日 西 翻 訳 研 究 塾
Instituto de Traducciones de Tokio
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e-yaku ニュース Año
IV
No.30 (04月号) 2003/04/30
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このメールは、日西翻訳研究塾が毎月末に、スペイン語学習者のためのお役立ち情報と、本塾のお知らせをするネット上の定期的かつ一方的なメール・マガジンです。ご希望の方にはバックナンバーを送付いたしますので、遠慮なくお申し出下さい。
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今号の目次
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◇ お詫び
◆ ホームページ情報
◇
イベントのお知らせ (プエルトリコ演劇)(マヤ文明展)
◆
イラク攻撃特別寄稿 (その2)(アスナールはフランコか?)
◇ Monólogo de un pasota (Serie
II-15)
『スペインの陪審裁判制度』(その3)
◆ スペインの慣用句 (Serie-12)
◇ 短文翻訳 (2003年04月末更新分)
<<(_
_)>>お 詫 び<<(_
_)>>
たとえ一日ではありましても、遅れたことには違いはなく、その一日は、厳密に言えば1ヶ月の遅れと言うことになるわけで、とにかく、今回のNo.30(4月号)の発信が遅れましたことを深くお詫び申し上げます。尚、HPの更新には遅延は発生しておりません。
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『ホームページ情報』
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今号2003年4月30日更新の更新ページ一覧:
*『今月の短文翻訳』(2003年3月分)
*『短文翻訳集』(2003年2月分)
* Alberto松本氏提供『武蔵』(Préstamos,2a
Parte)
*『スペイン語文法(番外編)』(その10)
*『馬耳東風(第二編)』(その10)
(イー訳しよ〜ネッと)
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イベント情報 ☆ ☆ ☆
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本邦初のプエルトリコ演劇の上演
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ピープルシアター第37回公演 (日本語)
「アヴァター」(聖なる化身)〜イエスの知られざる日々〜
ロベルト・ラモス作
公演日:2003年6月3日(火)〜8日(日)
3〜7日は19時開演
7日は14時公演もあり。8日は14時のみ
場所:両国・シアターX
〒130-0026 墨田区両国2-10-14
Tel:03-5624-1181
前売り:3,800円 当日:4,000円
問合わせ:ピープルシアター Tel/Fax:042-371-4992
ナザレーの町での若き日のイエスの情熱的で劇的な日々を描いた作品だが、この劇では、イエスがインドに旅しブッダと出会ったり等々する。そして、二人が一つの魂の中で一体化するが、同時にいくつもの肉体を持つのは何故か...等を通し、愛と宗教を追求する物語になっている。
原作者のロベルト・ラモスは、1959年にプエルトリコに生まれ、劇作家のほか、俳優、演出家、ジャーナリスト、演劇評論家などの顔を持つ、実に多彩な人物で、彼の作品は、スペインや中南米を始めとするスペイン語圏はもとより、アメリカなどのスペイン語圏外でも上演されている。因みに、今回の日本公演の元になったのは、米国のスペイン語教師が英訳したもので、英語からの和訳であるのが、スペイン語関係者としては少々残念ではある。
ともあれ、プエルトリコの演劇が日本で公演されると言うのは大変貴重でもあり、嬉しい限りだ。このチャンスを是非お見逃しなく。
☆ マヤ文明展!!
