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スペイン語翻訳通訳

Instituto de Traducciones de Tokio

ここは日西翻訳研究塾ホームページ 連載短編小説「Waltz In BLACK-08」のページです

 

     
Yossieの連載短編小説「Waltz In BLACK
 
..その2
「勝手なのは、そちらの方だろう。我々の領域に入りこみ、果ては、山を削って何やら造ろうとしているではないか」
「そうそう、その話をしに来たんです」
 権作がやっと話の継ぎ穂を見つけて、会話に参加した。
「わっしらには、よく分からねえが……、何でも、ダムとかいうもんをこしらえるとか……」
 治水工事のためにダムを建設し、この里のほとんどが水没するという。それは確かに、一大事だ。
「もう、決定なのかい?里はそれほど、低い土地ではないだろう。皆の意見をまとめて陳情し、もう一度線引きをして貰うとか、」
「この男は、何も知らないのか?」
 呆れた様子で、次郎が男の言葉を遮る。
「へえ」
 権作が頷き、肩をすくめた。
「どういうこと?」
「里の人たち……、いえ、皆は、ひとではないのです」
 彼の妻が、小さな声で言った。
「え……? でも、ここは……」
「戦争前に、先生のご友人の方が迷い込まれまして。いつも通り、二度と戻ってこられないくらい迷わせてから出て行っていただいたのですが……」
「怖がられないよう、皆はひとのふりをしていたのです。権作どんは狸ですし、一番近い家のおさよ小母さんは、猪なんです。私たちも、面白がっていたことは否めません。でも……」
「あの方は、よっぽど鈍いのか、ちっとも気づかなかった上に、普通にまたやってこられて、ここが気に入ったから、友達に紹介しようかなあとか何とか」
「……そこへ私が、うかうかとやってきた訳か。そういえば戸籍もいい加減で、里では誰も兵隊に取られたことはないと言っていたね」
 だから、声高に反対運動などはできないのだろう。元々、存在しない者たちなのだから。
「それで、どうするつもりなんだい」
「どうもこうも、ここを出ていくしか策は無いだろう。君の記憶を消して、里を追い出すのはいつにするかという相談をしに来たのだよ」
 次郎が、冷たく言い放った。
「えっ?」
 男は驚き、声をあげる。
「冗談じゃない。さっきから何度も言っているように、彼女は私の妻で、そこで眠っているのは私の息子だ。里が無くなるというのなら、東京に連れて行く」
「ほう。それができると思っているのか。これが、街中で暮らせるとでも?」
 女は寂しげに、首を振った。
「無理です」
「住むところはあるんだ。屋敷から一歩も出なくても構わない」
「ありがとうございます。お気持ちは、本当に……」
 袖から襦袢の端をだし、そっと目元をぬぐう。男はいらいらと首を振った。
「それなら私が、君たちと行動を共にしよう。もっと山の奥にでも行くのかい」
「何と。変わり者とは思っていたが……ここまでとは……」
 次郎が組んでいた腕を解き、指先で軽くあごを撫でた。
「だがもう、気が済んだだろう。帰る場所があるのなら、戻って行くがいい」
「勝手に決めないでくれって言ってるだろう!」
 男はつい、大きな声を出す。女が不安げな顔で、奥の部屋の戸を振り返った。次郎が視線を送り、手を動かしたところ、すうっと開く。手のひらを向けて息を吹きかけてやり、手を戻せば、また戸は静かに閉まる。
「これで、しばらくは起きない。一番うるさいのは、自分ではないか」
「大きなお世話だ。息子の血の半分は、私のものだ。三郎太を連れて行くというのなら、私も連れて行け。あの子が、私とあなた方との掛け橋になってくれるんじゃないのか」
「思い上がるな。我々はその気になれば、この里ごと消し去れるのだぞ。特に害を与えないからと見逃して置いてやれば、たかが人間が……、」
 言い募っているうちに、顔に貼り付いたような薄い笑みが消え、ぎらぎらと目が光る。次郎が見開いたのは、人には決してあり得ない、血のような赤い瞳だった。

 場の空気が険悪になっていたところに、素っ頓狂な声が割り込む。
「何だ君、ここにいたのか! 案内がなければ、この家には来られないというのに」
 男の友人、相良が訪ねてきていた。文句を言っているのは、権作にである。
「へえ。すみません、旦那」
「途中まで来たが、どうにも分からない。郵便配達に会ったから、なんとかたどり着いたけれど……、おや? お客さんかい?」
 相良も割と回りが見えなくなるタイプである。言いたいことをひとしきり言った後、見知らぬ男に気づく。
「ああ、ぎんの兄という人だ。会ったのは初めてだが……というか存在すら知らなかったんだが……、」
「ほう。細君の兄上か。では義兄さんという訳だな。で、何だって? ぼそぼそ言われても分からないぞ」
「いや、もういい。それより、どうしたんだい? 郵便なら先程、受け取ったよ」
「そうそう。郵便は時間がかかるから、電話でも引いたらどうかと思って、県の方に問い合わせてみたんだ。そしたら、地図上は、ここはただの山の中で、電柱も何もないし……、その上、ダム工事の計画があって、もうすぐ水没するっていうじゃないか。ちょうどいい機会だから、揃って東京に……、」
「私もそう言って、ぎんに拒まれたところだよ。都会でなど、暮らせないとね。それどころか、離縁して実家に引き取ると義兄さんが言いだしたので、言い合いになっていたという訳だ」
「それはまた、極端だな」
 相良が次郎に目をやって、肩をすくめた。
「味方が現れたと見て、ずいぶんと強気になったものだ」
 次郎は皮肉げに呟き、唇を歪める。
「今日のところは出直そう。だが、時間は大して残っていないことを忘れないで貰いたい」
「私の考えは、さっき述べた。あなた方が受け入れてくれれば、それでいい」
 だが次郎は何も答えず、そのまま立ち去ってしまった。
     

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