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連載短編小説「Waltz In BLACK-09」のページです |
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Yossieの連載短編小説「Waltz In BLACK」 |
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..その3
「考えって?」
「この地を離れるのなら、私もついて行くと言った。妻と子供の三人暮らしは、絶対に手放したくない」
「おいおい……。さっきも言った通り、細君を説得して、一緒に東京に戻れば解決だろう?」
相良が決めつけたが、男が首を振る。
「なかなか、事情が許さないんだよ」
「冗談じゃない。君の財産管理なんか、もうこりごりだ。早く帰って来い。周囲がうるさくて面倒なら、屋敷にこもって暮らせばいいじゃないか。税金は高いが、生活できるくらいの資産はあるだろう。余っている土地を、人に貸してもいい」
「君がやってくれ。ここを離れたら、仕送りももう、要らないかもしれない」
「いい加減にしろ。怒るぞ?」
「先生……」
見かねて、妻が口を挟もうとした。
「君は黙っていなさい」
ピシリと決めつけられ、女は俯く。
「どうしたんだよ。いつもは、こっちが居心地悪くなるくらい、細君には優しいのに」
相良が訊ねたが、男は答えない。妻の女は目を伏せ、遠慮がちにまた口を開く。
「坊やのそばにいます」
「うん。今更、茶など出すこともない。それより、勝手に荷作りなどは、許さないよ」
「……はい」
打ちしおれた様子で、女は姿を消した。相良は唾を飲み込んで口を湿し、改めて訊ねる。
「どこへ行くつもりなんだ」
「分からない。あの連中が受け入れてくれるかどうかも、今は未知数だ」
「無理にでも、東京に連れていけばいいだろう? こう言っちゃ何だが、面倒な舅姑も、口煩い親戚もいない。都会にだって、そのうち慣れるはずだ。君が側にいてやれば……」
「できることなら、そうしたいが……」
男は寂しそうに笑い、そこで話を打ち切る。
「それより、今夜は泊っていくだろう? こんな半端な時間にやってくるなんて、心配をかけて悪かったね」
「何だよその言い方は。水臭いな」
相良が憤然として言い返したが、男はもう一度笑っただけだった。そして奥の部屋の扉を叩き、出てきた妻に、支度を言いつける。そして、友人を手で招いて、共に家の裏の畑へと向かった。
「南瓜をもいで来いとの仰せだ」
「仲直りしたのか?」
「元から、諍いなどしていないよ。茗荷も少し、取っていくかな」
「あまり食べさせないでくれ。物忘れは困る」
「今更、何だね」
持たされた竹のざるに、よく育った南瓜と、茗荷の花芽を摘み取って入れる。目についた秋葵(オクラ)ももぎ取ったが、産毛が指に刺さって顔をしかめた。
「優しい夫のふりをしても、日頃は何もしていないのがすぐ分かるな」
「放っておいてくれ」
軽口を叩きながら、家に戻る。お勝手では妻が、研いだ米を釜に入れて水を張り、火を起こしていた。男は言いつけ通りに野菜を洗い、流しに並べる。
「後は、火にかけるだけです。もう大丈夫」
体よく追い払われた気もするが、やがて起きてきた子供と仲良く話をしながら待った。南瓜の煮物に、茗荷と秋葵のひたし、端物の野菜を入れた汁に、里の者から貰った米の飯という、つつましい食事である。
「明日の朝は、小屋の鶏が卵を産むかもしれない」
「ぼくがとってくるんだよ」
「卵を集めるのは、三郎太の仕事か。えらいな」
相良が子供の頭を撫でる。父親の友人に褒められ、三郎太は胸を張った。
「うん」
電話どころか、電気も来ていない。薄暗いランプの灯りだったが、何故かとても明るく感じられた。贅沢ではなくても、こんな幸せな生活を、手放したくないというのも分かる。
「東京の屋敷は土地がかなり広いんだし、このくらいの畑と鶏小屋なら、いくらでも作れる。一緒に行ってやってくれませんか」
相良はもう一度女に言ってみたが、俯いてしまっただけだった。
二週間ほど後、相良はまた、この里を訪ねる。いや……、訪ねようとした。
「あれ?」
汽車を降り、バスに乗って終点から歩いて峠を一つ越えれば、山間に小さな里があったはずなのだが……。何も、なかった。土地の形は、どこか見覚えのあるものだ。広い平野を囲む山の形も同じなのに、道も畑も、いくつかあった建物も、影も形もない。
彼はしばらく呆然と立ち尽くし、それから急いで、来た道を戻った。県の役所に問い合わせに行ったのだが、窓口では、その地には誰も住んではいないとの一点張りで、埒が明かないままに終わった。
やがて、時が過ぎる。元々の地形を利用したことと、国のモデル事業となったためにアメリカの強力な後押しもあって、ダムはすぐに完成し、里のあったはずの場所は人造湖の底に沈んだ。せき止めてみたら何故か水は脇に逸れ、まるで道があるかのように山の方に細く伸びて、小さな側池もできた。それを横切るために、橋が一つかけられている。
「向うは、君たちが住んでいたところなんじゃないか?」
橋の上で、相良が呟く。大きな人造湖は里の跡で、側池はあの男が住んでいた原なのではないかと思う。風もなく、水面は鏡のようでさざ波一つ立っていない。覗きこんでも、映るのは自分の顔だけだが……、親子三人が水底で楽しく暮らしている幻が見えるような気がする……。
だが、彼はぶるぶると首を振った。縁起でもない。そんなことは、生きている人間にはできない。あいつは図々しくて自分勝手だが、死んだなどとは思いたくもない。きっと、細君やその兄、他の者たちと一緒に、急に里を離れたのだろう。そのうちに、『少しばかり、為替を送ってくれたまえ』という手紙が来るに違いない……。 (了)
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