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今号の目次
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◆ ホームページ情報 『新たなる年』に突入!!
◇ お知らせ 映画『女王フアナ』
◆ Monólogo de un pasota
(Serie II-22)
『アスナールの後継者と来年の総選挙の行方』(その2)
◇ Murmullo de un pasota (No.08)『回帰現象?それとも怪奇現象?』(その2)
◆ スペインの慣用句 (Serie III-19)
◇ 短文翻訳 (2004年01月末更新分)
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(特段)『ホームページ情報』(ではありませんが)
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前号では、HPへのアクセス数が10万件を突破したという、これはもう涙なくしては語れないお話を、まったく涙を流さずにお話しいたしました。そして、その翌月、つまり、今月号は大したお話しすることがなく少々気が緩んでおります。しかし、よくよく考えてみますと、1月に入ってからもうずいぶんと時間が過ぎましたが、年頭のご挨拶と申しますか、申年でもありますし、何か、申した方が良い年なのかな?と考え、少しだけですが、以下、ご挨拶かたがたお話しいたしたいと思います。
HPの「アイドル」的存在である「短文翻訳」の掲載が開始して丸3年が経過し、今月からは4年目に入る(No.361〜)ことも前号でお伝えしました。しかし、実は、「短文翻訳」の掲載開始の1年以上も前にこの『e-yakuニュース』の配信が開始されていたことには、どなたも気が付かれなかったと思います。何故これほど自信を持って明言できるかと申しますと、編集者自身、気が付かなかったからです...。したがいまして、よくよく考えてみますと、『e-yakuニュース』はもうすでに4年目(但し、いわゆる数え年で考えますと、2000年11月に第1号が発信されていますので、5年目に突入したことになります)を粛々と進行中なのです。(
^_^)/□☆□\(^_^ )
そしてもう一つ。ほとんど気付かない間に読者数が500名を超えていましたのです。ハイ。これもひとえに皆様のご支援とご協力の賜と、編集者一同衷心より御礼申し上げます。
こうして原稿を書いておりましても、この『メルマガ』を「毎月500名以上の方が読んで下さっている」と思うと、身震いを覚えます。いえ、別に寒いからではありません。いくら貧乏なオフィスでも、暖房くらいはあります。そうではなく、本当に身の引き締まる思いが致します。
というわけで(っと、いう接続詞が入るほどの関連はないような気がしますが???)、今年は2004年ということで、末広がりの年ではありませんが、昨年のタイガースの優勝もあり、いよいよ今年は景気の上昇期に入るのかな?といった期待が持てる年(あくまでも期待を持つべき年であって、待望された期待の年ではないのでお間違いのないように)でもありますので、何か今年は良いことがありそうな、あるいは、すくなくとも、日西翻訳研究塾にとっては、何か特別な年になりそうな、そんな気がします。
本年も皆様のご協力とご支援をお願い申し上げます。<<(_ _)>>
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2004年01月31日更新ページ一覧:
*『今月の短文翻訳』(2004年01月分)
*『短文翻訳集』(2003年12月分)
*『スペインの慣用句』(その8)
*『馬耳東風(第二編)』(その18)
* e-Tenの『よくある質問とその答え(FQA)』ページは常時更新されています
(イー訳しよ〜ネッと)
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久々に スペイン映画でも いかが? コーナー
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「女王フアナ」
2004年3月6日(土)銀座テアトルシネマ 他(全国順次ロードショー )
大航海時代、強国スペインに君臨し、その愛深きゆえに狂女と呼ばれた伝説の女王がいた。スペインを統一したイサベル女王の娘にして、神聖ローマ帝国皇帝カール5世の母。Juana
La Loca.
