代表の男の子からは、「スペインと日本が将来も固い絆で結ばれることを希望します」という言葉が聞かれた

子どもたちの言葉に、会場は一気に和み、笑顔が生まれた。今日の式典の中で一番心に響いたのは、子どもたちの言葉だった。使節の功績や歴史、伝統は、この子たちが未来へとしっかり繋いでくれるだろう
(ちなみに、スペイン代表のフランシスコ・バルデス君は、流ちょうなスペイン語でスピーチをしたのだが、途中で読み間違えてしまい、“あっ、間違えた”と思わず日本語でつぶやくシーンが。会場は笑いに包まれ、大盛り上がりだった)

式典後は、サンファンバウティスタ号の前でテープカットが行われ、順々に船内を見学した。招待された地元の小中学生たちが嬉しそうに船内をめぐる姿を見て、この船は地元の人にとって本当に大切な存在なのだなと感じた

船内には、義援金寄贈者の一覧が展示されており、そこに「日西翻訳通訳研究塾」の名前もあった(写真参照)

仙台に戻ってからは、仙台の塾生と交流会を行った。わずかな時間だったが、とても楽しい一時を過ごすことができた。突然のお誘いにも関わらず駆けつけてくださり、ありがとうございました

11月2日に行われた記念式典は関係者のみの参加だったが、11月3、4日には、サンファンフェスティバルが開催され、地元の方をはじめとした多くの一般の方がサンファン館に訪れたと、後日サンファン館の方が教えてくださった
サンファンフェスティバルへの来場数は2日間合計で14,500人、そのうちサンファン館への入館者数は9,429人だったという
サンファン館職員の方からは、「今回の記念事業および再開館では、震災で失った関係者との繋がりを取り戻すとともに、この2年8カ月で生まれた新たな繋がりを再確認する場でもありました。私自身、貴塾をはじめ、この度に頂いた多くのご支援を、今後につなげるべく奮い立つ気持ちでおります」との嬉しいお言葉を頂いた

今回の400年記念式典に向けた塾での復興支援プロジェクトは、ちょうど2年前から始まった。本当にたくさんの塾生が募金に参加してくださり、昨年(2012年)2月には、希望者とともに義援金をサンファン館に届けるツアーも実施できた

記念式典は終わったが、きっとこれからが本当の意味での日本とスペインの交流のスタートなのだと思う。より深い友好関係を築いていくために、スペイン語に関わるものとして、ほんの少しでも力になれたらと思う