去る3月18日に始まった『マヤ文明展』については、開催場所が上野公園科学博物館であることから、様々なメディアで宣伝されているので、わざわざここでご紹介することもないかもしれませんが、開催期間ももう残り少なくなっています。まだお出かけになっていない方は、このGW中に是非マヤの文明に一度触れられてはいかがでしょうか。
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イ ラ ク 攻 撃 特 別 寄 稿 (本塾講師:碇
順治)
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『スペインはなぜイラク攻撃に参加しなかったのか?(アスナールはフランコか?)』
(『イラク攻撃特別寄稿』その2)
去る3月20日に開始されたイラク攻撃ももう1ヶ月以上が過ぎてしまった。短期決戦の期間については、どこかのニホンザルのそっくりさんが「1週間以内」などとうそぶいておられたものの、それについては、ご本人とその取り巻きのネオコン連中はもとより、誰もそんなことを鵜呑みにするはずもなかったものの、どうやら、短期決戦は果たされたようだ。ネオコンのリーダーであるラムズフェルド国防相のあの勝ち誇った『凱旋(イラク入り)』の模様がそれを象徴している。
いずれにしても、これですべてがアスナール首相の思惑通りに運んだとは言い難い。特に、国内に関して言えば、アスナールに対する国内の反発はことのほか大きかった。『5月25日のマドリ−ド地方選がいかなる結果に出るか』を見極める必要があろう。ともあれ、標記について、今月と来月の2回にわたって少し考えてみたい。
米・英・西3国首脳会談では、「いつどのように攻撃を開始するか」の最終の詰めがなされたが、この時点では誰もがスペインも攻撃に加わると思っていたに違いない。ブッシュとしても、それでなくては「スペインを世界の列強の仲間に加えてやった意味がなかった」はずであった。実は、正直申し上げて、筆者もそう思っていた一人だった。しかし、翌月曜の国会に現れたアスナールの発言は、「我が国は、後方支援部隊は送るが攻撃には参加しない。出兵もあくまでも人道支援としての国際貢献のため」であった。メディアもさぞかし驚いたのだろうが、その理由はあまり報道されなかった。なぜ話題にならなかったのかの真意は不透明である。世界のメディアにしてみれば、攻撃がいつ始まるのか、そして、その後即時に始まった攻撃報道の方が優先だったのだろう。
スペインのメディアもこの点についてはほとんど追求せず、一方、野党側も、たとえ後方支援であっても、現実に軍隊派遣はなされるわけで、その責任追及をし、反アスナールを煽る方が、アスナール打倒には得策であったし、世論を味方にすることもできる。つまり、選挙民と一体化が可能なわけである。しかし、確かに、スペインでも例に漏れず学生を中心に反戦デモが各地で行われた。ところが、それ自体にはあまり大きな意味(学生にとってはエネルギー発散の格好の機会でもあり、平和を口実に『公の』休講にもなる)はなく、世論も武力的・ブッシュ的な攻撃には反対ではあっても、『国連決議をこの10年間無視し続けてきたイラク』を由とはしていないことも事実(この辺りの実に現実的な視点が日本とは違う)である。したがって、野党としては、「アスナールさん、あなたは攻撃不参加についてどのようにブッシュさんと、そして、あなたの大親友であるブレアさんを如何にして説得したのですか?いやー、よくやりましたね」とは言えないわけである。来年に控えた総選挙で政権奪回の意向を持つ社労党と、世論の「反親米・反戦争」機運が一致したことで、このアスナールの『英断』については、結局、誰も取り上げなかったわけだ。そこで、どのようにして『僚友(戦友)たち』をアスナール首相が説得できたのかをあえてここで考えてみたいが、その前に、いつの時点で不参加を決意したのだろうか?をまず考えてみたい。
アスナール首相がイラク攻撃不参戦をいつ決意したのかについて、以下に三つの仮説を立ててみた。仮説その一としてまず考えられることは、2月にブッシュの故郷テキサスに招待されたときである。つまり、アスナールの計画(条件)はすべてブッシュにその時点で伝えられていた可能性である。つまり、「米支持」の政策を打ち出した時点ですべての計画は立てられていたということになる。仮説その二は、親米政策を明確にはしたものの、独仏が最後まで攻撃反対の態度を改めなかったことで、EU内でのスペインの立場を憂慮した可能性である。仮説その三としては、3月16日の会談に赴く直前に決断した。つまり、あまりにも国内が反戦ムード一色で、攻撃への反対意志が思ったよりも大きく、これでは来年の総選挙は乗り切れないと判断した可能性が考えられる。というわけで、以上3つの仮説が成り立つことになるが、この続きはまた次回と言うことにさせていただこう。(...続く)(文責:碇
