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特
別 寄 稿
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今号は、我が国トップクラスの通訳者として大活躍中のアルベルト松本氏にご無理をお願いし、特別に寄稿していただきました。氏はNHK-BSのスペイン語ニュースの同時通訳としても、また、本塾の特別講師でもあります。最近では、先日行われたサッカーのアルゼンチンVS日本でもアルゼンチンチームの通訳として大変なお仕事をこなされました。そこで、今号は、氏の通訳としてのお仕事の中から、最近最も印象に残ったお仕事の話を書いていただきました。
『通訳として競輪を体験』(その1)
アルベルト松本(フリー通訳者:本塾特別講師)
通訳の仕事をしていると様々な分野に携わることになる。得意分野に特化していても、時にはそれまでタッチしたことのない分野で仕事することもある。私は、今年の3月中旬から2週間にわたって競輪関係の通訳をすることになり、今までとは異なった世界を知ることができた。
競輪はスポーツでありながら、日本では賭事の競技である。その結果、社会的にもそうした側面が強調されがちで、選手(レーサー)の育成やプロ意識に関してはあまり知られていないようである。国内のレベルアップと注目度を上げるために、日本は10年前ぐらいから外国で活躍しているレーサーを招いて「国際競輪レース」を実施しているのだ。そこには、フランスやドイツ、イギリス等のトップレベルのレーサーが招かれ、一定期間(4月から5月の半ば迄)、各地の競輪場に出場して日本人のレーサーと競い合う。もちろん、賭の対象になるため、みんなが必至である。選手たちも自分たちの実績によって報酬が決まる。
今年も、去年と同じくスペインのJose Antonio
Villanuevaというレーサーが招かれた。私は彼の専属通訳として2週間の準備期間を過ごした。JOSEは、24歳で他の外国人レーサーから比べると小柄で(1.75m.で75キロ)あるが、太股は62センチですごいスタミナの持ち主である。6歳からトラック競技をはじめ、15歳ではじめて大会に出場している。2001年のワールドカップメキシコ大会では優勝しており、同年の世界競輪選手権(フランス)では2位、スペインを代表して2000年からオリンピックにも参加している。
他のレーサーはドイツのFielderやフランスのGane等、ベテランメンバーである。合計8人の外国人選手だった。Fielderはもう7回目の来日だった。世界的に実績がある選手だけしか招かないのが日本の「国際競輪レース」である。こうした人たちにほぼ個別に通訳が任命されたのである。フランス語、ドイツ語そして英語の通訳も準備され、この業界で長年やっている通訳さんがほとんどだった。私は、はじめてであり、実際、始めるまでは全くと言っていいほど、彼らのこともこの業界のことも知らなかった。(...continua)(por
Alberto Matsumoto 2003/5月)
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Monólogo
de un pasota===Serie II-17==馬耳東風第二編の十七
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『鳥はいつ飛びたつ?』 (その1)
鳥がいつ飛び立つかは鳥に聞いてみなければ分からない。しかもそれが世界最速の鳥ならばなおさらのこと。早々簡単には飛び立ってはくれないだろうとは予想してはいた。工事が開始されたのは今からもう7年以上も前のことだ。そう。ここで言う鳥とは『AVE』のこと。『Alta
Velocidad Española』の略称である『AVE』のことである。
スペインの『AVE』はもう走っている?そう、確かに『Madrid-Sevilla』間は1992年のセビリア万博に間に合うよう工事が開始され、見事、間に合った。日本の新幹線よりも軌道が狭いからなのか、横揺れも少なく実に快適で、1等車両などはまるで飛行機のファーストクラス並である。無論、これは飛行機を意識してそうのように作られ、料金も『Madrid-Sevilla』間の航空運賃の約83%とお安く設定されており、『Madrid-Sevilla』間の航空便は、いまや完全に『AVE』に取って代わられている。
したがって、ここで「いつ飛ぶのか?」と言っているのは、『Madrid-Sevilla』間のことではなく、『Madrid-Barcelona』間のことだ。日本で言えば、『東京-大阪』間が後回しにされ、『東京-青森』間が先にできあがったようなものだ。いや、それではいけないと言っているのでは決してないが、仮にも、スペインを代表する2大都市間が後回しというのはいかがなものか、少々首を傾げるしかない。1992年はスペインイヤーで、確かにセビリア万博も大切であったのだろうが、バルセロナで何も行われなかったのならそれでも良かった。しかし、同じ時期にバルセロナではオリンピックが開催されていた。日本には「我が村に新幹線の駅」を作るなどといった政治家はわんさかいるが、スペインにも同じようなことをする政治家がいたわけである。(...続く)(文責:ancla)
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スペインの慣用句 ==
Serie II -14 == 馬耳東風 第二編の十四
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前回は人間や人(同じだけど?)をテーマにした慣用句をご紹介したが、今回も引き続きこのテーマで迫ってみることにする。
1. 『de rompe y rasga』
《rompe》は動詞《romper》で、《rasga》は《rasgar》の三人称単数形の活用なのは一目瞭然で、「壊して引き裂く」ということになるが、その前の前置詞《de》によって「壊して引き裂く(ものに由来する)」というニュアンスが生まれている。「壊し引き裂くもの」?地震か?天変地異か?なにやら恐ろしい感じがする。しかし、今回は人間がテーマだ。確かに、人間イライラすると無性に物を投げたり壊したりしがちだ。平和なやり方としてはエアーキャップをプチプチつぶすなんて方法もある。ところが、この慣用句はそのような単純な考えでは理解できない。実は、『大胆な・決然とした』という意味で、人の性格、特になぜか女性に対して使用されるので、辞書によっては《ser
mujer de rompe y rasga》等と掲載されているものもある。
例) Mi madre fue una
mujer de rompe y rasga.