歴史・政治的に重要な位置にありながら後世に名を残したのは、女王としてではなく一人の女性としての、一途な愛ゆえであった…。狂気なまでの一途な愛をつらぬいた女王として、さまざまな伝説を残す女王フアナ。彼女の真実の生き様に迫った本作は、現代に生きる我々に時代を越えて愛することの意味を問いかけてくる。
主演:ピラール・ロペス・デ・アジャラ(Pilar López de Ayala)
(初主演の本作で、ゴヤ賞とサンセバスティアン映画祭で最優秀主演女優賞の二冠を受賞)
監督・脚本:ヴィセンテ・アランダ(Vicente Aranda)
「女王フアナ衣装展示」(プランタン銀座20周年記念)
3月2日(火)〜3月8日(月)
プランタン銀座 本館6階エスパースプランタン
2004春のブライダルフェアでPilar López de Ayalaが映画で着用した衣装展示。
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┗■ たまにはオペラでも コーナー
(^_^=^_^)/ ■┛■
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『花のラ・マンチャ騎士道あるいはドン・キホーテ最後の冒険』(新作初演)
こっけいで哀しくて誇り高くておろかな騎士と従者とふたりをとりまく人びとの物語。
あまりの長さに思わずたじろぐ世界文学の至宝に、12人の歌役者とひとりの楽士がとりついて、たったの2時間でそのエッセンスをごらんに入れます。
ほら そこにも ドン・キホーテがいる
あそこにも サンチョ・パンサが・・・
オペラシアター「コンニャク座公演」
日時:2004年2月12日(木)〜22日(日)
場所:シアタートラム(三軒茶屋)
世田谷線三軒茶屋駅隣・東急田園都市線三軒茶屋駅5分
ご予約はお早めに。もうかなり完売日があるようですので。
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Monólogo de un pasota===Serie
II-22==馬耳東風第二編の二十二
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アスナールの後継者と来年の総選挙の行方
(その2)
マリアノ・ラホイ第1副首相は、その座を彼の最大のライバルでもあったラト第2副首相に喜んで譲り、党の幹事長に就任し、大臣としての激務から解放され、3月の総選挙に向けて動き出したわけだが、アスナールの後任選出で何ら驚かなかったというと、それは事実に反するだろう。驚きだったのは、選出された人物が、まったく目立たなかった伏兵(いわゆる人畜無害的な存在)であったこと。そして、アスナールがあまりにもありきたりの選択を行ったからであった。第2副首相のラトの名前が挙がってはいたものの、「彼が最有力候補だ」とは考えてはいなかったのも事実だが、それにしても、アスナールの約束を守っての「引退」の陰には、「何らかもっとインパクトのある身の引き方」、あるいは、「国際社会をもうならせるような選択」をするのではないか?という、半分期待めいたものが、著者にはあった故に、今回の選択が完全に肩すかしを食らったような気になったのかもしれない。もっとも、「肩すかし」だったと感じたのは小生だけではなかったのも事実である。
しかし、では何故、実にありきたりな、『第1副首相を後任』に、いや、少なくとも、候補の片隅にも著者はこの政治家の名前を上げなかったのか?その理由は、まさに、アスナールが今回実際に選んだ選択理由そのものとまったくおなじで、あまりにもありきたりの選択である上、新しいカリスマ書記長であるサパテロに対抗するにはあまりにもインパクトが弱すぎると思ったからである。「個人的なカリスマ性や、政界での実力、また国民からの支持率などとはほぼ関係なく、『党』が国を牽引するのだから、首相は誰だって良い」と、いったどこかの国で以前よく見られた(まだそうかな?)、「政党ありき」といった確固たる政党としての力はPPにはまだ備わっていないという事実も一方ではしっかりと踏まえていなければならない。では、にもかかわらず、何故、アスナールはラホイを後継者に選んだのだろうか?