順治)
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Monólogo
de un pasota===Serie II-15==馬耳東風第二編の十五
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『スペインの陪審裁判制度』 (その3)
前号では日本の陪審制度について本塾塾生の須田さんに寄稿していただき、読者諸氏には、背景知識を身につけていただいたのだが、読者からの反響も予想以上に大きく、編集者としては大変満足しているのですが、あまりにも良くできたレポートだったので、少々この後が書き辛くなったしまったかもしれませんが、ともあれ、以下、続きを掲載いたします。
今号から再度スペインに話を戻すわけだが、その前に、2ヶ月の空白になるので、前々号のまとめをしておくと、前々号では、スペインの陪審制度の生い立ちというか、その歴史的経緯について話した後、陪審員の資格、つまり、どのような市民が陪審員になり司法に参加するのかについて少々述べて(その1)を終えた。よって、今号では、この陪審員資格について更に掘り下げてみていこうと思う。
国民であれば誰でも陪審員になれるかといえばそうでもない。様々な条件が実に事細かく規定されているのだが、これがなかなかおもしろい。例えば、『成人のスペイン人でなくてはならない』と言うのは当然としても、さらに、『読み書きができること』が二番目の条件として規定されている。実に当たり前と思われることを殊更のように確認するのが法律ではある。ところが、これに引き替え、『正確かつ公平な判断ができる人』という条件は規定にはないのである。つまり、いわゆる『成年被後見人』でなければ、とにかく読み書き程度ができる成人であれば、有罪か無罪かの判断をしても良いということになるのだが、判断される側から言えばたまったものではないはずだ。まあ、もっとも、法律家として長年の経験を持つ裁判官ならば絶対に正確かつ公平な判断ができるのか、言えば、これもそうはいかないので、これはなかなか難しいところでもある。
その他、陪審員として相応しくない人として挙げられている中には、『執行猶予を受けたことがない詐欺罪に処されたことのある者』等、いわゆる、『塀の中にいる人』、そして、『刑法でその職業や役職から離脱を余儀なくされた人』などが挙げられている。一方、兼職禁止の対象に挙げられている人々については、これはもう実に事細かく12項目に分けて規定されている。その中には、『国王を含む王室の血統もしくはその配偶者』と言うのがあり、興味深い。つまり、国王一家は陪審員にはなれないわけで、何故こんな当たり前のことが規定されているかと言えば、国王も住民登録されているわけなので、その中から無作為に選出するとすれば、国王も選出される可能性はないとは限らないわけで、その可能性を最初から回避しておかねばならないからだ。他にも、首相・大臣・中銀の総裁や副総裁等々、いわゆる公職に就いている人々は陪審員選出からはずされる。
また、別の項では、『同じ裁判に裁判官や弁護士等として参加する人々と姻族関係などにないこと』や、『証人・参考人・通訳人等として同じ裁判に参加しないこと』、また、『同じ裁判に直接間接を問わず関係していないこと』等も記されている。さらに興味深いのは、陪審員になることを拒否できる理由も規定されているが、裏を返せば、そうした理由がなければ陪審員に選出されれば拒否できなくなり、これはもう権利ではなく、ほぼ強制的な『押しつけ』となり、義務レベルの話ではなくなってくるのだが、それはともあれ、拒否可能理由としての主なものとしては、『65歳以上であること』、『直近4年以内に陪審員を務めたことがある人』、『外国に居住している者』等々である。
権利・義務回避の理由の一つに、65歳以上という極めて漠然とした表現の規定を設けてあるのは、実に賢い方法だろう。つまり、一応社会の経済・社会的活動からリタイヤしたと目される65歳以上の高齢者(この年で高齢者だと規定するのは今後大きな問題になるとはしても)という大ざっぱな表現で規定することで、陪審員の役目を務めることができる、あるいは、できないなどのありとあらゆる可能性を事細かく列挙することなく、一挙に法的な処理を可能にしてしまうからである。
以上のような様々な条件がある上に、前述の病気や事故等々の不測・不慮の事態も十分に考えられることから、正規陪審員9名+補欠2名、計11名を選出するためには、実際には36名の候補者が一裁判のために選出される。さて、次回はいよいよ裁判の内容に入っていこうと思う。
(...続く)(文責:ancla)
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スペインの慣用句 == Serie II -12
== 馬耳東風 第二編の十二