(私の母は実に毅然とした(潔い)人だった)
2. 『no ser nadie』
《nadie》は、英語の《nobody》や《no
one》に相当する不定代名詞だ。《nadie》一語で否定であるのに、その上に《no》がついているのだから、これは二重否定であって、その結果、肯定文となり「誰でもないことはない」、つまり、「何者か重要な人」というような意味になるのだろうか?と考えるのは至極自然な考え方だが、そうはいかない。これは「誰でもない」を強調した形になって『取るに足りない人・無能な人』ということになる。
例) No sé quién es
usted para tratarme de esa forma. Pero, al menos, para
mí no es nadie.
(そんな風に僕を扱うなんて、あなたがどこのどなた様かは知りませんがね、少なくとも、僕にしてみればあなたは刺身のつまのような存在でしかない)
3. 『como Pedro por su
casa』
「ペドロの家でのペドロのように」???いったいこの文章は何なのだろう?これまでにも色々と慣用句を扱ってきたが、これほど訳の分からない慣用句はなかった。《Pedro》を《yo》に置き換えたとしても訳が分からない。しかもなぜ《Pedro》なのだろうか?実はこれには訳がある。この慣用句は《entrarse
como Pedro por
Huesca》という古い言葉に由来しているとみられている。つまり、西暦1094年、アラゴン王国のペドロ1世がウエスカの町を攻め落とし、この町に威風堂々と入った時の様子が、あまりにも我が物顔でこの町を闊歩したことから、「勝手知ったる他人の家」のように「誰か他人が自分の家にいる」、「家を歩き回っている」様をこのように表現したわけだ。よって、この慣用句の意味は、『我が物顔で・勝手知ったる他人の家のように』となる。
例) María entra y sale
en mi casa como Pedro por su casa.
(マリーアは僕の家を自由気ままに出入りするんだ)
今回はこの辺で終わりにするが、今号から『容量』の都合で、1回にご紹介できる数が半減させられてしまったがご理解いただきたい。ご質問やご意見をお待ちしている。(文責:ancla)
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短文翻訳 2003年06月末更新分
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01. No hace falta que hagamos
oferta alguna.
我々は何らのオファーもする必要はない。
02. Es un
error pensar que la columna vertebral es una parte más del
cuerpo ya que en realidad es el verdadero eje.
背骨を他の部分同様に単なる身体の一部だと考えるのは間違っている。背骨はまさに体の軸だからだ。
03. Hace
mucho calor este verano. Tenga la bondad de cuidarse.
今夏は実に暑い夏です。呉々もご自愛下さい。
04. No se
puede hacer nada si no están satisfechas las condiciones básicas
y necesarias para la vida.
最低限度の生活の基本的条件が揃っていなければ、何もできるものではありません。
05. Escribí
una carta a mi maestro de la escuela secundaria. No obstante, me
la devolvieron por dirección desconocida.
私は中学校の恩師に手紙を書いてみたが、宛先不明で戻ってきた。
06. En el
club de gigolós se atiende a las damas.
ホストクラブでは御婦人方のお相手をします。
07. No pude
sino quedarme con los brazos cruzados.
手をこまねいて見ている以外、他に為すすべがなかった。
08. Aquella
chica trabaja en el mismo edificio que yo pero en otra empresa.
あの娘は僕と同じビルで働いているが、会社は別々だ。
09. El
gobierno está preparando una operación secreta contra el
terrorismo.
政府は対テロの秘密作戦をたてているところだ。
10. Él se convirtió en un
excelente técnico en el cuidado, reparación y conservación de
aparatos radiofónicos.
彼は優れたラジオの修理、保守、点検技師になった。