ラホイは、アスナールに続くような、あるいは、アスナールを脅かすほどの人物でもなく、堅実そのものの淡々と仕事をこなしていく、いずれかと言えば、官僚タイプの政治家のように一見みえる。しかし、実際のラホイは、26才で地元ガリシア自治州議会議員に選出されたのを皮切りに、31才で同自治州の副首相に就任しており、これ一つをとっても、並々なら無い逸材であろうことは推測できる。しかがって、地方政治時代から数えると、政界ではすでに22年のベテランであるという根っからの政治家で、この点では、官僚経験のある現首相よりも政治家なのかもしれない。しかし、果たして、ラホイでPPは総選挙が勝てるのだろうか?あまりにも堅実な選択。あまりにも堅実な人物。また、アスナールの陰でまったくと言って良いほど目立つことがなかったラホイという人物は、どのような人物なのか?アスナールに第2ではなく、第1副首相に任命されていたからには、やはり、最もアスナールに信頼されている人物であることに違いはない。しかし、それと実力とは別物である。無論、影の薄い人物は皆実力のない人物というわけでもないことは、フランコ没以降の民主化過程の中で現国王が体現して見せた。
さて、総選挙まで後もう少し。そこで、次号も引き続きこのテーマを追求しつつ、スペインの新たなる政治の行方を追ってみることにしようと思う。(文責:ancla)
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Murmullo de un pasota -
No.08 -
(和西訳練習用文章)
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回帰現象?それとも怪奇現象?(y
その2)
しかし、こうした発展への試行錯誤は、すべて「更なる富を得、楽さを求めるため」だけのことであり、実に貧しい欲望を支えとしていた。たしかに、英国の哲学者D.ヒュームはなかなか当を得た言葉を残している。『貪欲は勤勉のムチである』と。この言葉を座右の銘にし、儚くも短い人生を必死になって生きてきた、あるいは、生きている人も少なくはないだろう。
それはそれで実に結構なことなのだが、最近、富に思うことがある。我々人類は「考える」という我々に与えられた特権を、本当に思う存分100%生かしているのだろうか?と。もっと端的に言うならば、「我々人類はバカではないか?」という思いに駆られる機会がいかに多いかである。きっとそれは著者だけではないだろう。
我々人間は、「常に新しいもの作り出そう」と考えるその裏で、「古いものを葬り去ろう」という考えを常に共存させてきた。はたして、『万屋(よろずや)(A)』・『糞尿や薪・炭、そして、風車や水車(B)』・『買物かご(C)』・『牛乳瓶やビール瓶代の代金引換制度(D)』等々、昔懐かしい郷愁を誘うこれらのものは、知らず知らずの内に次第に消え失せていってしまった。しかし、では、である。現在、時代の最先端をいく、文明社会(と思いこんでいる)の人間共が愛してやまないあの『コンビニ・ストアー(A)』をはじめ、新エネルギーなる総称の下、化石燃料の代替えエネルギーとして時代の最先端を行く新たなるエネルギー群である『バイオマスや風力エネルギー(B)』。そして、スーパーなどのビニール袋を廃止するためという『マイバック運動(C)』や、ビンなどのリサイクルを徹底させるための『リターナル容器(D)』という(これらはあくまでも一例で、他にも同じようなものが山ほどある)、一連の『最新・最先端』と称されるいかにも人類史上の新たなる発見・発明のようにもてはやされているあれらのものはいったいなんなのだろう?(文責:PIEDRAFIJA《Intenten
traducirlo》)
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スペインの慣用句 ==
Serie II -19
== 馬耳東風 第二編の十九
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さて、今週もまた引き続き動詞をキーとした慣用句をいくつかご紹介することにしよう。
1. 『ser algo
coser y
cantar』
まず、「何か(algo)を縫ったり歌ったりすることである」か、それとも、「縫ったり歌ったりする何か(algo)である」のいずれなのかを考えてみたい。「何かを縫う」というのは、例えば「糸で傷口を縫う《coser
la herida
con hilo》」だが、このフレーズの動詞はあくまでも《ser》であって、《coser
y cantar》は冠詞が付いていなくても名詞の用法で使用されていて、けっして動詞ではない。したがって「縫うことや歌うことは何かである」となり、例え《como》が入っていなくても、「縫うことや歌うことのような何かである」と言い換え・補足してやれば、かなり意味が成立してくる。実際、例文のように、《como》が付けられる場合も多々ある。
しかし、それにしても、「縫うことや歌うことのような何か」といわれても、「何」?この両行為に何らかの共通点があるのだろうか?共通点はないが、同時にこれらの行為を行う、つまり、「何かを縫いながら歌う」ことは可能である。テレビもラジオもなかった中世などでは、縫い物をしながら楽しそうに、あるいは、憂いに満ちた歌声で縫い物をする、あるいは、単なる鼻歌を歌いながら縫い物をすると言う情景が浮かんではくる。このフレーズがそのことを言っているのなら、それはそれで楽で良い。そのくらいの余裕はどんな職業にでも必要だし、そうなれば世の中も平和になる。しかし、仕事というものはそんな簡単なものではない、はずなのだが、昔のスペイン人のお針子さんたちはよほど腕が立ったとみえ、簡単にそれができたらしい。そんなところから、『簡単なこと』をこう表現するわけだ。
例) El
examen de
ayer fue
como coser y
cantar.