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まず最初に、前回はイラク攻撃のあおりを受け、お休みせざるを得なくなり、このシリーズを楽しみにして下さっている皆様には大いにご迷惑をおかけしてしまったことをまずはお詫びしたい。なんといっても、このシリーズがこの『e-yakuニュース』の中では一番人気があるらしいので、それをお休みにするというのは、実に心苦しかったのだが、世界情勢がこんなところにも影響を及ぼしているわけで、致し方のないことだろう。
さて、気を入れ替えて、今回も引き続き自然界をテーマにした慣用句を扱ってみたいが、すでにお気づきのように、スペインの慣用句シリーズも、今回で丸1年を迎えた(先月のお話)。このシリーズを始めようと思ったときに、何回まで続けるかなど考えてもいなかったが、この調子だとまだまだ続きそうだ。今後とも何卒『ご贔屓に』。
1. 『estar en las nubes』
「雲の上にいる」ときっと気持ちいいだろう。その昔、「雲にのりたい」などといった歌謡曲もあった。しかし、実際は雲には乗れない。山の上に行くと、時折膝から下だけ雨が降っていたりするが、あれは、雨雲が足下にあるからで、雲に乗っているようで乗っていない。もっとも、雲に乗ってはいなくとも、「雲の上にいる」ことには違いないかも知れない。日本語でも、殿上人、つまり、高貴な人や皇族などを「雲上人」といったり、そこから派生して映画スターだとか、一般庶民からは手が届かない人や、叶わぬ愛の対象である愛しい人のことを比喩的に『雲の上の人』などと言ったりする。なるほど、スペイン語でもこうしたことをこのように表現するのか、っと納得し、ここで読むのをやめると大変なことになる。そうではないのだ。スペイン語の「雲の上にいる」は、同じ「空の上」でも、日本語ではその逆の『上の空』ということになる。スペイン語と日本語は逆だということを忘れていただいては困る。日本人は風呂に入る前に服を脱ぐのに、スペイン語人は風呂から上がってから服を着るのだから???(「ほら、そこの人、変に納得しないように。人の言っていることをしっかり聞いていないと騙されますよ」)。
例) Nunca oye las
explicaciones de la profesora porque está siempre en las
nubes.
(やつはいつも上の空で女教師の説明をまったく聞いてなんかいない)
2. 『a piedra y lodo』
「石ころと泥に」?え?それがどうしたの?と言う感じで、どうもピンとこない。この慣用句の意味は最初に発表しておかないと予想できそうにない。意味は、今流行の、もとい、現代の社会問題でもある「とじこもり」に関連した慣用句で、『完全に閉じこもる』がその意味だ。「石ころと泥でどうして閉じこもれるのか?」という疑問はもっともだ。ワラで作った家も、泥で作った家も、オオカミの一吹きでいっぺんに吹き飛んでしまうのだから、石ころを泥で固めただけでは大いに心配だ。しかし、ご心配ご無用。この慣用句の《piedra》は、同じ《piedra》でも、建築用の石切の石《sillar》のことであって、かなりしっかりしたものだし、さらに、《lodo》も普通の《lodo》ではなく、《argamasa》というセメント+砂+水で作った、そう、一般にモルタルと言われる《lodo》のことなので、オオカミが来ようが、怖いお母さんが来ようが、じっと閉じこもっていることができて安全である。
例) Mi hijo está
encerrado en su habitación a piedra y lodo.
(私の息子はピッタリと戸を閉めきって自分の部屋に籠居している)
3. 『tirar piedras a su
propio tejado』
直訳でもこれは何となく分かるような気がしませんか?「自らの家の屋根に石を投げる」わけですから、子供の頃、下の虫歯が抜けたときには、自宅の屋根にお父さんが、その抜けた虫歯を投げてくれたりしませんでしたか?もっとも、最近は『屋根』がない団地やマンションなどに住む人も多いので、こうした昔ながらの風習を続けることは不可能かも知れません。いやいや、この慣用句は虫歯とも、風習とも何ら関係はないのですよ。映像的には、日本の慣用句の「天を仰いで唾(ツバキ)す」というのと似ているようではあるのですが、日本の場合には、ツバキをするのは、人に害を与えようとの意図でのことで、その結果として、他人を傷つけるどころか、自分の身にそれが返ってくる、という意味で、スペイン語の場合は、もっと直接的な意味合いで、『自分の不利になることをする(言う)』となる。日本語にも『身から出た錆』や下のような慣用句もある。
例) Si admito que
incurrí en negligencia, estoy tirando piedras a mi
propio tejado.
