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Escrito por Tomoko Ikeda del ITT

Sr. Japón y Hasekura san

Japón さんと支倉さん

〜 日本とスペイン400年の時と海を超えた出会い 〜

Fundado en 1995

スペイン語翻訳通訳

Instituto de Traducciones de Tokio

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ここは日西翻訳通訳研究塾ホームページ「支倉 と Japón san 11-M de Japón」の特別号その3ページです

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− Número Especial (11-M) 3−
「新聞記事」

「5月2日付の朝日新聞の記事に、支倉哲男さんが載っている」
そう連絡をくれたのは、スペイン歌曲の歌い手である谷めぐみさんだった。谷さんとは一度も直接お話をしたことはなかったが、私のコラムをご自身のブログで紹介してくださっていて、それを読んだ方が偶然記事を見つけてくれたのだという

震災以来、安否の確認がとれていなかった支倉家第29代当主・支倉哲男さん
さっそく谷さんに送って頂いた記事のコピーに目を通した。以前お会いしたときと変わらぬ支倉さんのお姿に、無事で良かったとほっと胸をなでおろした
と同時に、この記事を書いた新聞記者の名前を見て驚いた。なんと私に支倉さんを紹介してくださった方だったのだ

6年前、ハポン姓に関する記事を書かれていたこの記者の方を通して、支倉さんと出会うことができた。その後も支倉さんと交流が続いていたが、震災後は連絡がとれていなかった。そんな中、今回の記事で彼の無事を知ることができたのだから、人の縁というのは本当に不思議なものである

「ハポンも心一つ」と題された記事を読みながら、ハポンさん達の思いに、被災地の方々の言葉に、じんわりと心が温かくなり、逆にこちらが勇気をもらった
一つの新聞記事から始まった縁が、人と人とを繋げ、輪になり、こうした知らせを運んでくれたことが、とてもとても嬉しかった。きっと、世の中に偶然というものはないのかもしれないなと強く感じた

2年後の2013年には、支倉らが慶長遣欧使節団として宮城県石巻を出港してからちょうど400年を迎える。本来ならばハポン姓の代表者である故ビルヒニオ・カルバハル・ハポンさんが来日し、支倉哲男さんと再会を果たす予定だったらしい。しかし、ビルヒニオさんが亡き今は、その約束は果たされることはない。だが、津波にも負けずに残ったサン・フアン・バウティスタ号(記事参照)の堂々たる姿を見ると、一日も早く復興を遂げ、ぜひ無事に400周年を迎えてほしいと思わずにはいられない
そして、その時には、私も何らかの形でお手伝いをすることが出来ればと切に願う

最後に、連絡をくださった谷めぐみさん、記事を見つけてくださった方、そしてこの記事を書かれ、コラムへの掲載にもご快諾くださった朝日新聞記者・久木良太氏に、心から感謝を申し上げたい。また、テレビ局への呼びかけなど色々とご協力くださった方々にもこの場を借りて御礼の気持ちを伝えたい
皆様ありがとうございました

被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます

 

動画 [Coria del Río se solidariza con el pueblo japonés]

上のスペイン語の部分をクリックするとYou Tubeで動画を見ることが出来ます