(昨日の試験は朝飯前って感じだったね)
2. 『salir
pitando』
《pitar》は「笛を吹く」の現在分詞ではあるが、笛と言ってもフルートやピッコロなどといった楽器の笛ではなく、いわゆる車のクラクションや運動会のホイッスルなどの警笛の笛を吹く場合に使用される動詞だ。そうなると、「交通整理をしていた警察官が信号無視をした車に対し笛を吹きながら追いかける」。そんな姿が目に浮かぶが、果たしてこの慣用句の意味もそうなのだろうか?つまり、「笛を吹きながら出ていく」なのだろうか?解答は、決して遠からず...と言ったところで、ほとんど期待されるような裏はない。つまり、この慣用句の意味は、『大急ぎで(その場から)立ち去る』である。
例) Salí
pitando del
cine porque
me avisaron
que estaba
quemando mi
casa.
(家が燃えているって知らせが入ったので取る物も取り敢えず映画館を飛び出したよ)
3. 『tira y
afloja』
《tira》とはリボンのような細長い布片のことだが、では、《afloja》とは何だろう、と辞書をいくら調べていただいても、《aflojar》という動詞はあるが、名詞で《afloja》も《aflojo》もない。そうなると、《tira》も名詞の《tira》ではなく、動詞《tirar》の三人称単数形の活用形なのだろうか。そう、まさにその通りだ。っと、何をとぼけた時間、いや、字数稼ぎ擬きをやっているのか?動詞をテーマにした慣用句を紹介しているのだから、《tira》も《afloja》も動詞にきまっている。しかし、動詞が二つ同格で並んでいて、目的語も主語もないなんて...。そりゃそうだ。その通り、これらは動詞ではない。この慣用句では名詞扱いであって《un
“tira y
afloja”》なのだ。そうなると、今度は、動詞をキーワードにした句として紹介しても良いのか?と言うことになるが、動詞・三人称単数形の並びであることも事実である。したがって、《tira》も《afloja》も、《a》で終わっているからと言って女性形ではなく、あくまでも動詞扱い故に冠詞も《un》が付くわけだ。
何か分かったような分からないような話だが、さて、話を戻して、《tirar》は「引っ張る」で《aflojar》は「緩める」なので、「引っ張ったり緩めたり」といった綱引き状態を想像していただければよいだろう。つまり、『押したり引いたり』の『一進一退』状態を表現している。
例)
Parece que
no han
llegado a un
acuerdo sino
que aún
están en un
tira y
afloja.
(彼らはまだ合意に至っていないようで、まだ交渉は難航しているようだ)
今回はこの辺で終わりにしよう。次回もしつこく動詞をキーワードにした慣用句をみてみることにしよう。何しろ動詞は多いですからね。ご質問やご意見をお待ちしている。(文責:ancla)
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短文翻訳 2004年01月末更新分 (361-370)
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01. *-A) La tasa de paro ya
alcanza el nivel del 5,4 % en el que me encontraba una temporada.
私が一時期その中にいました失業率は、いまや5.4%の水準に達しています
02. *-B) La
tasa de paro ya alcanza el nivel del 5,4 % a lo que estoy
contribuyendo.
私が貢献している失業率はいまや5.4%の水準に達しています
03. Creo que
ha llegado el momento de tomar una decisión.
決断の時がやって来たのだと考えます
04. Me gusta
la jirafita pero aun me encanta el elefantito.
キリンさんが好きです。でもゾウさんの方がもっと好きです
05. Ve con
el casco puesto siempre cuando salgas en moto.
バイクに乗るときはヘルメットをかぶって行かなきゃだめだよ
06.
Asegúrate que tengas el casco puesto siempre cuando salgas en
moto.
バイクに乗るときはヘルメットをかぶっているか確かめなきゃだめだよ
07. ¿Cuántas
veces al año haces el chequeo médico del que nunca me fío?
僕がまったく信頼していない医療検診を君は年に何度やっている?
08. Esas
maestras de jardín de infancia están especializadas en cuidar
niños.
幼稚園のあの先生たちは子供の面倒を見ることに精通しています
09. Para
satisfacer a los maestros lo único que hace falta es estudiar de
lo que enseñan.
教師を喜ばせるのに唯一必要なのは、彼らが教えることを学ぶことだけさ
10. El mensaje del Rey consistía
en desear paz y felicidad para todos los que vivían en su
territorio.
国王のお言葉は、すべての領民に平和と幸福を望むというものであった