(サボったことを認めれば、墓穴を掘ることになるよ)
4. 『menos da una piedra』
この慣用句の場合、直訳というか、字面だけで訳したのでは何らの意味もなさないどころか、まったく意味が通じないので、本来の意味を汲みつつ訳すと、「石ならもっと少ない価値しかない」となる。つまり、「いかなるものでも、石ころよりは価値がある」のだから、といことになり、日本語の口語体だと、『なにもないよりまし』というのがこの慣用句の意味となる。日本の慣用句には少々難しい表現で、『以て瞑すべし(もってめいすべし)』というのがあるが、「瞑す」は安らかに死ぬことを意味するので、若干ニュアンスのズレがあるかもしれない。そこで、この慣用句が持つニュアンスをよりいっそう分かっていただくために、少々長く説明的になるかも知れないが、以下の例文に、別の日本語の慣用句二つを重ねて使用し、次のような訳を付けてみた。
例) La empresa no me
va a retribuir por este trabajo, pero me paga todos los
gastos del viaje. ¡Menos da una piedra!
(会社はこの仕事では一銭も払ってくれないが、出張の経費はすべて面倒みてくれるのだから、結構毛だらけ猫灰だらけとまではいかなくとも、御の字とすべきだな)
5. 『estar (una persona /
cosa) sobre un volcán』
1のように、雲の上ならまだしも、「(人でも、それがたとえモノであっても、)火山の上にいる」というのは、けっして穏やかな話ではない。というよりも、そんな状況なら生死にかかわる。しかし、慣用句としての意味はそれほどのことはなく(表現が大袈裟なのはラテンの血が得意とするところだ)、この慣用句は、『一触即発の状況である』とか、『非常に危険な状況にある』という意味で、そのニュアンス・意味が訳出できていれば言葉自体はいかようにでも、というのは翻訳の基本だから、絶対に『深淵の縁に追いやられている』とか、『薄氷を踏む』などのように、日本語の慣用句で対応しなければならないと言うことはない。尚、この慣用句が持つ意味をいっそう良く理解していただくために、例文を2種類上げておこう。
例-1) Desde que llegó
Zapatero en la cúpula del PSOE, Aznar está sobre el
volcán.
(サパテロが社労党のリーダーになってからというもの、アスナールは夜も眠れない)
例-2) Actual situación
mundial es muy tensa, vivimos sobre un volcán.
(現在の世界情勢は極めて緊張状況にあり、累卵(ルイラン)よりも危うしである)
今回はこの辺で終わりにしよう。次回からのキーワードはまだ考えていないが、いずれにしても、今後とも読者諸氏に楽しく読んでいただけるようなものにしていきたい。尚、近頃、急に多忙になり(貧乏暇なしというやつで...)、ミスが多いかもしれない。こうしたミスに対するみなさまからのご指摘には甘んじて受ける覚悟はできているので、何かあれば、ご意見をお寄せください。ただ、以前のように、迅速にご返答できるか否かについては少々自信がないので前もってお断りしておきましょう。(文責:ancla)
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短文翻訳 2003年04月末更新分
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01. Tranquilo, no voy a
tardar en devolverte el libro que me prestaste hace 50 años.
心配するなよ。50年前に借りた本はすぐにでも返すから。
02. Con su permiso, me voy
a marchar al trabajo.
仕事がありますので、お先に失礼させていただきます。
03. Los extranjeros no
utilizan papeles para sonarse sino pañuelos.
外国人は鼻をかむのに紙は使わずにハンカチを使います。
04. Es que el principio
sacrosanto de autoridad impide la justicia.
ようするに、どうしようもないあの権威主義の原則というものが正義を貫く妨げになっているのだ。
05. Espero que la
profesora no sea una de esas que llaman “asalariadas”.
あの女の先生、いわゆるサラリーマン教師じゃないことを願っているわ。
06. Llámenme por mi
apellido antiguo en la oficina.
皆さん、オフィスでは以前の苗字で呼んで下さい。
07. Yo tenía la obsesión
de saber la razón funcional por la que se oían palabras y
músicas emitidas desde tan largas distancias.
遠い遠いところで放送されたお話しや音楽がなぜ聞こえるのか、どんな機能になっているのかをどうしても知りたいと思っていました。
08. Prefiero equivocarme
por hacer algo que no hacer nada.
何もしないより、何かをやって失敗する方を私は選びます。
09. La cadena francesa de
hipermercados triplicó sus ventas con productos de marca propia.
フランスのハイパーマーケット・チェーンは、自社ブランドの商品で売り上げを3倍に伸ばした。
10. Estoy de pie durante
12 horas y es muy fastidioso para la columna vertebral.
私は一日に12時間立っていますが、背骨にとってもこたえます。
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(イー訳しよ〜ネッと)
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